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第6章 捨てられなかった我の強さ

 彼は素早くマリラから離れ、腹の奥の疼きを片手で押さえた。もう片腕は顔を覆っていた。

 どうしても男と女に成り切れない。マリラの矜持はそれを許さなかった。彼女は再び挑みかかった。睦言と程遠い叫び声が起こり、座卓の上のリュートがひっくり返った。

 女官は冷静でいるしかなかった。ベルは言った。

「カレナードの作戦です。マリラさまが疲れて諦めるまで持ちこたえるつもりです」

 争う物音を聞きながら30分が過ぎた。静かになった内陣で、マリラは自分が投げて乱れたクッションに埋もれていた。カレナードは柱に寄り掛かっていた。どちらも疲れ果てていた。


 女王の髪は乱れ、息は苦しそうだった。

「カレナード、動けるか。水が欲しい」

 マリラがグラスを飲み干す間にカレナードは鏡台からブラシとリボンを探し出した。マリラはカレナードにグラスを差し出して、水を勧めた。

「それはマリラさまのための水です。僕はいただけません」

「固いことを言うな。そなたも必要だ」

 カレナードは水を口に含んだ。

「ミルタのベアン地方の水ですか」

「ベアンにいたことがあるのか」

「子供の頃、父の仕事で半年暮らしました」

「そうか。そなたのことを聞きたかったのに……。何をしている」

「髪を整えます。見るに堪えないので」 

 マリラは笑いさえしなかった。カレナードに髪を梳かれるままになり、顔や手を温かいタオルで拭くのを許した。カレナードはマリラの髪をざっくりと三つ編みにし、水色のリボンで結んだ。肩にマリラを担いで寝台に向かおうとしたが、彼も力は残ってなかった。

「女官を呼びます」

「いや、これを見せたくない」


 カレナードはクッションを並べ、寝台から持ってきた毛布と予備の毛皮を敷いた。直した座卓に香を焚き、燭台を灯した。マリラを毛布の上に横たえると、上から祭り衣装のマントを掛けた。

「このマントの文様がきっと添い伏しの効果を上げてくれます」

「添い伏し?」

「オルシニバレの民間療法です。隣に眠る添い寝人から気を移して回復させます。僕の得意技です。本当は呪術師が取り持つものですが、今日は僕が呪術師と添い寝人の一人二役で行きます」

「ちょっと待て。そなたの気を私に移すのか、私の気をそなたに移すのか」

「マリラさまはたいへんお疲れです。疲労困憊した方の気はいただきません」

「それは…効くのか」

「効きますとも」

「そなたもここで眠るのだな」

「はい、ずっと傍におります」

「カレナード」

「はい」

「手を繋いで良いか」

「どうぞ」

マリラは祭礼用のマントを口元まで寄せた。

「カレナード」

「はい」

「今夜はすまなかった」


カレナードはマリラの手をそっと握り、詠唱を始めた。

『青い夜が降りてくる、玉蜀黍の畑に、冬小麦の畑に。

畏れの夜が降りてくる、公会堂の屋根に、みどり児の屋根に』

 カレナードは眠りに落ちていくマリラを見詰めた。取っ組み合いをした相手はすぐに眠ってしまった。

 彼は女王がますます分からなくなった。彼女は不可解な女そのものだった。

 端麗な顔に疲れが貼りついたマリラを蝋燭の火が照らしていた。

 マリラの寝顔は孤独に満ちていた。だから、彼女は夏至祭にかこつけて踊り比べに出場し、彼と戯れようとした。


 カレナードはふと後悔に似た感情に襲われた。マリラの誘いに応じても良かったのだ。自分のちっぽけなこだわりなど捨て、トペンプーラが言ったように彼は自分を捨て、女王と快楽を共にして何の不都合があったのだろう。

 彼女と抱き合えたかもしれないというのに。彼女に隷属する結果になるとは限らなかったのに。

 カレナードは自分の狭量さを今更嘆こうとはしなかった。

「シャルに言わせると、ケツの穴が小さい男だ。だから、添い伏しをして差し上げようと決めたんだ。せめて僕に出来ることを」

 彼は衣装の下の自分の胸の膨らみに触れてみた。それはリリィに嬲られ、マイヨールに見守られ、マリラに迫られた胸だ。彼は再び複雑な心境に陥った。蝋燭の火が消えようとしていた。火が消える瞬間に、静かにマリラの額に口づけした。彼は広いマントの下に滑り込んで、女王の手を自分の胸に乗せた。


 ジーナは緊張を解いた。

「警備隊の出番がなくて何よりでした。済まなかったわね、ピード殿」

「女官長、それは構いませんよ。せっかくですから夜明けまでここにいますよ」

 ベルが「どうぞ」と言って、夜食を取り出した。

「アライアとイアカ候補生と私が当直です。いて下さると助かりますわ。ドルジン殿は起こしましょうか」

 その時、道化がムカデのおもちゃを籠いっぱいに女官テントに放り込みに来た。目敏く見つけたのはピードだ。

「ワイズ・フールめ、一泡吹かせてやろう」

アライアがさっと鞭を取り出した。

「夏至祭ですもの。道化と遊んで差し上げましょう」

 道化の悲鳴をよそにマリラとカレナードは眠りの中にいた。

 舞台上に艦長の酒蔵が上がり、無礼講の最後を飾っていた。

 月が隠れたのは午前4時で、すぐに夜明けが来た。

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