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第3章 ウーヴァとの遭遇

 ヤッカは施療棟の緊急救命専門医師を待機させるよう進言した。ジーナは応じた。

「気休めですが、手配しましょう」

彼女は扉に寄って耳をそばだてたが、中の気配は全く分からない。


 カレナードは生暖かい暗闇の中にいた。足の裏に床の感触はあったが、そこはすでにウーヴァの領域であり、何もかもが混沌としていた。

「マリラさま……!」

 彼は足元を探り、混沌の中をさ迷った。恐ろしさは消えた。死者の魂が還る場所と思えるほど、静かだった。マリラはこのどこかに居る。


 彼の意識は全てマリラの気配に集中した。彼の五感は限界を超え、暗闇の中で霊感が出現した。

 彼は初めてウーヴァの存在を感じた。それは圧倒的な質量とエネルギーだった。引き寄せられるように、両手を差し延べた。

「マリラさま、あなたを見守りに参りました。どこにおられるのですか。マリラ……」

 左手の紋章が弱く光り、微かに眼が効いた。


 カレナードの眼前にウーヴァの想像を絶する姿があった。

 ありとあらゆる黒、天鵞絨の黒と汚泥の黒、墨の黒と残滓の黒が渦を巻いていた。そこに烏の羽、鵜の羽、蝙蝠の羽が浮き沈みを繰り返し、赤と黄色が所々に現れては消え、大地と血の香りが蒸せるように立ち上った。あらゆる生命を育み、また飲み込んでいく香りが鼻腔をくすぐった。

 鳥のような顔が現れた。それはゆっくりと左回りに回転した。彼は霊感によって眼前のそれが偉大な存在と分かった。


「マリラさまはどこですか。大いなる…大いなる闇よ……」

 ガーランドの中にこのような存在が居るのが不思議だったが、それはどこにでも居るとも思えた。普遍であり、不変の存在を前にして、カレナードは人間がまことに小さいと知った。そして小さな者の役割を果たすためにそれに呼びかけた。声があった。

「まことに小さきヒトよ、儂はウーヴァと呼ばれた」

「ウーヴァ……」

「マリラの命は儂がいただき、儂と共にある。あれは儂の力を宿すケモノだ。マリラの紋章を身に刻んだ唯ただのヒトよ、見ておれ」


 この時、カレナードがウーヴァに殺されることも新たな契約者になることもなかったのは、奇跡だった。

 彼はマリラに寄り添うためだけにそこに居た。ウーヴァを前にして、唯ものになれるヒトであった。

 彼はウーヴァの中にマリラの姿を発見した。四肢をもがれ、苦痛に歪んだ血まみれの顔が半分に割れた胴体の上に乗っていた。カレナードは思わず駆け寄り、ウーヴァが発するエネルギーの場にはじかれた。マリラは消えた。

「幻を掴むか、小さきヒトよ……。あれはマリラだったモノにすぎぬ」

「あの方はどこです……」

「生き脱ぎを終えたばかりのマリラは儂よりも恐ろしいぞ。お前がマリラに命を奪われれば、その血をいただこう」


 ウーヴァの気配は薄くなり、当たりは一気に血なまぐさくなった。

「ウーヴァ、マリラさまは…!」

 大いなるものは隠れてしまい、暖かい闇の代わりに冷気が満ちてきた。そこは元の部屋で、暗くてもなんとか物の形が分かった。


 カレナードは部屋の中央で見たものに言葉を失った。

 裸のマリラが血溜まりで丸くなっていた。その姿は異形のさまであった。彼女は急に四肢をほどいた。髪は血に濡れて体に張り付き、心は正気ではなく、白目を剥いて野獣の如き唸り声を上げた。動き方は奇妙だった。次第に四つん這いになり、蜘蛛のように這い始めた。

 女王の中身は人間でなかった。カレナードはまたしても目にしてはならないものの前にいた。マリラは本能だけで動く獣だった。おぞましく蠢く女王の前で、彼は身じろぎも出来ずにいた。


 突然マリラは彼に気づき、飛びかかった。

「マリラさま、カレナードです。マリラさ…!」

彼女の歯がカレナードの肩に刺さっていた。彼は転がって野獣と化した女から逃れ、扉を探した。再び鋭い痛みが走った。マリラの爪が寝間着とその下の皮膚を切り裂いた。


 ウーヴァが言ったとおり、生き脱ぎを終えたばかりの女王は危険極まりない生き物になっていた。彼女は血まみれのまま、幽鬼の如く立った。正視できない姿だった。


「マリラさま、正気を取り戻してください!」

 カレナードの呼びかけは虚しく、マリラは凶暴な女豹となって逃げる者を追った。扉にたどり着くまでに彼は何度も引き倒された。閂を外したかったが、彼女は彼の足を掴んで倒し、馬乗りになった。首を締めようとして必死の抵抗にあい、大声で奇怪な鳴き声を発した。

 少年が女王のみぞおちを撃って振りほどくと、彼女は後ろに下がって震える舌をつき出し、くるくる回った。正視できない舞踏だった。

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