第3章 艦長エーリフの覚え書
艦長ワレル・エーリフは艦橋に珍しいジーナ・ロロブリダの姿に会釈した。彼女は「艦長の記録を頼りに来ました」と言った。彼は本気とも冗談とも取れる態度で答えた。
「私自身を頼ってくだされ」
艦長室に彼の10年分の覚書があった。艦長日誌と違い、彼が特別に書き留めた記録だ。それは寝室に置いてあったので、ジーナは艦長室まで同行した。
彼女の片付け魔の血が騒いでならなかった。エーリフが覚書の束をひっくり返している間、女官長はベッドのシーツを直し、脱ぎ散らかされた衣装を畳んだ。
「ありましたぞ、女官長殿。おや、私のむさ苦しい部屋が少しはマシに見えます。あなたさまが居るせいでしょうな」
ジーナは、早く覚書を渡せとばかりに手を出した。エーリフは直したばかりのベッドに腰掛け、満足気にシーツを撫でた。ジーナの女心に嫌悪と好感の両方が湧いたが、無視して文書を開いた。
新任だった頃のエーリフの文字が踊っている。
『女王の無断外出にこの胸がいかに激しく揺れたか、かの人はご存知あるまい。日が昇りオルシニバレ鉱山の近くで女王の飛行艇から連絡が届いた時の安らぎを、かの人はご存知あるまい』
ジーナの頬が引きつった。ロマン小説の如き文章が延々と続いている。肝心の記述にたどり着くまで、彼女は肩の震えを必死で隠した。
『女王は誰かと御一緒のようだ。誰だ!誰なのだ!女王は問うな忘れろの一点張りを繰り返された。ああ、女王マリラよ、この新任艦長には打ち明けていただけぬか。信を得たいこの男の願いを御照覧あれ』
女官長は心中で叫んだ。
「痴れ者!対玄街作戦参謀メンバーのくせに、心に少年を住まわせてるなんて!」
ともあれ10年前に女王とカレナードが出会った可能性はある。さっと立ち上がるジーナに、艦長は「気掛かりをじっくり話しませんか。お茶でも御一緒しながら」と言った。
「女王に関することを?それともお茶が主な目的でしょうか」
「どちらも大切なことです」
ジーナは誘いにホイホイと乗る女ではない。
「時間が取れませんので、艦長殿の執務室で少しだけなら。お茶は御無用です!」
エーリフは執務室へ移った。ジーナはカマをかけた。
「マリラさまをお慕い申し上げておられますの?」
「もちろんです、女官長殿。あれほどの女人に惹かれぬ男などおりますまい」
「女王と艦長という肩書きを外しても?」
「もちろんです。が、随分まえにふられましてね」
ジーナは「そりゃそうよ」と言いかけて止めた。
エーリフは楽し気に思い出を漏らした。
「艦長になりたての頃、やっと女王に言い寄れる資格を得たと考えていました。15歳で新参訓練生になり、途中で地上勤務をはさみながら20年。その間、マリラさまを想わない日はなかった。マリラさまは度々私と夕食を取られ、会話を楽しみ、踊られた」
「そうでしたわね。私は一介の女官でしたが、何度かお見かけを」
「ある夜、長らく恋人の1人も持たれない理由を尋ねました」
「まぁ!それでふられたのですわ」
ジーナは艦長の古傷をからかったが、彼は全く意に介さない。
「女王は驚くべき話を聞かせてくださった」
それはジーナが知らない話だったので、彼女は身を乗り出した。
「女王は恋人たちがことごとく権力や地位を欲し始めるのに飽いているようでした。私は例外だと言うと、苦笑いされて『いや、お前もそうなる』と断言したのです。彼女の言葉で印象的だったのは何だと思います、ジーナ殿」
「え……」
「女王は仰った、『一体何人殺したやら……』と。さらに『生涯をまっとうしたのは静かに私のもとを去った男だけだった』と。私は持っていた茶碗を落としそうになりました」
女官長はまさかと首を振った。
「それはマリラさまのご冗談ですわ」
「いや、男の直感ですが、ほぼ真実でしょう」
「では、あの新参訓練生は長生き出来ないかも」
「ほう!彼が百年ぶりの恋人ですか」
「いえ、カレナード・レブラントは紋章の刺青を持つだけの未熟者です。口外せぬと仰るなら、先日紋章人が打たれた件を話しますわ」
エーリフは約束し、ジーナは語った。彼は腕組みした。
「2500回もウーヴァに殺されてご覧なさい。誰だって嫌になりますよ。紋章を授けた彼なら身代わりにしたくなっても無理はない」




