第1章 石の女王
マリラは毅然と立っていた。10年前と同じ、厳しくも慈愛を含んだ眼がそこにあった。
カレナードは女王の前にひざまずき、頭を下げた。彼の頭上に予想外の言葉が落ちてきた。
「カレナード・レブラント、この事態はお前が引き起こした。分かるか。お前はガーランドに玄街を引き入れた。この罪を何で償うか」
カレナードは床を見詰めたまま、愕然と女王の言葉を聞いていた。
「お前は全てを私に捧げると、名前を、血と肉を、心臓と心を、魂をも捧げると呼ばわったが、それが何を意味するか分かっているのか。
私が死ねと言えば死なねばならぬ。どのように抗おうとも、最後には己の意思で生きることを諦めねばならぬ。また勝手に死ぬこともならぬ。すなわち奴隷に等しい。その覚悟を問う。面を上げよ」
カレナードは顔を上げ、女王を見た。
彼は別人の前にいるのか疑った。血の通わぬ女がそこに居た。女王から一切の人間らしさが消え、冷たい石の感触が彼女を覆っていた。
わずかの間に彼女に何が起こったのか。
彼はうろたえたが、伝えるべき事があった。
「僕は犯した過ちを償うためにさらに禁忌を犯しました。僕の生命はあなたのものです。マヤルカ・シェナンディの呪いを解いていただきたいのです」
女王は感情のない目で彼を見下ろした。
「簡単に命と言うなら覚悟を見せよ。ヤッカ、こやつを明日の正午まで吊るせ。生還すればよし。死ねばそれまでだ。説明してやれ」
カレナードの命は簡単に女王の手の内で転がされた。禁忌を破った者の宿命だった。
「レブラント、こっちへ来なさい」
ヤッカは壁の扉に彼を連れていった。扉の内部には直径1メートルの円板があり、円板の中央に3メートルの棒が立っていた。棒の先は銀色の太い鎖が連結され、鎖は天井の奥深くに続いていた。
「お前は今からこの円板に乗り船底から降ろされたまま、16時間宙吊りになる。その間、誰もお前を手助け出来ん。準備10分やろう。遺言を書くか」
「書きません」
彼はマヤルカと荷物を開けた。ロープ替わりのベルトを取り出し、セーターを着込んだ。皮の手袋を履いた。
マヤルカは彼に毛皮帽子を着せ、上着のポケットにビスケットをねじ込み、さらに懐炉を渡した。懐炉の火は断崖の焚き火から取ったものだ。
「もう一度私に顔を見せるのよ」
彼女の気丈な振舞いが彼に勇気を与えた。
昇降口の警備兵たちが見ていた。ピードも見ていた。女王と女官たちも見ていた。
カレナードが円板に乗った。ヤッカが素早く携帯食の小袋を差し出した。彼の目は「持って行け」と言った。
「しっかり掴まってろよ。禁忌破りのレブラント!」
円板の下の床が消えた。冬の夜が口を開けて待つ暗闇へ円板は下がっていった。冷たい風がカレナードの消えた扉から吹いてきた。扉はすぐに閉められた。
翌日の正午、女王がエーリフ艦長を伴って現れた。昨夜と同じオレンジの戦闘服のままだった。
円板が上がった。カレナードは気を失っていた。マヤルカが気付け薬を嗅がせると、何とか目が開いた。
艦長が進み出た。濃い髭あとが頬下から顎にかけて、精力的な陰翳を付けていた。
「立ちたまえ。カレナード・レブラント」
マヤルカに寄りかかってカレナードは立った。彼はエーリフの後ろにいるマリラを見た。彼女の佇まいは石像そのものだった。柔らかな威厳も、美しい微笑みも無かった。ひたすらに無表情で冷たい顔があった。それはカレナードを拒絶しているようかのようだった。