第1章 奈落の底から
彼の体は男性を失っていた。代わりに女性のそれが脚の間にあった。喉の突起は消え、胸はわずかに膨らみを持っていた。
衝立の向こうからマヤルカの悲鳴が聞こえた。彼女は女性を失ったのだ。アナが衝立の影で言った。
「あなた、玄街は奇怪なコードを使ったようです」
カレナードは奈落に落ちた。玄街に狙われ、ヴィザーツ屋敷に押入る禁忌を犯し、出資者の家族を巻き込んだ。破滅だった。シェナンディの信頼、領国民の資格、この地での全てを失うのだ。
何よりマヤルカを元に戻したかった。でも、どうやって。
一人の少年が遮音室に入ってきた。
「父上、母上、僕はもう行かなければ」
奈落の底からカレナードは見た。アナの巻き毛とベスティアンの目と鼻を持つヴィザーツの少年。彼は銀色の刺繍のある上着を着こなし、素晴らしい風格を備えていた。違う世界がそこにあった。
ベスティアンは父親の顔で言った。
「ミシコ、共にガーランドに行けなくて残念だ。元気でやってくれ」
アナも声をかけた。
「新参訓練生の間は帰ってこれないわ。週末には手紙を書くのよ」
ヴィザーツの両親は息子の門出を祝福した。その光景はカレナードには眩しすぎた。彼は毛布で顔を覆った。ミシコの声が聞こえた。
「彼は起動コードを使えるわけだね」
父は小声で注意した。
「誰にも言うな。アナザーアメリカンがコードを知っても正確に使うのは困難、使えば禁忌破りだ。何の理由があろうと彼は重罪だ」
静かになると疲労が押し寄せた。体中が痛かった。アナが甘苦い茶を飲ませるとカレナードは朦朧と眠りにおちた。マヤルカも静かになった。途切れるようにカレント夫妻の声が聞こえた。
「ヴィザーツ査問委員会を緊急招集、違反事項第12条に相当する」
「玄街の仕業にしては釈然としない行動ね」
「これは特殊なコードだ。ガーランド施療部でも解析は難しいだろう」
「ミシコと同じ歳なのに生誕呪を知って唱えてしまった……禁忌と分かっていたはずなのに」
領国府はヴィザーツ令違反の罪でマヤルカをオルシニバレ市から追放処分にした。カレナードはさらに重い領国追放刑となった。別れを告げるため、彼はシェナンディ家に向かった。夕暮れの闇に乗じて罵声と石が浴びせられた。
ここは故郷でなくなった。彼の居場所はどこにもなかった。
見慣れた門をくぐると家令は怒鳴った。
「罪人め!」
苦渋に満ちたシェナンディが家族用食堂へ入れと身振りで示した。ドアを閉め、カレナードは床に手を付いた。後見人の顔をまともに見られなかった。
「申し訳ありません。僕は取り返しのつかない罪を犯しました」
シェナンディは無言でアレニア奨学生合格証を机に叩きつけた。
フロリヤが問うた。
「カレナード、これからどこへ行き、何をするの」
彼は決心していた。
「ガーランド・ヴィザーツは玄街をよく知っています。マヤルカお嬢さんを元に戻すため、僕はガーランドを追います」