第2章 軍人の船
リリィ・ティンはヤッカの敬礼に驚いていた。
「ヤッカ殿、隊長からそれを受けるなんて畏れ多いですわ」
「君の医療技術が紋章人を救うと期待している。射撃の腕は落ちてないか」
「訓練生時代ほどではありません。解析一筋ですから」
ヤッカはカレナードに付いて来いと身振りした。
「新参訓練生男子棟に移るぞ、レブラント」
隊長は素早く歩きながら「マヤルカ嬢はどうした」と訊いた。
「彼女担当のベテラン女医と新参女子棟へ行きました」
施療棟群を囲む林と薬草園を抜け、大きなホールでエレベーターに入った。
浮き船のエレベーターはオルシニバレの装飾付き鉄格子の箱と違い、大きな密閉容器のようだ。階数は多く、情報部区画・施療棟群・技術開発部・甲板連絡中央通路・総合施設部・訓練生管理部のボタンがあった。ヤッカはそれらを順に指した。
「この箱は直通型だ。主要区画を結ぶ。移動が速い。各階型はもっとボタンが多く速度も遅い。最上階から船底まで70階近くある。君はすぐに慣れるだろう」
箱は訓練生管理部で止まり、2人はさらに別のエレベーターで下層天蓋区に降りた。
カレナードに幼い頃の記憶が甦った。女王の飛行艇から見た幾何学模様だ。
「ガーランドの街だ……」
「ここは宿舎の他に主計局が営むバザーや娯楽施設がある。講義棟や訓練実習施設はその奥だ。すぐに実習でガーランド中を走るが、迷子になるなよ。新参には危険な場所もある。特に機関部の隠し通路、航空部の管轄である甲板は油断禁物だ」
カレナードはヤッカに礼を述べた。
「君はよく耐えた。が、これからが真に勇気が要るだろう」
天蓋の外は日暮れの雲が流れていた。宿舎は3階以上の淡い色の建築で、傾斜したスレート屋根にも窓があった。舗装した道に沿って果樹と低い花木が色を添えていた。
「君は男子V班に配属された。マヤルカ嬢は女子Y班だ。男女共にQ班からZ班まで、総勢126名いる。A班からP班は10ヶ月訓練生で、研修後にガーランドを降りる。こちらは198名。訓練生の1年は冬至祭に始まるから、君は1ヶ月遅れだ。訊いておきたいことはあるか」
「ヴィザーツの赤ちゃんも生誕呪が要るのですか」
ヤッカは珍しく笑顔でうなずいた。
「ヴィザーツは生物学的に君と何の違いもないぞ。それほど特別に見えるかな」
「あの……失礼かもしれませんが、アナザーアメリカンとは別の世界に生きていると言うのは…」
「そういうことか。ヴィザーツは基本的にコード技術者及び軍と考えてくれ」
カレナードは慣れない言葉を舌に乗せた。
「調停機関でなく……?」
「ヴィザーツは領国警察機動隊とは桁違いの武力を持っている。君が感じる別世界の一面だ。
明日はマヤルカ嬢と一緒に特別講義を受けてくれ。コードの原理原則とヴィザーツの歴史だ。アナザーアメリカンと異なる摂理がそこにある」
カレナードは茫漠とした不安に駆られた。
「異なる摂理……。僕もいつか玄街ヴィザーツと戦うのですか」
不躾な問いとは分かっていた。が、訊かずにはいられなかった。ヤッカは坂道の途中で歩を止めた。
「物事には順番がある。戦う訳を深く学ぶことだ。君が玄街にナイフを投げたのは防衛本能の成したことだが、今からは違うのだ」
「その理由に納得しない場合はどうなるのです。あるいは戦いそのものを忌避する者は……」
ヤッカは数秒の間、カレナードをまじまじと見た。
「なかなか考えるようだな、君は。」
「…すみません。」
「当然の反応だが、あまり悩まないことだ」
新参男子棟のV班の部屋は4階の端にあった。
「班長ミシコ・カレントはいるか。編入生だ」
応じた少年は、利発な紫の目をしていた。彼はヤッカに敬礼を返した。
「班長は会合に出向いております。副班長キリアン・レーが引継ぎます」
紫の目がカレナードを見るなり「こいつ!」という顔をした。彼はカレナードに宿る素質と、やがて自分を脅かすだろう何かを一瞬で認めた。
同時にカレナードもキリアンの優れた容貌に似合わない翳りに気付いた。2人の背丈はほぼ同じだ。
ヤッカは班長以外のメンバーにあとを託した。
「支給品の説明から始めてくれ。私は帰るとしよう」
キリアンが顎をしゃくった。
「ここがお前の寝床。」
入口に一番近いベッドの上に群青と白の制服一式、薄灰色の実習服が二揃い、タオルと下着が数枚、石鹸が一個、琺瑯のコップ、そして紙挟みと筆記具が積まれていた。
ベッド側の壁は木目の美しい板張りで、ベッドの間に仕切りカーテンがあった。カーテンレールは頭をぶつけそうな高さだ。ベッドの反対側に磨かれた机と椅子、入口の横に洗面台が二つ、タイル敷の床から伸びていた。
紫色の瞳が遠慮なくカレナードを見据えていた。
「僕の名は聞いたろ。ミセンキッタ領国アルプ市出身、17歳になって2ヶ月だ。お前、どこから来た」




