第1章 邂逅
マリラがデュア湖に降りる直前、ヒューゴ・レブラントのテントは土砂に沈んだ。難を逃れたカレナードは板切れを手に懸命に父を掘りだしていた。父の片腕を見つけた時、彼の前にマリラが現れたのだ。
早春の白い夜明けに、彼女の真珠色のコートは眩しかった。コートの紋章に気付いた少年は板切れを放り出して突っ伏した。
「ガーランド女王、マリラ・ヴォーさま!」
彼女は頷き「よくぞ我を呼んだ」と応じた。少年は懇願した。
「女王さま。父の命をお助けください。代りに僕の命をお取りください」
女王は静かに言った。
「幼くとも知っておろう。アナザーアメリカンは命や魂を代償にヴィザーツに頼み事をしてはならぬ。誰に対しても、どの領国に対しても、ヴィザーツは中立であるがゆえに。追い詰められた者は時にこの禁忌を犯すが、その末路を知らぬとは言わせぬ」
彼女は顔を上げよと命じた。少年の鳶色の眼に強い意志が宿っていた。
「そなたの名を訊ねよう。」
「カレナード・レブラント。父はヒューゴ・レブラント、母はカレワラン・マルゥ」
「そなたは私に血と肉を捧げると申したな。名はどうだ」
彼は即座に言った。
「名を捧げます。」
「心はどうだ。」
「心を捧げます。」
「心臓はどうだ。」
「心臓を捧げます。父の命の代償に、僕の命を女王さまに奉げます」
マリラは不思議な衝動に駆られた。少年は全てを捨てるだろうか。
「では、魂はどうだ。魂は捧げぬか」
初めて彼にためらいの色が走った。アナザーアメリカにおいて魂は肉体に燈る不滅の存在だ。肉体が滅ぶ時、魂は人が生まれる前の暖かな闇・ラハトサイに憩う。女王の言葉に従えば、彼は自己と魂の安息を失うことになる。
彼はしばし女王を見上げ、立ち上がって右手を胸に当てた。
「マリラさまに僕の魂を奉げます。」
「では、そなたは一生を私の人形として生きよ。父は悲しむであろう。我が子が魂を失い、虚ろに生きるのだから。ご覧、カレナード」
彼女はコートが汚れるのも構わず跪いた。彼女の視線が少年の目の高さに降り、さらにヒューゴの腕へと移った。
この瞬間に少年の魂深く、女王の波打つ淡い金髪と灰色の目、頬と顎の線が刻まれた。その気配にマリラは満足を覚えた。
「ガーランドの魔法使い(ヴィザーツ)でも死者を蘇らせぬ。そなたの願いはかなわぬ願いだ。魂は受け取らぬ」
カレナードは父の遺体と女王を交互に見て、やがて無言で頷いた。
山の端から陽が射し始めた。女王はカレナードの手を引いた。
「女王さまのお手が汚れます。」
「気にするな。土に触れるのは慣れておる」
女王は鷹揚に言い、指に少々力をこめた。少年に微笑が浮かんだ。
「そなたをオルシニ鉱山へ連れて行ってやろう。ヤマの男たちは山で死んだ者への情に厚い。葬儀の手間賃として彼らにこれを渡しなさい」
女王は金の指輪を皮袋に入れて、カレナードの首に下げた。
「お守りと言えば彼らは納得する。私の名は一切出すな。マリラ・ヴォーはヴィザーツの長ゆえに誤解や恨みを持つ者もいる、玄街の輩のようにな。今日のことはそなたと私の秘密だ」
「この指輪はよろしいのですか。」
「そなたが先ほど示した勇気の代価だ。父の魂も慰められよう。母はどうした」
「彼女はずっと前にラハトサイに行きました。父と僕はオルシニバレ領国の首都に行く途中でした」
「父は何者か。」
「地質研究者です。井戸や水路の設計をしていました」
「オルシニバレ市の誰を訪ねるのか。」
「精密機械組合長のシェナンディ氏です。」
「あの都市は新進を好む。そなたのような人材の卵を受入れ育てるだろう」