第3章 名残りの雪の午後
冬の名残の重い雪が降る日、カレナードは施療棟を出た。まだ右腕を十二分に使えなかったが、講義だけでも早く復帰したかった。ベル・チャンダルが迎えに来て女王区画へ向かった。ベルはゆっくり歩いた。
「傷は完全にふさがったの」
「たまにピリッと来ますが、大丈夫です」
「マリラさまがあなたと話したいそうよ。午後の実習が始まったばかりだから、時間はあるわ」
女王区画は一足早く春の装いになっていた。カーテンが取り換えられ、清々しかった。
マリラは書斎にいた。大きな窓があり、繊細な縞模様のカーテンが縁どっていた。彼女はそこに立ち、牡丹雪を我が身に積もらせているかのようだった。
少年に椅子をすすめたきり、沈黙していた。それは雄弁な沈黙だった。カレナードは女王が語り始めるのを待った。
そのまま時は流れ、雪雲が切れて空が薄明るさを取り戻した。カレナードの方から口を開いた。
「チャンダル女官からお話したいことがあると」
マリラはゆっくり振り向き、少年の前まで来た。
「そなたがガーランドに来てからのことを女官たちに聞いた。艦長にも隊長にも道化にも。そなたからも聞きたい。そなたの口から」
カレナードはためらった。今更彼女にない思い出を語ってどうなるのだろう。
「お聞きになっても楽しい話ではありません。マリラさまに不愉快なことを申し上げたくないのです」
マリラは承知していると言った。
「人づてでなく、本人から聞きたくて呼んだのだ。私の理不尽な扱いにそなたが感じたことを正直に教えておくれ」
彼はシェナンディ家の図書室で読んだ感情論の一節を借り、女王の要求を断ろうとした。
「感情ほど不確かなものはありません。記憶は時がたてば鮮明ではなくなり、いくらでもすり替えられます」
彼女は見破った。
「言葉を借りずともよい。正確さを求めているのではない。今のそなたの気持ちでよい、私の質問に答える形でもいい、どうか話しておくれ」
女王は少年に椅子をすすめ、半ば懇願した。
「頼む」
カレナードは背中の疼きとためらいを意識の外に放り出し、女王と向き合った。
「分かりました。仰せのままに答えましょう。気分を悪くされるようなら、そこで止めてくださいますか」
「分かった。約束しよう」
少年は正直に、だが女王のために慎重に言葉を選んだ。その率直さと気遣いをマリラは快く受け止め、彼が自分に恐れと失望を抱いているのを認めた。そして、彼に悪意がないことに安堵した。
その態度に、カレナードは驚いた。女王は以前の所業を知っても冷静だった。また、生き脱ぎ直後の野獣の如き自らの姿に納得さえした。
彼女は失くした私人の行動と感情を、渇いた砂漠が洪水を吸い込むように欲し、飲み込んだ。
カレナードはマリラが自分自身に飢えていると知った。ガーランド女王である代わりに自身の記憶を犠牲にしている彼女を初めて痛ましく思った。
マリラは静かに言った
「そなたに限らず、私に仕える者はみな…公務以外の過去を共に振り返られぬ。私的な思い出を教えてもらう時、一方は懐かしさを感じ、私は私を発見する。……なぜだろう、そなたに辛く当り散らし、さらに生き脱ぎの場に呼んでしまうとは」
「マリラさまは、ご自分が僕を呼んだとお考えなのですか」
「そうとしか考えられぬ。エーリフの言うとおり、理屈でない力が働き、そなたは私の呼び声に応じた。いつ、どのように呼んだのかは永遠に分からないだろう」
カレナードは思い出した。春分の夜、マリラの声は無視できない強さで彼を動かした。無視できなかったものとは何だったのか。
彼の直感はその正体を知っている気がしたが、それをただちに肯定することも、ましてマリラに伝えることもできなかった。そのため、直感が触れたそれは彼の胸の奥でちりっと痛んだきり、仕舞い込まれた。
「おそらく…そなたと私には何らかの縁があるのだ。そうでなければ、ここで一緒にいるわけがない。そなたはさぞかし私に戸惑ったろう。カレナード・レブラント。私の紋章人。私と共に歩んでくれぬか」
「僕はすでにあなたに魂までも捧げました。ですから……」
「いや、そなたを一人の人間として見ていたい。それは迷惑か」
カレナードはマリラを信じきれないでいる自分が悲しかった。それほどに生き脱ぎ以降のマリラは別人だた。が、女王が身を保証したことは素直に喜べとアレクは言うだろう。




