第6章 床に落ちるビスチェ
カレナードも歌の意味は分からなかった。口ずさむマリラが手招きした。彼は膝の上のリュートを座卓に置き、2人はゆっくり踊った。競う必要もなく、ちょうど良いくらいに疲れてもいた。
カレナードは踊りをやめて、マリラに訊いた。
「歌の意味を教えてください」
「アナザーアメリカ以前の歌だ。『恋は野の鳥、意のままにならぬ気まぐれ、捕えても骨折り損、私に触れると怪我をする』太古の歌だ」
「お気に入りですか」
「私がアナザーアメリカに来る前の遠い記憶にある歌だ。忘れらぬ」
カレナードはマリラの途方もない旅路に改めて驚き、アナザーアメリカ創生前に人の歴史があるのを知った。
「あなたの故郷はどこなのですか」
マリラは故郷という言葉に少々戸惑ったようだった。
「故郷か。私にそれを尋ねた者はいなかった。私自身も思い出すのを忘れていた。生まれたのは海の向こうだ」
カレナードは目を見張った。
「サージ・ウォールの向こう側ですか」
「そう、アナザーアメリカの東海岸、北メイスから海とサージ・ウォールを越えて、15000kmの果て、遠い大陸に私の故郷がある」
「海の向こうやサージ・ウォールの外側にも、人がいるのですか」
女王は残っていたグラスの中身を飲み干した。
「正確には『いた』のだ。今もいるかどうかは分からぬ。それを知る手立てはない。創世以来、ウォールを越えて来る者はいなかった」
「故郷をご覧になりたくはありませんか」
「ガーランドも飛行艇もトール・スピリッツもウォールを越える性能を持たぬ。故郷を見るのは不可能だ」
マリラは遠くを見ているようだった。
「私の知るEUは滅んだであろう。アナザーアメリカが私の居場所だ」
マリラはいきなりカレナードの背中をつついた。
「何でしょう」
「春分の怪我はどうなのか。確かこの辺だろう」
「完治しています。ドクトル・リリィが保障してくれます」
「傷痕が残ったのではないか。見せなさい」
「だめです。新参は祭り衣装を脱いではなりません」
「そんな規則を誰がでっち上げたのだ」
マリラはふふふと笑った。
「胸を見せよと言っているのではない。傷痕を確かめたいだけだ」
ベル・チャンダルの教えがカレナードの頭をかすめた。彼は飾り帯を外し、上衣をたくし上げて背中をマリラに向けた。
「そなた、帯で胸を巻いてよくも踊れたものだな。外すぞ」
マリラの指は帯とビスチェの前の留め金を取った。早業だった。
カレナードは衣装で胸を隠した。
「マ、マイヨール先生がビスチェをくれたのです」
「そうか、それは重畳。傷はやはり痣になったか。申し訳ないことをした」
言葉と逆に、マリラの手の平が背中をゆっくり這っていった。指は彼の衣装をさらにめくり上げ、首筋を撫でた。明らかに官能的な動きだった。
2人の均衡はもろくも崩れていった。女王の香りが彼を包んだ。カレナードは心に叫んだ。
「ベル・チャンダル!逆らわずに逆らう方法はないのですか!僕に知恵を授けてください!」
頭が空回りするうちに、マリラの唇が傷痕に触れ、手は胸に回り込んだ。
「うわあああああっ!」
カレナードはその場を飛び退き、咄嗟に拾った飾り帯で衣装を元通りに腰で縛った。だが、ビスチェと帯はマリラの足元に落ちていた。
テントの外ではジーナの眉根が深くなっていた。
「ままごとどころでないわ。戦争よ」
マリラは悠々と片手を腰に当て、狙った獲物を逃すつもりは微塵もない。
カレナードはまたしても女王に翻弄される立場を呪った。彼は簡単にマリラの遊び道具に成り下がる気はないし、女の体でマリラの情を受け止めるのは耐えられなかった。
彼女の心身を傷めずに、欲望だけを止められるか?彼はドクトル・リリィに与えた苦しみをマリラに与えたくなかった。
マリラはゆっくりと近づいた。
「逃げるな、カレナード。そなたに触れていたいのだ」
恐ろしい誘惑だった。背中はまだマリラの手の温もりを覚えていた。カレナードは踏ん張った。
「マリラさま、お戯れはお止め下さい。今、それをなさるべきではありません」
「まるで道化のような物言いをする。おやめ、フールの真似など」
「お分かりでしょう、僕の体は抱き合えない体です」
マリラはこともなげに言った。
「未熟者、抱き合う方法など抱き合う者同士で、いくらでも見つけられる。さあ、おいで」
カレナードは顔を横に振った。マリラは舞台の上でしたように、優雅に左手を差し出した。
「手を取りなさい、カレナード」
マリラの美しい指が目の前にあった。彼は一歩下がった。マリラが一歩歩んだ。そうして2人は内陣の端まで行った。
「そなた、女に恥をかかせる気か」
「そのようなつもりはありません」
「ならば、優勝者の名誉をやり直しなさい。手の甲にキスくらい構わぬだろう。さすれば許してやろう」
「ゆ、許すと」
「そう、女に対する無礼を」




