第6章 女王の我が儘、再び
カレナードに柔らかい室内履きを履いた。アライアが先導して内陣に入った。
「マリラさま、カレナード・レブラントが参りました」
内陣は広々としていた。柔らかい灯火と緑を基調とした垂れ幕が草原を思わせた。所々に座卓とクッションが置かれていた。女官は祭り衣装に長いジレを羽織り、穏やかなムードだ。
マリラは浅葱色の部屋着に白い兎毛のボレロを着ていた。髪をほどき、ローズピンクの室内履きが部屋着の裾から出ていた。彼女は床のクッションに座り、カレナードにクッションをすすめた。彼は女王の前にひざまずき無礼を詫びた。マリラは鷹揚だった。
「言ったであろう、あれは事故だと。そなたは目測を誤ったのだ。第10曲をあのように踊れば誰でも朦朧となろう」
ジーナはベルに訊いた。
「そんなに凄かったの」
「ええ。私、見とれてしまいました」
カレナードは夏至祭に感謝した。祭りゆえに許されているのがひしひしと伝わった。彼がその場を辞するとマリラは引き留めた。
「せっかくの機会だ。ぜひ私にもてなしをさせておくれ、カレナード。女官たちは明朝の日の出まで暇を出す。公務を離れて夏至祭を楽しんで来なさい」
再びマリラは気まぐれを起こした。いくら夏至祭とはいえ、ジーナは素直に従うわけにいかない。
「マリラさまをお一人に出来ません」
「何を言っている、カレナードが私の傍にいる。それで十分だ」
カレナードもまた素直に従うわけにいかなかった。外の回廊にいる女官候補生は女王と女官と紋章人の応酬に耳を澄ませた。が、最後に言い分を通すのはマリラだ。
「私は数十年ぶりに踊り比べに出た。素晴らしいパートナーであったからこそ、最後まで踊れたのだ。彼は先ほど以上の無礼はすまいよ、女官長。心配には及ばぬ。彼と水入らずで話がしたいだけだ。夏至祭なのだから」
ジーナは秘かに決心していた。何があってもこのテントの傍に控えているのだ。女官長職を解かれても後悔しない。今の女王は不測の事態がいつ起きてもおかしくないと、判断していた。
「カレナード、あなたは今からたった一人の侍従です。マリラさまを頼みます」
カレナードは従うしかなかった。マリラ・ヴォーはいつもこうだ。カレナード・レブラントを前にするとなぜか豹変する。ベルがすれ違いざまに言った。
「逆らわないのがコツなのよ。オンヴォーグ」
彼女の芯のある声がカレナードを励ました。
やがてテントは静かになった。マリラはそっと回廊を見てから、首を内陣に引っ込めた。
「そなたに、まだ飲み物を出していなかったな」
マリラはギャレーに向かい、グラスを取り出した。カレナードはあとを追い、手を出した。その手をマリラは押しとどめた。
「私がもてなしたいのだ。女王とて、自ら盆を運びたい時もある」
カレナードはベルの言葉を思い出した。
「では、僕は別の用意をします。マリラさまの願うことと一緒でいたいのですが、それでよろしいでしょうか」
その瞬間、2人の間に踊り比べと同じ感覚が甦った。マリラは頷いた。
「そうしよう、カレナード。座卓の両側にクッションを敷いておくれ」
マリラは差し向かいで飲みたいようだった。彼女は気さくな手つきで軽いカクテルを用意していた。カレナードが内陣を整えているとチーズが焦げるにおいがした。ギャレー奥のキチネットでマリラが小型フライパンと格闘しているのが見えた。チーズを焼いていたのだが、皿に移せないでいた。
「引っ付いてしまった」
カレナードは木べらをうまく使ってみせた。
「美味しそうです、マリラさま」
「そうか、良かった」
テントの外でジーナとアライアがマントにくるまり、聞き耳を立てていた。ベルとイアカは近くの女官テントに待機していた。アライアは中の様子に微笑んだ。
「ままごとのようですわ」
ジーナの眉間には皺が寄りかけていた。
「そんな可愛いもので済むかしら」
マリラとカレナードが内陣へ移ると話し声はほとんど聞き取れなくなった。ジーナは警備隊のピードとドルジンを呼び出した。2人は艦長の酒蔵に寄っていたため、少々酒臭かった。おまけにドルジンは良い具合に酔っていた。
「それでぇ我々はぁ待機しておればよろしいのでぇすね」
「ドルジン殿、チャンダル女官の指示で動いてくださいませ。それまではお休みいただいて構いません。ピード殿も」
ジーナはベルの居るテントからドルジンのいびきが聞こえても、慌てなかった。
「警備隊ですもの。号令がかかれば飛び起きてくるわ」
しばらくしてマリラの歌声が外まで聞こえてきた。第8曲の旋律だった。カレナードが伴奏しているのか、一本指で爪弾くリュートの音がした。古い言語で歌われているため、ジーナは意味が分からなかったが、アライアは安堵していた。
「マリラさまが歌われるなんて。よほどご機嫌がいいのですわ」
「アライア、まだ分からないの。カレナードが居る時のマリラさまは別人なのよ」




