無添加の子ども
私は、私の名前が好きでした。ママがつけてくれた名前、マシロ。
なめらかな新雪のように、青空に浮かぶ雲のように、きらめく天使の羽のように、汚れなく清らかであれとママが願ってつけた名前。
マシロ、ママの可愛い天使ちゃん。ママはそういって毎晩おでこにキスをしてくれました。
ただママの悲しむべきことに、私が生まれてきたこの世界は毒まみれでした。
薬品、化学調味料、添加物、着色料、香料、化繊、ポリエステル、コレステロール、殺し合いのゲーム、低俗な番組など、たくさんの「悪いもの」から私を守るべく、ママは日々奮闘していました。
赤ちゃんの頃はまだ良かったとママはよく言いますが、赤ちゃんの頃の記憶は私にはありません。
幼稚園に行き始めて、少しずつ、私がお友達と違うことに気づきました。
お友達が着ている服はカラフルで、かわいいキャラクター絵がついていたり、リボンやフリルがついています。私の服はいつも地味で無地で、風通しが良くて冬は寒く、ママいわく「オーガニックコットンでお高い」のだそうですが、私はお友達みたいに可愛い服が着てみたい、と思っても言えませんでした。
小学校に入ると給食が始まりましたが、ママいわく「みんなが食べているのは毒だらけ」だそうで、私は給食を取らず、ママの手作りのお弁当を持って学校へ行きました。
ママが「マシロのためを思って」作ってくれたこだわりの特製お弁当でしたが、私は一度でいいからみんなと同じ給食が食べたかった、とは思っても言えませんでした。
高学年になると、「マシロちゃんは特別だから」とお友達からはぶられることが増えました。
みんなと同じようなオシャレができず、「無添加でお高い」シャンプーは髪がきしんで匂いは変で、みんなが当たり前のように知っている芸能人を1人も知らず、お菓子のシェアもできない私が、友達の輪に入れないのは至極当然でした。
明らかに周りから浮いている私を見て、ママは「毒されなくていい」と満足そうでした。
中学に入ると、友達が1人できました。アカリという名前の女の子です。
アカリも周りから浮いていたので、浮いている者同士、自然と寄り添ったのでしょうか。
アカリは私と正反対のタイプでした。明るくカラーリングした髪の毛はキラキラと輝き、ヘアークリームやら化粧品やら柔軟剤の良い匂いをいつも漂わせ、不自然にくるりんとしたまつ毛やテカテカと艶のある唇をしていました。
きらびやかな爪で、艷やかな唇で、添加物たっぷりのジャンクフードを食し、オシャレや男の子の話をし、私をそそのかしました。
少しくらい食べてみたら?別にアレルギーじゃないんでしょ?ほら美味しいでしょう、毒じゃないって。あ、このリップ思ってた色と違うからあげるよ。このマンガ面白いよ、貸してあげる。お母さんにバレないようにね。
アカリは「悪い子」で、親切で優しかった。ママが忌み嫌う「毒」でできたような子でしたが、私は嫌いじゃなかった。
ファーストフードも市販のお菓子も信じられないくらい美味しくて、ママが材料にこだわって手作りしたボソボソしたケーキよりも数倍美味しくて、ママへの申し訳なさで胸が苦しくなりました。
ママ、ごめんなさい。ママが必死でありとあらゆるものと戦い続けてマシロを綺麗で健康で生き長らえさせようとしているのに、マシロは自ら毒され、いっそ死んでしまいたいという衝動にかられています。
苦しくて苦しくて、私は1人でゲェゲェと吐きました。美味しかった毒をすべて吐き出して、ママの前では綺麗なマシロでなくてはなりません。何事も変わっていないように。変わったと悟られないように。
しかしある日ママに見つかってしまいました。
部屋のクローゼットの洋服の奥深くに隠していた、アカリからもらった色つきリップと読みかけの漫画1冊を。
学校から帰ると、この世の終わりのような顔したママがそれらをテーブルの上に並べて待っていました。
ママの叱責は2時間続きました。泣いては罵り、泣いては激怒し、泣いては呆れかえり。マシロのために、マシロのためを思って、とママは何度も言いました。泣きたいのはこちらでした。
あなたはその子に毒されているの、とママは言い、アカリと縁を切るように言いました。
私の中でふつふつと沸いてきたものが一気に沸点に達し、熱い怒りが肉体を駆け巡りました。
縁を切る?
この世界から絶縁されているのは私のほうではないか。私は集団から拒絶されている。浮いている、馴染めない、ヒソヒソ指さして笑ってくる奴らとは決して相容れない。それはあんたのせいだ。あんたが、毒されないように毒されないようにと、エゴで私を育てたせいで。この毒だらけの世の中では異質なものになってしまった。生きづらくてたまらない。
どうしてこの世界は毒だらけなのか。
毒は怖い、嫌だ。綺麗でいたい、健康でいたい。長生きしたい。だから添加物はとらない。着色料も香料も怖いし柔軟剤は使わない、化粧なんてもってのほか、毒を顔に塗っているようなものだ。衣類もオーガニックでなければ駄目、化繊なんてチクチクして肌がかぶれるし、縫い目も無い方がいいからシームレス。そう、服なんて無いなら無い方がいい。ねえそうでしょ、ママ。人は自然に戻るべきなんだ。
獣の咆哮のようなものが私の喉から発せられた。自分でありながら、自分のものではない声だった。
服を脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿でもう一度吠えた。頭をぐるぐる回して長い髪を振り乱すと、ネコ科の獣のように喉奥もぐるぐると鳴った。
テーブルに飛び乗り四つん這いになり、唸り声を上げながら怯える女を睨みつけた。
女は真っ青な顔で、口をパクパクさせている。声にならない何かを必死で繰り返していた。