第3章 女王御下賜の品
マリラの懊悩は毎年のことだが、ひと月続いたのは珍しいと、女官長は考えた。
「女王の心労パターンが変わったのかしら」
女官長室の鍵付き書棚に女王の公私両面を綴った記録が並んでいる。カレナードが語った10年前の出来事を確認するために、彼女は奥から極秘の一冊を取り出した。
日記には『3月15日未明、飛行艇で出奔。午前9時帰投。オルシニバレ市近郊。詳細不明』とあった。その年の儀式は『滞りなく』終わっている。これはマリラに最も多く起こるパターンで、ジーナは一時逃避型と名付けていた。
「当時の艦長は新任エーリフだわ。彼に記録があればいいのだけど。紋章人にも会わねば」
ベル・チャンダルが扉を叩いた。
「マリラさまが相談があると」
ジーナは書棚に鍵を掛け、女王の朝の食堂へ向かった。女王は大宮殿で朝の謁見を終え、朝食を取っていた。豆入り粥とチーズと茶だけの質素さを見て、ジーナはまるで訓練生の食事だとたしなめた。
「せめて果物か野菜を一緒にお摂りください」
「ジーナ、育ち盛りの訓練生こそこれでは足りんぞ。私はいいのだ、春分までわずかだ。北メイス産のチーズがあればよい」
「ご相談事を承りましょう、マリラさま」
カレナードを打ち据えた翌日から、マリラはいつもの彼女に戻っていた。
「あの新参訓練生に滋養のあるものを贈りたい」
「カレン人形に、でございますか」
「私はしばし我を失っていた。その後、あの者はどうしている」
ジーナは貧血事件の詳細を話した。
「出血があれど男子棟に留まるとは…男であるな。しかし、苦しいであろう。ジーナ、新参は今は何の時期か」
「飛行艇の実習に入っております」
「船酔いか。ならば林檎ジャムと人参入りクラッカー、ミント水、レバーのパテを小分けに包んだものでどうだろう。ジーナが追加の品を選んでくれると助かる」
「承知いたしました」
ジーナは控え室に戻り、女王の懊悩の襞をたどった。彼女の変調の日は明らかだ。
『新年17日、禁忌破りに乗船許可。玄街22名侵入。激闘の末、殲滅。警備隊の負傷者6名、うち重傷者1名。翌日、禁忌破りの少年と女王の契約成立。マヤルカ・シェナンディの体を元に戻す代償に、カレナード・レブラントはその心体を女王に捧げた』
「この契約の曖昧なこと」
少年の役割は何一つ規定されてない。ジーナは彼を女王の独立遊撃隊候補にすれば、彼の立ち位置が確保できると考えた。
「それにしても、あの時のマリラさまの白蝋のようなお顔は……。お怒り?それとも無関心…軽蔑……?マリラさまは自ら悩みの種を呼び寄せたとでも?」
女官長はもう一度ページをめくった。
『1月31日、カローニャ市ヴィザーツ屋敷に玄街の襲撃あり。死者1名、重傷者5名。2月11日、ミセンキッタ領主、ララークノ家に玄街の干渉あり』
ジーナはため息をつき、もう一度思い返した。
「人形の件で、女王は身代わりを欲しておられた。私の代わりに死ね、と。生き脱ぎをあれほどに恐れるマリラさまは初めてだわ」
訓練生棟の詰所に故郷から手紙や差入れが届く中、ナサール・エスツェットはまだ青い顔でS班の郵便箱を覗きに行った。そこにベル・チャンダルが現れた。ナサールの頬がほんのり赤くなった。
彼はベルをV班の部屋へ案内した。後ろを訓練生がぞろぞろついて行く。ベルは能ある鷹が爪を隠す笑顔で言った。
「ありがとう、ナサールさん」
一方、カレナードは用心深くなり、ベルに予防線を張った。ベルは女王からのお言葉ですと、前置きして口上を述べた。
「先日のお詫びにこれを贈る。快く受領されよ。体をご自愛あれ」
訓練生たちは、ため息を漏らした。女王御下賜の栄誉を直に見て、彼らは痺れた。
が、ベルは意外な返事を受けた。
「僕は女王のただのしもべに過ぎません。詫びられることは何もございません。女王がお心を痛めることはありません」
女官は少年が素直になれないのを肌で感じた。あの晩の痛みを体が覚えているのだろう。
「女王はあなたをしもべとは見ておられません。この品に託された女王のお心を察して下さいませ」
カレナードは女官に恥をかかせるつもりはなかった。そこで折れた。彼は品物を受取り、儀礼的にお礼を述べた。
「カレナード・レブラント、心に勇気をお持ちください。ヴィザーツはそれをオンヴォーグと呼びますの。ね、新参の皆さん」
ベルはまだ言いたいことがあったが、訓練生の前では出来ないと判断して去った。




