第1章 断崖の上
ヤッカは漁船に乗り込み、去った。
「隊長さん、優しいわね」
マヤルカは漁船が見えなくなるまで見送った。その間、カレナードは自分の心に問いかけた。女王に全てを捧げる禁忌を犯すことでマヤルカを助けられるなら、恐れはなかった。むしろ、その方法が残っていたのは光明だ。
罪を償う道を見つけ、彼は海を一望した。ガーランドが出航準備に入り、海上の漁船や輸送船が港に入ったり、外洋に出たりしていた。
あの船におわす女王マリラ。ひと月前の完了祭の最終日、フロリヤに声をかけた女王マリラ。10年前、少年を救った女王マリラ。
「我が身を、心を、魂を捧げます。それらと引換えに、どうかマヤルカをお救いください」
潮風を受けながら、カレナードは禁忌破りの文言を選び始めた。
ガーランドは出航した。宵闇が降り、食堂の青い窓の向こうに浮き船が180度回頭するのが見えた。食事中の客も料理を運ぶ給仕たちも、しばし、スペクタクルな光景に眼を奪われていた。
カレナードとマヤルカも揚げ蛸と魚介の炊込み飯を忘れ、浮き船を眺めた。無数の灯火が船体に沿って光り、周囲には鱗粉のような煌めきが尾を引いた。夜の波の一つ一つに浮き船の光が落ち、水面に花びらが散るようだった。
二人は軌道列車でタラ高地を目指した。ガーランドが停泊している湖畔を通り過ぎ、東オルシニ山脈南端の断崖が三十五キロメートル続く天然の境界に来た。断崖端までがカローニャ領国、断崖下がマルバラ領国のタラティーだ。
マヤルカはタラ高地独特の頑丈な馬に話しかけた。
「あれは野生の山羊ね。よしよし、お馬さんは驚かないのよ」
馬は小さな荷車を引いていた。カレナードが手綱を握り、マヤルカは銃を腰に下げた。断崖見物の遊歩道が途切れた先は、野生動物の世界だ。
「この季節だもの。熊は寝てるでしょうね」
「この先で火を焚く場所を探しましょう」
「そうね。ガーランドは夕方に来るわ」
朝の冷たい空気がタラ高地からタラティーへ流れ落ち、崖の下で雲海になった。マヤルカはほっと息を吐いた。
「天にいるみたい。そう思わない、カレナード」
「ええ、きれいだ」
「あなた、とんでもないことをするつもりでしょう」
いきなり切り出されてもカレナードは動じなかった。
「駄目よ、黙ってたって分かるんだから。あなたがやろうとしてることは」
カレナードは唇に指を当て、それ以上言わないでくれと合図した。マヤルカは静かになるかと思ったが、そうはならなかった。
「絶対に成功させるのよ。あたなのために私に出来ることがあるならやるわ。ガーランドに乗ってからだってそうよ。ヴィザーツの船で、アナザーアメリカンはあなたと私だけになるのよ」
彼女は同じ呪いを持つ者の肩を叩いた。気迫があった。叩かれた方は応えた。
「頼みます、マヤルカ・シェナンディ」
広い荒地に出た。二人はタラで調達した大量の固形燃料を、大文字のMに横線を一本加えた形に並べ、その上に薪を積んだ。それは女王の紋章だ。ガーランドに訴求する紋章の幅は二00メートルに及んだ。
強風が吹いた。マヤルカは耐えた。
「カレナードは私のために自身を計りに掛けようとしている。ガーランドの女王の計りに。だから、あんな顔をしている。ふっ切れて寂しそうな顔だわ」
暖かい午後の間、二人は仮眠を取った。身支度し、荷物をまとめている時だった。トール・スピリッツが1機、上空を飛んだ。
「ガーランドが来るわ、カレナード!」
「儀仗人形がこんな所を」
旋回して飛び去る機体にヤッカを感じた。