第1章 紋章人、誕生
エーリフは告げた。
「よろしい、君は生還した。玄街を招いた罪は許されよう。ガーランドは君を女王の紋章人として扱う。また、マヤルカ・シェナンディを女王の客分とし、彼女のために力を尽くそう。
今から君の左手の甲に女王の印を刻み、成約のしるしとする。ここにいるヴィザーツが証人となる」
カレナードは生死を賭けた試練に勝利したことと女王との成約への後悔の間に立っていた。後悔の念はシミのように心を蝕んだ。
「女王はこんな人ではないはずだ」
目の前のマリラは彼の想いを裏切っていた。禁忌を犯すに値するかつてのマリラがいなかった。彼の精神を支えていたかつてのマリラがどこにもいないのだった。
「あの時の女王は幻だったのか、そんなことがあるはずない。なのに……」
儀式用の台と道具が運ばれた。左手が台上に抑えられ、消毒液で拭われた。彼はふらついた。
「これはいけませんねェ」
道化姿の小男が茶化しながら、カレナードを支えるのに加わった。
「よろしいでしょ、マリラさま。このワイズ・フールがしゃしゃり出るくらいはお許しになるはず。死なれても困りますからね」
マヤルカのアナザーアメリカンとしてのプライドが疼いた。が、カレナードの心は塞がっていた。道化は素知らぬ顔でカレナードの左手首に拘束帯を巻きつけた。
女王は無慈悲に命じた。
「艦長、ワイズ・フール、役目を果たせ」
艦長はカレナードの左手の甲に見知らぬ器具を乗せた。
「痛いぞ、小僧」
彼は一気に押した。痛みと疲労と悔恨のためにカレナードは気絶した。器具が外された左手にマリラの紋章が刺青されていた。血が滲んでいた。
儀式の間、女王は眉一つ動かさなった。道化はしれっと言った。
「案外、弱くていらっしゃる。この先が思いやられますなぁ」
マヤルカは道化を睨んだ。気絶しないほうがおかしいと叫びたかったが、我慢した。艦長はその様子をおもしろそうに見ていた。
「女王、あの者をいかようにするおつもりです」
「そなたに預ける。取り調べよ」
カレナードは発熱した。彼は施療棟のリリィ・ティンのサロンに運ばれた。
マヤルカが荷物を担いで来たとき、リリィはサロンを片付けながら、祖父アントニオに散々文句を並べていた。
「アナザーアメリカンを二人も乗せるとは論外です。マリラさまは浮き船の秩序を乱すおつもりですか。私のサロンが無くなるなんて。ああ、腹立たしい。ここは私の城です」
「そう怒るな。今からここに入る少年と少女は、城に匹敵する価値があるよ」
「ふん、やつらに価値などありませんわ」
「玄街コードを体に埋め込まれているようだよ」
リリィの怒りが少し削がれた。
「埋め込まれてるって、何です」
「少女の体は男性に、少年の体は女性に変えられたそうだよ」
「なんて趣味の悪いこと!玄街は妖怪めいてきましたわね」
孫娘は細面の顔に垂れてくる髪をうるさそうにはらった。
「ならば玄街コードの生き見本はとことん調べます。お爺さま、私が主導権をいただきますわ」
「ああ、コード解析はお前の方がよくやるだろう」
ドアの影で聞いていたマヤルカはわざとしおらしく進んだ。
「お目にかかり光栄です、アントニオさま、リリィさま。マヤルカ・シェナンディと申します。私の望んだことではありませんが、生き見本となりました以上、どうぞお役立て下さいませ。よろしくお願い申し上げます」
リリィは標本を見る目でマヤルカを見た。アントニオは喜んで握手した。
「これは良い覚悟だ。よろしくな、赤毛のお嬢さん」
サロンの半分が空いてベッドが入った。カレナードは熱に浮かされたまま眠り続けた。
リリィは助手を呼んだ。
「彼の衣服を全部取って。強力な清拭コードを使う。マヤルカ、あなたもよ」
「私は汚くありません」
リリィは点滴の用意をしながら、鼻で笑った。
「お嬢ちゃん、地上の雑菌を持ち込まれちゃ迷惑なのよ」
「野菜や魚はどうなのですか、リリィさん」
リリィの眉が逆立った。
「ここではドクトル・リリィと呼びなさい!」