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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

サイコバスター(psyco-buster) 学級委員な彼女

作者: ささやまみくに

 彼女は学級委員。誰にでも優しくていつでも笑顔。みんなに分け隔てなく接するクラス…だけでなく学校すべてのアイドルだ。

 遠い存在だった彼女。誰にでも明るく声をかける天使のような彼女から声をかけられたことは何回もある。だけど近くて遠いというのか、届きそうで実は全く手の届かない存在なんだよ。それがこんなことになるなんて、その時まで考えもしなかった。そして彼女の…天使の真実の姿が実は偽りであったことを知るなんて誰だって想像もしなかったろう。


 彼女、琴ヶ島千春を嫌いだという俺たちのクラスの生徒を男女問わず一人として見たことが無い。彼女が怒った顔だって誰も見たことが無いだろう。

 彼女はクラスの学級委員であるが、特定の誰かと特に親しくすることはないのだが、俺のように地味で目立つことの無い生徒にも何くれとなく声をかけてくれる。大和東中学の3年B組は琴ヶ島千春の存在によって成立しているようなもので、実際、担任教師の小林先生がいなくても琴ヶ島千春がいればクラスは十二分にやっていけるとも言われている。

 そんな優等生でありながら同じ女子生徒からも妬みや反感を持たれることもなく、皆から信頼されている所が彼女の凄い所なのだろう。

 一つの伝説が俺たちの学校に残っている。喧嘩をしている同じ学年の札付きの不良同士が、近くにいた柔道部やラグビー部の猛者達さえ誰一人止めることができずにいた所に当時一年生だった千春が偶然通りかかり、あの笑顔で

「やめようよ。ねっ」と一言言っただけで、何故かその喧嘩がピタッと止まって、借りてきた猫のように大人しくなったという神話である。

 こんな風に学級委員の彼女の存在によって、俺たちの在学する大和東中学の平和は守られていたと言っていいと思う。二十一世紀の中学校の荒んだ空気、教室で好き勝手に暴れる問題児、授業そっちのけでスマホに熱中する生徒たち、そんな今時の普通の中学校の姿を体現できない、彼女が三年生になった今の大和東中学の不思議な空気は、その一人の女神の存在の為だと思われていたんだ。こうなってくると3年B組の小林先生どころか、校長がいなくたって大和東中学は琴ヶ島千春がいればやっていけるという奴まで出てくるくらいだ。

 学校の方はこうして平穏が保たれていたが、それとは真逆に俺たちの住む大和町は今、日本中の注目を集める町になっていた。この町で起こった猟奇的な連続殺人事件の為である。

 この3ヶ月間に6人もの町内の人間が切断された遺体で発見されるという狂気としか思えない事件。被害者の間には、この町内の人間という以外には特別な繋がりはほとんどない。

 もちろん狭い町内での事件だから、違う学年だが同じ学校の卒業生とかいうものはあったらしいが、お互い同士の接点などは全くなく、警察もこの狭い町内で短期間に起こった事件にもかかわらず有力な手掛かりを見つけることができずにいたのである。

 当然のように大和東中学でも登下校時の集団行動やら、遅くまでの部活の禁止などの措置が取られていた。

  

 12月1日の放課後、最初の事件が起きたと言われる9月1日から、ちょうど3ヶ月目の日だった。

 俺はクラブ活動もやっていない、いわゆる帰宅部だ。

 もっとも今はクラブ活動とかはほとんど強制中止、即時の下校を求められていた。いつもなら俺も、とっとと家に帰るのだが、なぜかこの日に限って授業終了後、教室の机でうっかりそのままうたた寝をしてしまったんだ。こんな事はこれまで一度もなかったのに。

 そしてクラスの他の連中や担任は、俺が特に親しい仲間もいない一匹狼と言うこともあるが、なぜか俺をほったらかしにしたまま全員がさっさと帰宅してしまったらしい。

 担任はまだ職員室にはいるんだろうが、鍵もかけずに俺を寝たままにしていたようだ。

 ふと気が付くと窓の外から夕陽が差し込んでくる。教室の時計は下校時刻の十分前である5時を指している。全員が早々の帰宅を強制されている現在、下校時刻に大した意味はないんだが、俺は下校時刻の予鈴である、このチャイムの音で目が覚めたらしい。

 まだ少し頭がぼんやりしている所に、いきなり教室の扉が開いて『彼女』琴ヶ島千春が何故か入ってくる。セミロングのポニーテールが揺れた。

 呆け顔の俺に彼女は天使のように微笑して言う。(天使の微笑なんて見たことはないが…)

 「あ。上野山君まだいたんだ」

 本当に彼女は清らかで美しいと思えた。

 「もう下校の時刻ですよ。早く帰らなくちゃ」

 何か返事をしたいと思ってもなぜか声が出てこない。魅入られたとでもいうのか、魔の刻とやらを体験しているかのように力が入らない。

 「私は学年集会で今までかかっちゃった。『危ないから早く帰らないといけないですよ』って、みんなに徹底させるんだって。それを決めるために今までかかっちゃった。ヘンだよね」

 「そーなのか」

 やっと声が出たと思ったら、こんなマヌケな返事だった。

 「そーなの」

 琴ヶ島千春は気にするでもなく優しい笑顔で言う。

 「この頃怖い事件が続いてるでしょ。上野山君のおうちも私の家と同じ方向だよね。良かったら一緒に帰りましょうよ」

 何というラッキー。うっかり眠っちまったのが、こんな幸運に繋がるなんて。だが、小さな疑問が起こる。

 「俺の家知ってるの?」

 「東商店街をちょっと過ぎた所だよね。クラス名簿に書いてあるでしょ」

 「すごいね…」

 さすが学級委員。俺なんかはクラス名簿なんてあったことさえ知らなかったが、クラス全員の住所も全部把握しているのか。

 「エッヘン。すごいの」

 おどけてクスクス笑う。ヤバイ…笑顔になんだか吸い込まれそうだ。

 「私とても怖いの。だって人をバラバラにしちゃう犯人がこの辺りにいて、まだ捕まってないんだもん。でも男の子と一緒なら安心だよね」

 頼られて悪い気はしないが、6人の被害者は老人から子供…だけでなく若い男もいた。特に体格がいい訳でも、格闘技をやっている訳でもない俺が役に立つか?

 まあ女の子一人よりは俺みたいな男でも二人でいる方が心強いのは確かだろう。ましてや近くて遠い高嶺の花の学級委員な彼女と仲良くなれるきっかけを作る絶好のチャンスじゃないか。今を逃したらこんなチャンスは卒業まで…いや、一生ないかもしれない。

 「下校時刻過ぎたら怒られちゃう。一緒に帰るのがどうしても嫌なら仕方ないけど、とりあえず校門から出なくちゃね。ゴーゴー」

 意外なハイテンションだが多分、自分を勇気づけようとしているのだろう。陽の落ちるのも早い冬の日の夕方、こんな凶悪事件も起こっている今、『一緒に帰るのは嫌だ』と断ったら確かに怖いだろう。

 「断るなんてないよ。良かったら一緒に帰ろうぜ」

 「よかった~」

 琴ヶ島千春は俺の両手を包み込むように自分の両手で抱えて嬉しそうに笑った。

 校門を二人で急いで飛び出す。さっきの予鈴が鳴るのが五時で、正式な下校時刻は五時十分と十分間の余裕がある。腕時計を見る。五時八分…2分セーフだな。

 「セーフ」

 千春は両手を大きく左右に開きながら微笑む、おどけた仕草も女神がかってる。

 何も起こっていないいつもの日常なら部活帰りの他の生徒もそれなりにいる時間だが、帰宅指示の出ている現在、俺たち以外に学生はいない。学生どころか一般人や車の姿さえ見当たらない。

 夕暮れの中、二人並んで学校から帰る。学園の女神と二人でだぜ。もしも他の奴らがここにいたらやっかみが凄いだろう。

 琴ヶ島千春はだんだん暗くなってくるから早く家に帰りたいんだろうと思うが、ゆっくり二人並んで話しながら歩く。

 「怖い事件だよね。どうしてあんなひどい事出来るのかな」

 「そうだね」

 口下手な俺は全く気の利いた返事ができないのがもどかしい。

 「私なんて虫を殺すのも嫌、虫とか寄って来たら『お願いあっち行って』って下敷きとかでお払いするの。虫を殺すことってなんだか許せなくて」

 優しい言葉を優しい笑顔で言う彼女。心がだんだん引き込まれていくのを感じる。

 「殺される人は殺されるときに何を見て、何を感じたのかな。そんなこと考えたことある?」

 「ないな。でも、きっと怖かっただろうね」

 「そう、きっとね。きっと怖かったよね」

 なぜか彼女は二回繰り返して言う。

 「大切な事なので二回言いました。あ、それなら虫殺すのも嫌だって二回言っとかないとね」

 すまし顔で言ってからこちらを見てクスクス笑う。少し場違いな気もするが、緊張をほぐすジョークなんだろう。


 狭い町内で6件もの連続殺人が起こっている。俺にとっても生まれ育った愛着ある街だ。もうじき市政化するとか言う噂もあるが俺にはよくわからない。

 だが今は市になるとは思えないくらい人の姿は見えないゴーストタウンのようだ。薄暗くなった今では学生だけでなく人の姿は相変わらず見えないままだ。夕方から早々に雨戸を閉めて静まり返る街。こんな事今までにあっただろうか?ガキの頃に一度だけあったような気がするが、はっきり思い出せない。

 警戒の為に走り回っているパトカーや警邏中のポリの姿だけが最近はやたら目に付く。今も遠くの曲がり角の向こうにパトロール中らしいポリの姿が見えた。

 と、琴ヶ島千春は信じられない素早さで俺の腕をつかみ、近くの民家の開いていた門の中に引き込んだ。

 「しっ、静かに」

 小さな形のいい唇に人差し指を素っと当ててささやく。いつも絶える事の無い笑顔が緊張した表情に変わる。

 「ねえ、どうしてこんな小さな町で一件だけならまだしも、六人もの人間が連続して殺されたと思う?」

 「え?」

 小さな声だが確信に満ちた口調に俺は言い返せない。

 「絶対に疑われることのない人物が犯人だから。そう、犯人は警察なのよ。だから疑われることなく、これだけの連続殺人をこの小さな町で短期間に引き起こせた」

 さっきの警官はこっちに向かって歩いてくるようだ。足音がだんだん近づいてくる。

 「隠れよう。私、殺されたくないよ。助けて、上野山君だけが頼りなの。あなただけが私を助けられる」

 魔法をかけるような潤んだ瞳。彼女を絶対に助けないと。それは俺だけができることだ。

 なんだか自分に力がみなぎってくる。俺は力強く頷く。

 「ここ、入ろう」

 迷うことなく千春はその家の玄関のノブを回す。

 「オイオイ、いいのか?」

 「事情を話せばわかってくれるっ」

 ドアは鍵がかかっていないのか簡単に開いた。鍵を掛けていなかったようだ…と言うか、家の中の様子がおかしい。

 室内の淀んだ感覚には人の生活している気配がない。なんだかガランとして家具とか靴もない。良かった、ここは空き家だったのか。

 しかし、ほっとしたのもつかの間、門を開けるような音が聞こえる。

 事件が頻発している現在、警邏中の警官が鍵の壊れた空き家をパトロールするというのは、ある意味、理には適っているが、俺たちが空き家に入るのを、殺人鬼が見たという可能性だってある。

 何しろ、こっちから向こうが見えた以上、向こうだけこちらが見えていないと断定できる理由はない。

 空き家にカモが入っていった、殺人鬼にとっては自分から獲物が罠に飛び込んでくれたようなものじゃないか。

 「大丈夫」

 頼れる学級委員長は小さな掌で俺の手をきつく握りしめて言う。

 「あなたがいるから私は助かる。絶対に」

 体が熱くなる。彼女を必ず助けないと。

 「そこの玄関を入ったすぐ右側にあるトコの部屋に隠れて。私が玄関の一番奥の部屋の前でおとりになるから。アイツが入って来たら私がここまでおびき寄せるから」

 「危ないよ、キミを危険な目に合わせるなんて」

 「黙って。これが一番安全で確実な方法だから。これ…」と、俺の手にポケットから出した何かを渡す。護身用のスタンガン?

 「これは…スタンガンか]

「そう、これのスイッチを入れてヤツがここまで来たら相手の体にたたきつけるように背中に向かって体ごと突進して。相手はプロだからタイミングを絶対に間違えないで。早すぎても遅すぎてもダメ。6人も殺してる相手よ。失敗したら二人とも殺される。お願いね、私を…助けてください」

 俺の手を両手で包むように握りしめて小さな唇をそっと当てる。顔を上げた千春は小さく頷くと奥の部屋の前まで小走りに駆けていく。

 俺も部屋の手前にある右側の部屋に入った所にスタンガンのスイッチを入れて姿を隠す。

 その瞬間ドアが音もなく開かれた。そこに立っているのは間違いなく、さっきのポリだ。奥の部屋の前に立っている千春とポリの目が合う。

 千春は声を出さずに口だけがポリに向かって動く、読唇術を知っている訳じゃない俺だが、その口の動きはなんとなくわかった。

 『た』『す』『け』『て』

 ポリが玄関の中に駆け込んでくる。千春は恐怖に怯えたような表情で俺の隠れた右側の部屋の反対側にある左側の部屋の扉をそっと指さす。当然駆け込んできたポリは俺のいる部屋の反対側の左側の扉に入ろうと俺に背を向ける。

 時は今しかない…


  

 「生きてるの?」

 「生きてるでしょ。コレ殺人用の道具じゃないし」

 「スタンガンってこんなに強烈なんだ…」

 倒れてピクリとも動かないポリを見下ろしての二人の会話。

 「当たり前でしょ。護身用なんだから。中途半端なダメージ与えるだけならすぐに反撃されて確実に殺されちゃうでしょ」

 冷たい目でポリを見る千春。しかしこっちを見ていつもの優しい笑顔になる。

 「とにかくありがとう。上野山君は私の命の恩人。ナイトだね。私一生、あなたが死ぬまでこの恩を忘れないよ、きっとね」

 「で、どうすんの?これから。警察に通報する?それとも逃げる?でも逃げたら殺人犯野放しだよな。琴ヶ島さんは顔も見られてるし」

 調べて行けば連続殺人の証拠が出てくるかもしれないが、今日の所は相手は手を出していないし、逆にこっちは不法侵入と傷害罪に公務執行妨害なんてのも出てくるかもしれない。かなりヤバい事になったかもしれない。しかし、何としても彼女だけは守らないと…

 二人して考え込んでいると、冬の今では季節外れのスズメバチがこの空き家に迷い込んで出られなくなり、餌もないままに死にかけていたのかフラフラと千春に向かって力なく飛んでいく。

 「危ない!」

 幸い死にかけのスズメバチで力も残っていなかったので、俺は持っていたら学生鞄でたたき落として踏みつぶした。そして、しばしの沈黙。

 「何時殺すことなかれ…」

 「え?」

 「だけどね、人間っていつか死ぬの。そう、死んじゃうのよ。結構簡単にね。ギャハハハハ」

 「琴ヶ島…さん?」

 「私ね、虫…殺せないって言ったよね。殺すことを許せないって。ね、言ったよね」

 「うん…確かに、言った…けど」

 「死ぬときに殺される人は何を考えたの?怖かったの?そうかな、怖くないよね。だってね、考える暇もなく一瞬だもん。だから怖いとか思う時間なんてないの。ギャハハハハ」

 どうしちまった?壊れたのか。

 「あなたは私のナイトだね。だからね、今から私はあなただけの彼女だよ。嬉しい?嬉しいよね。ウフフ、そうなんだ。でもね、虫を殺したらダメなんだよ。だって虫だってもっと生きたかったのに可愛そうじゃない」

 顔を上げて彼女を見直す。

 いつの間にか彼女は自分の通学用の鞄を開いていた。

 鞄の中に手を入れて、数学の教科書と物理の教科書の間から引っ張り出されたものは教科書とは全くかみ合わないものだった。

 スパナ?琴ヶ島千春は取り出したスパナを思い切り倒れているポリの頭めがけて振り下ろす。一瞬で回りが真っ赤に染まった。

 「ほらね、怖くないよね。だって、怖いとか考えてる時間ないし。ギャハハハハ」

 千春は狂気のような笑顔からいつもの優しい笑顔に戻ってこちらを見る。

 「それにね、殺人犯人かもしれないしね。警察だからって妄信したらダメだよ。先にやらないと私たちが殺されるかもしれないでしょ。あなただって今やってくれた事じゃない。だから私は全然悪くないの」

 千春は廊下に落ちているスズメバチの死骸に視線を移す。

 「可哀そう…でもね、虫だってきっと、もっと生きたかったんだよ。勝手に殺したらダメだよね。だからあなたは罰を受けないと。ゴメンね、あなたの恩を一生忘れないってついさっき言ったけど、私もう忘れちゃうんだね。だってあなたの一生は今ここで終わるんだもん。残りの人生って、あと百年だったかもしれないし、あと15秒なのかもしれない。人の人生なんてわかんないもんだよね」

 美しい学級委員長は他人事のように言う。

 いつもと変わらない優しい聖母のような笑顔で再び琴ヶ島千春はこちらに向き直る。この陰惨な場面に似合わない学級委員の笑顔が俺だけを見つめている。昨日まで何度となく夢に見た、最高のシチュエーションのはずなのに、たった一度の叶った夢という現実は俺の人生で最悪の瞬間になるのかもしれない。

 「あなただけの私だよ。本当にありがとう…そして」

 血まみれのスパナが今度は俺めがけて、思いっきり振り下ろされる。

 「さ・よ・な・ら」

 目の前が真っ暗になる…彼女は学級委員。誰にでも優しい天使な学園の…・



   ①二十一世紀の仕事人

 私の名はモーリス小暮。ある気鋭のIT企業を操り29歳にして年収100億円を誇る実業家である。今日はあるビジネスの要件でこれから釧路へ向かう所なのだが、偶然空港で仕事関係の旧知の男と出会って少しばかり世間話をした。話題は空港の待合にあるテレビでやっていた、ある殺人事件の話から過去にあった連続殺人事件の話になった。奴は言う。

 「十年ばかり前、大和市で七人だかの連続殺人ってのがあったじゃねーか。結局迷宮入りだとかで終わったってさー」

 「あー、あったっけ。確か今の市政になる前だったかね。何でも最後の目撃者ってのが、唯一犯人を目撃してて、犯人は背の高いうりざね顔の男っていうか。歌舞伎の女形みたいな感じのナヨった男で、モンタージュなんかもあの頃は出回ってたが今はトンと見ねえ。もう昔の話だしな。今はそれよか『仕事人』だろ?」

 「そーそー、世の中の法で裁けない悪っての?そいつをたたっ斬る二十一世紀の仕事人。ある時は札幌で与党の悪徳汚職議員。自分の収賄の責任をすべて謎の自殺をした秘書におっかぶせて、本人はのうのうとしていた大物長老議員がホテルでたたっ斬られ。お次は長崎での中学校で、授業中に大暴れした札付きの不良の馬鹿息子が注意した教師をクレーマーの親が告訴し、結果的に教師は慰謝料を取られ首になったのを苦にして自殺したんだが、そのクレーマーの親父が後頭部をぶん殴られてあの世行き。今度は東京で幼女誘拐殺人の容疑で逮捕された男が、限りなく真っ黒ではあるものの、証拠不十分で疑わしきは罰せずとか言って冤罪釈放とやらで逆に損害賠償を1億ほどふんだくった男が絞殺死されたと思えばその次は、沖縄で海外の怪しげな大企業に自分の持っていた国有地を売り飛ばした男が、海で謎の怪死を遂げた。余りに場所が飛び過ぎているし、手法もバラバラなやり口なんで全く別の犯人かとも考えられたんだが、今では金と暇が有り余ってて、ある種の妙な正義感にとらわれた人物、もしくはグループの犯罪と考えられている」

 「なるほどな」

 「金と暇が有り余ってるといやあ、モーリス小暮なんてピッタリじゃないか」

 「オイオイ、馬鹿言いなさんなよ」

 「大丈夫、お前さんには正義感なんて欠片もないから」

 こう言って二人大笑いしたのだが、搭乗時間が迫ったので、私は釧路行きのCLL74便のファーストクラスに乗り込んだ。

 私ほどのひとかどの人間ならば当然のことファーストクラスだ、さすがに専用ジェットとまでは行かないが、満席のはずの座席を、自社の社員の名前を使って周りすべての席を買い占めてしまった。搭乗の手続きはしてあるが彼等はドタキャンで乗ってこない。お金はきちんと払ってあるし、お互い損はないだろう。むしろ私以外の面倒を見なくていいので楽させてあげてるようなもんだ。

 さて、ゆったりと貸し切りの席に腰を据える。離陸時間が近付いて何人かの客室乗務員が室内に入ってくる。客室乗務員という種族はエリート意識、選民意識の塊で、お高く留まった方々が多いが、私の今日のファーストクラスの担当の女性は客室乗務員特有のわざとらしさ満載の作り笑顔でなく、自然な優しい笑顔でほほ笑んでいる。胸のネームプレートを見る。『琴ヶ島』と言う名前か。

 私は早速、この権力を最大活用することにした。安定飛行に移り、シートベルト着用指示が解除されると、すぐに自分のノートパソコンを取り出し、『CLLの美人客室乗務員 琴ヶ島』で検索する。

 画像を見るとすぐに『琴ヶ島千春』と個人情報なんたら法案などどこへやら、芸能人でも何でもない一民間人の情報が瞬く間に開示される。

 『琴ヶ島千春 24歳 白雪女子大と言う超お嬢様大学を首席で卒業後、CLL航空に入社2年目 しかし、残念と言うか、この若さと美貌で既にイケメンの彼氏と結婚しているという噂がある。そのカレシなる男は、イケメンではあるが事故で軽い障害を持った障碍者であるらしいが、ハッキリしたことは不明』と言ったことを、高々2分ほどの間にこの薄っぺらいノートパソコン一つで一般人である一人の女性の情報について私は一歩も動くことなく個人情報を手に入れた。私が言うのもなんだが全く怖い時代だ。

 満席のはずのファーストクラスだが私の周囲をすべて自分で買い占めているから周りには誰もいない。まあ金なんて腐るほどあるしな。私は飲み物を持ってきた琴ヶ島千春に

 「その空いている席はすべて私の座席なんだ良かったら少しそこに座って話さないかい?」

 「申し訳ありませんが。規則なので。ごめんなさい」

 予想通りの返答だが、『ごめんなさい』はいいね。杓子定規な言い方でなく心が感じられる。それに立場上こう答えられるのは想定内だ。

 私はすかさず持っていた自分の名刺を渡す。その名刺の裏には『今夜は釧路の東洋国際航空ホテルに泊まる予定なんだ。良かったら今夜逢えないかな?』と書いてある。

 琴ヶ島千春は名刺の名前を見る。超大手IT企業クリエイトCPの名前を知らない人間なんてモノを知っているまともな現代日本人ならほぼ皆無だろう。

 彼女は裏にも何か書いてあるのに気付いて一瞬だけチラリとこれを見ながらこちらを見て微笑する。

 「すみません。規則なので」

 まー立場上これも予想通りの反応だが私の名前とクリエイトCPの社名を見て後からのこのこやってくる客室乗務員なんてこれまで五万といたからな。

 一応次善の策として私は再びPCを開く。この今の航空便で釧路に行けば、折り返して飛行機で東京や別の空港に移動するのは不可能だろう。彼女は当然、今夜はここのホテルに宿泊するだろう。さっき調べたデータから釧路近辺に親戚や友達の家があってそこに泊めてもらう可能性は少ないだろう。

 ネットで『CLLの関係者の釧路での常宿』を検索。これも1分かからずヒット。私の泊まる東洋国際ホテルはCLLのライバル社のTKK社の関連企業なので、当然、釧路では上位を争っている釧路プライスホテルだろう。まず彼女はこのホテルに泊まるのは99%間違いないと言っていいか。

 私はすかさずネットから釧路プライスホテルの一番いい部屋を予約する。ダブルブッキングになるが問題ない。取りあえず両方押さえておけば安心だ。仮に彼女が東国ホテルに泊まったならそっちに行けばいいのだ。両方とも一番いい部屋だが私の年収から見ればキャンセル料など安いものだ。

 彼女に渡した名刺にはもちろん携帯番号が入っているのだから連絡があるだろうし、取りあえずバーにでも行って軽く飲んでおくことにしようと私は釧路空港に着くとタクシーで釧路プライスホテルに向かった。


 釧路プライスホテルのバーで軽く飲んでいる。オープンには少し早い時間だが、私の名刺がモノを言ったのだ。気分よく飲んでいると不意に

 「隣、よろしいですかね?」と言う男の声。見ると20代くらいの若い男で、なかなかのイケメン…と言っていいような男なんだが、後頭部に隠し切れない大きな傷跡と動きなども少しばかりぎこちないから、何か事故などで障害を持っているのだろう。障害は別にいいが私は男に用はないんだがな。

 「お近づきの印に一杯奢りますよ、ハハハ」

 男はニヤニヤする。断ることもできたのだが私は仕方なく付き合うことにした。この男には何か引き付けるものがあったのだ。

 「じゃあ頂きますよ。ただし、初対面のあなたに一方的におごってもらう理由もないし、私からはこのナッツをお返ししますよ」とテーブル上にあったおつまみのナッツを差し出す。

 まあつまらない借りを作るのも面倒なので、ここでもっと高いお返しをしてしまうのも簡単なのだが、これは私流のジョークなのだ。男はそのジョークを理解したのかニヤリと笑って

 「じゃあ、ありがたく頂きますよ。ハハハ」

 ジョークの分かる男だし、ガラガラの店内で(と言うか開店前のはずだ)わざわざ隣に座ってきたにもかかわらず大した会話もないまま男は

 「おっと、もうこんな時間か。どうも御馳走さまでした。私はここらで失礼しますよ」

 と、あわただしく去っていく。自分の名前も名乗らず名刺も渡さないので、私の正体を知っていて、何らかの下心のある企みを持って近付いて来たのでもなさそうだ。

 「おかしな男だったな」

 私が苦笑している時、いきなりメールが鳴る。こっちのメールは女性専用の方か。仕事関係のメールは今日は切りっぱなしにしてある。重要な案件なら東京の秘書に任せてるので、そっちから連絡があるはずだ。もちろん女性専用ので届くしな。おや?見ないアドレスだが…。

 『あの…CLLの琴ヶ島千春というものなんですけど』

 待っていた名前、待ち人来たる…か。つい微笑がこぼれる。

 「ヤーヤー、クリエイトCPのモーリス小暮です。待っていたよ。ありがとう。いやー嬉しいねえ、光栄だ」

 『そうですね。こちらこそ嬉しいです。一度クリエイトCPの社長さんみたいな凄い人に、いろんなお話とか聞いてみたいなって思って。お仕事で来られてるんですよね』

 「いや、今日は完全なフリーさ。単なる観光旅行。だけど一人じゃ退屈でねえ。特に夜は話し相手がいればなあって思ってたとこなんだ。今も一人で寂しく飲んでるんだよ」

 『あ、実はもう東国空ホテルの前まで来ちゃってるんですよね、良かったあ。もしだめだって言われてたら釧路の夜を一流ホテルで寂しい一人ディナーして帰らなきゃいけないとこだったんです』

 柔らかな笑い声で嬉しそうな言葉が通話越しに聞こえる。とは言え、今はCLLの常宿のプライスホテルのバーで飲んでるんだが…頭の中でいろんな考えを素早く計算する。彼女を待たせてタクシーを飛ばせば5分くらいか。

 「今ちょっと外で飲んでるから、直ぐに東国空ホテルに戻るよ。そこのバーで飲み直そう」

 『りょーかいです。楽しみに待ってますね』

 私が大急ぎでスマホを切って立ち上がろうとした瞬間、後ろからいきなり小さな手で両目がふさがれる。

 「だーれだ?」

 この声は…こんな茶目っ気も持ち合わせていたのかと思うと愛しさがますます募ってくる。

 「千春ちゃん」

 「あたりです」

 両手を放されて振り返った私と目が合うと満面の笑顔。

 「偶然お店の前から覗いたら社長さんの顔が見えて悪戯しちゃった。ごめんなさい」

 舌を出して笑う顔が可愛い。

 「でもね。ほんと言うと、料理美味しいからCLLの同僚とかみんな食べに来ちゃうんですよね。だから見つかるとヤバいの」

 小さい声で言う。

 「先出てますね。社長さんの部屋の前で待ってますから」

 片目をつぶって琴ヶ島千春は先にバーから出て行ってしまった。幸い客は他に一人もいなかったし、何故かバーの店員は少し前から全く姿を見せていない。私はメールをもう一度見返してみる。

 『080-XXXX-XXXX』

 アドレスは非通知でなくハッキリ入っている。思わず口元が緩む。つまり…そういう事か。

 しかし、私の部屋の前で待つと言ってさっさと出て行ってしまったが、ルームキーどころかルームナンバーさえ言ってないんだが。早速今の番号にかけてみる。

 『・・・・・』

 通話中?さて、気が付いた彼女がここに戻ってくるのを待つべきか、取りあえず自分の部屋に戻ってそこからかけ直すか。前者が正しい気もするが、部屋に戻って準備もあるし、CLLの他の社員に出くわす可能性もあるので、やっぱり彼女に一人で部屋まで来てもらうのがいいだろう。お互い番号も知っているのだから、その方がベストだ。

 エレベーターに乗り、最上階のスウィートルームに向かう。自分の部屋の前には何故か琴ヶ島千春が立っている。

 「お帰りなさい」

 優しい笑顔。

 「あ、間違えました。もう一回言ってみ」

 頭をかいて舌を出し笑う。

 「コホン…お帰りなさいませ、ご主人様」

 おどけて言う笑顔に引き込まれる。

 「ただいま。良く部屋がわかったね」

 「超一企業の社長さんだから絶対にスウィートルームにいるだろうし、一番いい部屋なら何部屋かしかないでしょ。最上階で景色のいい方向。後は女のカンです、エッヘン」

 胸をそらして笑う顔が可愛すぎる。

 ルームキーをかざして部屋に入る。千春は目をキラキラ輝かす。

 「うわーっ!すっごい部屋。こんないい部屋入ったことないですよ」

 キョロキョロと彼女は部屋の中を珍しそうに見まわしていたが、テーブルの上に置いてある私のノートパソコンに目を止めた。

 「あ、これが世界のクリエイトCPの社長さんのノートパソコン…すっごーい。私は今、世界的瞬間に立ち会ってるみたい。あ、そう言えば私、ネットで急ぎで調べなきゃいけないことがあったんだ。あの…ちょっとこれ…いいですか?」

 遠慮がちに言う。

 「え、ああ、もちろん構わないよ」

 私はパソコンのスイッチを起動してやり、インターネットの画面を表示する。

 「使い方はわかるね?」

 「はい、ありがとうございます。ちょっと緊張する。世界的IT企業の社長さんのパソコンでネットが見れるなんて光栄すぎて」

 琴ヶ島千春はパソコンがそれほど得意ではないのか、いわゆる普通のブラインドタッチと言うのでなく、片手で一文字ずつ丁寧にキーボードに入力していく。

「すっごい恥ずかしい…あの、ブラインドタッチとかできなきゃいけないと思うんですけど、昔からずっと苦手で。機械は私にとっては壊すモノなんですよね」

 「構やしないさ。キーボードに正しく入力さえすれば普通に文字は表示される。それがパソコンなんだから全く問題はないよ」

 「うれしー。天下のクリエイトCPの社長さんにそういってもらえたらもう無敵。なんだか肩の荷が下りたみたい」

 笑顔で振り向く。

 「それに君にはブラインドタッチなんかできなくても、有り余るくらい他に素敵なところをたくさん持っているしね」

 振り返っていた彼女の眼をじっと見つめて殺し文句。

 「ありがとうございます。えっと…これこれ」

 殺し文句をあっさりスルーしてパソコンに向き直る。しばらくパソコンから目を離さない千春。私も後ろからそっと画面を覗いてみる。んっ?

 『世界的大IT企業・クリエイトCP社長モーリス小暮は極悪犯罪人だ!』と言うサイトが開かれている馬鹿な!このサイトは部下に命じて確かに潰させたはずだ。

 しかしなぜ彼女が?私は国民的に支持を独占する与党、国民党と組んで、国民党の利害に反する個人や団体をネットの力を利用して潰させてきた。この功績は現在の矢瀬周尊首相からも認められている。世が世ならお前に国民栄誉賞をやりたいくらいだと酒の席でジョークを言われたほどだ。

 つい先日も首相に反対するある人物をネットで集中攻撃して、結局この男を自殺に追い込んだばかりだ。首相だって今言ったように私の功績を認めていて、国民栄誉賞ではなく、多額のお小遣いをもらっているし、私だってそっちの方がいい。そもそもこの会社が国民的大企業になれたのも、この力が大きく影響しているのだ。

 しかし、これをすっぱ抜くサイトがいくつか出てきた。もちろん国民党と共に血眼になって出る杭を叩き潰しているが、それでも後を絶たない。また官房長官の四木のおっさんに文句を言われちまう…と、それを考えるのは後だ。

 「何を見てるのかなあ。ネットって本当の事ばかりとは限らないんだよ。誰にでも書き込めるからさ。特に有名人になると誹謗中傷がひどくてさ」

 千春の頭を両手で挟んでこちらを振り向かせる。彼女の顔は笑っていない。生気のない瞳。さっきまでの笑顔はどこに?

 「ネットによる言葉の暴力。自殺者も出ている…」

 抑揚のない声。これがあの美人客室乗務員なのか?

 「仕事人なら…」

 美人客室乗務員は全く表情を変えずに言う。

 「こういう悪党って、たたっ斬るんでしょうね」

 「仕事人なんて実在しないし、正義と悪なんて相対的なものなんだからね。法治国家たるこの国民党日本にあって、そいつを勝手に裁くのは…」

 「多分そうでしょうね。私も十年前は大和町…今のあの大和市に住んでたから」

 「大和市?十年前?あの7人連続殺人事件のか…」

 「そう、犯人はまだ警察に捕まっていない。もしね、その犯人が今は21世紀の仕事人だったとしたら。自分の事を殺人犯と言うか執行者と言うかの違いだけ。自分の行為は絶対正しいとしてやるのだとしたら、本人にとっては絶対の正義だけど、殺される相手から見たなら絶対の悪なんでしょうけどね」

 琴ヶ島千春???そう言えば珍しい名前だが、聞き覚えがどこかに…。そうか!確か最後の7人目の被害者だった警官が琴ヶ島と言う名前だった気がする。ネット関係の仕事をしているとこういう話は自然とどこかで覚えているものだ。今、ようやく思い出したが不覚だったかもしれない。もっとも、この事件と私には何の関りもないんだが。

 「君はあの事件の被害者の警官の身内?」

 「半分は当たり、私は被害者の娘でもあり」

 「まさか私があの事件の犯人だという気じゃ?」

 「決してそんなことはないですよ。あなたは絶対にあの事件の犯人じゃないもの」

 有難いのか有難くないのか、あっさりと断言してくれる。

 「じゃあ何故私を?」

 「あなたは犯人ではありえない。だって私は本当の犯人を知っているもの。私はね、十年前には犯人であり執行者、今はあなたにとっての犯人で執行者なの」

 「それじゃあ君があの一連の事件の?まさかそんな…」

 「悪い事をしたら、ちゃんと罰を受けないと。そうだよね?」

「何故君が…今更安っぽい正義感に目覚めたのか?それとも贖罪のつもりか?」

 「しょくざい?まさか、違うよ。だって罪の意識とかがあるなら、まず自分を殺してるよね。だからこれは決して正義の為なんかじゃないの」

 超お嬢様大学を首席で卒業して、一流企業のCLL航空に入社して美人客室乗務員と言われたエリート女性とは思えないような子供のような口調…んっ?どうした事か、体が痺れて動けない。何よりも眠い。まさかこれは…」

 「あなたは自分が悪いから死ぬってことを、ハッキリ知っておかなきゃいけないの。殺されるだけの正当な理由があるってことを、きちんと説明してあげるからね」


 琴ヶ島千春は淡々と、私がこれまでに行ってきた、ネットを利用した私と与党・国民党の数々の悪行を空で読み上げていく。

 わざわざネットのページを開いたのは私に見せつけるための演出だけであり、彼女がそれを空で言えるくらいに暗記していることを物語っていた。しかし、悔しい事には体が動かないし、だんだん力が抜けていく。まずい…薬でも盛られたのか?だが私とこの女は…そうか!毒を仕込んだのは…

 「あー、あなたって悪人すぎて、まだまだ、あなたが殺されなきゃいけない理由が終わんないの。あなたが悪行を重ねた悪人であるほど、あなたが生きていられる時間が長くなって寿命が延びちゃうのね。でも、あなたはもう眠っちゃうだろうから、もういいよね。私も疲れちゃったから、もう終わりにしよ」

 死を運ぶ地獄の客室乗務員が持っていたハンドバッグから何かを取り出し、それを愛おしそうに見つめる。その物体が銀色の鈍い光を反射する。

 これは…スパナか?そう言えば、あの大和町の連続殺人事件の被害者達も、ほぼ全員がスパナで殴られてからバラバラにされていた気がする。

「God is dead(神は死んだ)」

 琴ヶ島千春は自分に言い聞かせるようにスパナをじっと見つめて独り言を言う。

 「神?もし神様がいるんなら助けてくれ!」

 力のない声で私は言う。だがもう声も出ないようだ。多分私の人生最後の言葉なんだろう。

 「神様なんて世界のどこにもいないから」

 冷たい声が返ってくる。

 「さ・よ・な・ら」

 なぜか彼女の両目から大粒の涙がこぼれた。その涙が流れたままの両目の間から大上段に思いっきり振り下ろされるスパナ。

 嗚呼、これで私の人生も終わりなんだろう。普通の人生ではできないようなこともいろいろできて華やかに生きられて…それが、良かったのか悪かったのか、今となっては判らない。それが判らないまま人生終わりなのだ。



  ②楽しき『我が家』

 2ヶ月くらい前に出来た駅前にある小綺麗な小料理屋があって、駅を降りるたびに何となく気になった。『我が家』と言う、実にシンプルな名前なんだけど、偶然駅から降りて前を通りかかった時に、その店に入っていく綺麗な女性を何度も見かけてしまい、その美人ぶりに僕はすっかり参ってしまったんだよ。

 見かけた様子から見て、何となく客じゃなくて、店の人みたいだったが、僕は酒が飲めない。

 会社帰りに何度も玄関の前まで行っては引き返し、トボトボと家に帰宅する日が続いたが、今日こそ勇気を絞って『南無三宝』と呟いて、店の玄関を潜る。忘れもしない、12月1日、木枯らしが吹き始めた日の事だ。

 「いらっしゃいませ!」

 品のよさそうな、30才にならないかくらいの美人が明るく迎えてくれる。この人だ。やっぱ店の人だったんだな。

 女将…と言うべきなんだろうが、若々しくて小柄な美人といった感じだが、小料理屋の女将と言った、一般的なイメージ(あくまで僕のイメージです)とは違って、優しそうで、品のいい育ちのいいOLという感じか。

 カウンターの向こうに立っているのだが、割烹着でなく、私服の洋服にエプロン。女将と言うよりも新妻みたいだ。

 「飲めないんだけど…」

 おずおずと言うと

 「構いませんよ、お食事だけで」

 おかみは優しい笑顔で言う。

 「寒いですから入ってお好きな場所に座って下さいね。すぐにお茶入れますから」

 開店直後のせいか客はまだ誰もいないが、一見さんだし飲めない僕は取りあえずカウンターの一番端の席に座る。

 「せっかく一番乗りなんだから、もっと真ん中の方に座って下さったらいいのに」

 戻って来てお茶を置きながらおかみは笑う。

 「一見さんだしね」

 「お客様なんですから、初めてさんとか常連さんとか全然関係ないですよ。一回だけしか来れない人でも大切なお客様。それに一見さんお断りだったら、新しくお店始めても誰も入ってこられない」

 おかみは笑う。僕もつられて笑った。引き込まれる笑顔。

 「おかみまいど―」

 常連らしき中年サラリーマンが店に入ってくる。

 「いらっしゃいませー、そちらの空いてる席へどうぞ」

 結局、この後も常連らしき連中が続々と入ってきて、店はすぐに満席になる。常連が入ってきた時点で、こういう店では何時の間にか常連の方にべったりになるもんだが、このおかみは、常連の相手をしつつも、初めての客である僕にも気を使って、色々話しかけてくれた。僕は取りあえず、焼き魚とお浸しを注文する。

 「『おかみさん』と言うか、若いよね。肌も白いし、いくつなの?」

 ヤバイ、緊張しすぎて失礼な質問をしてしまった。『女性にトシなんて聞くもんじゃありませんよ』と、怒られるかと思ったが。

 「いつの間にか42歳。早いですよね。もう厄年です。あれ?42歳で厄って、男性だけでしたっけ?ま、いっか、あまり気にしませんから、神様とか」

 ストレートに答えてくれたが、42?噓だろ。信じられないほど若々しい。

 「42?信じられない。全然見えない。マジ、20代だと思ってた」

 「ありがとうございます」

 わざとらしく否定しない所が逆に嫌味が無くてかわいい。まあ、だとすると、僕よりかなり年上になるな…

 「結婚してるの?」

 「してます」

 残念、笑顔で即答されてしまった。一瞬で撃沈か。

 「どんな人?」

 「ヒミツです」

 これは即答してくれないか。片目をつぶって、魅力的な笑顔で言う。

 「ウーン、じゃあヒントだけでも」

 「私にとって一生忘れちゃいけない、世界で一番大切な人」

 言われてしまったなあ。これは脈なしか、僕は仕方なく話題を変える。

 「寒い寒いと思ったら、今日から12月かあ。11月30日と12月1日だと一日しか違わないのに、11月30日だとまだ秋。12月1日だともう冬って感じがする」

 「そうですね。そう12月1日なのね今日は…」

 あの笑顔が初めて消える。なんかヤバイ日だったのか?

 「あ、えっと、今日なんかあった日なの?」

 「大好きだった父の命日…」

 微笑して言う。

 「あ…ごめん」

 「謝る事なんかないですよ。そしてね、私の人生で初めて恋人ができた日」

 「それって今のご主人さん?それとも…」

 「今のご主人さん」

 小さな唇から白い歯を見せてはにかみながら即答する。

 「あれから27年もたっちゃった」

 小声で呟く。42-27=15…僕は脳内で計算する。そっか、15歳。早生まれか12月生まれでなければ多分、中3の冬だろうか。早いのか遅いのか。まあ僕みたいな男ならともかく、これだけかわいくて性格も良ければ小さい頃からもてただろうに中3まで…だと遅いんだろう。それだけ理想も高かったのか。ますます脈なしだ。おかみは照れ臭かったのか話題を変える。

 「えーと、失礼じゃなかったら、お名前いい?」

 「山田修やまだ・しゅう

 「しゅう?」

 「修める。学芸を修得するのシュウ。ま、普通はオサムって読むけど」

 「ヤマダシュウさん。ハイ覚えた!」

 自慢気に親指を立ててにっこり歯を見せて笑う。これはヤバすぎだろ?一度は諦めかけた思いが再び湧き出してくる。


 その日、12月1日から僕は『我が家』の常連さんになった。仕事に行く週5日は当然、休みの日にも駅まで自然と足が向いてしまい、週6日、7日と行ってしまう時もあった。それくらいこの店は僕になじんだ。

 『フランス料理のディナーを、毎日ただで食わしてやる』と、もしも誰かに脅されたとしても、僕は金を払ってでも『我が家』に足を運んだだろう。

 金を払うと言ったって、なんせ『我が家』は安い。豪華な料理こそ出ないが、それに余りある、おかみの笑顔がある。

 『熱々の新婚さんの家庭の味を味わえる我が家」と、言った常連の親父がいたが、まさにそれである。割烹着のオバちゃんのおかみでなく、若妻にしか見えない美女が私服のエプロン姿で仕事に疲れて体と心を癒してくれる。つたない手つきも逆に愛しさを倍増させる。

前に彼女に『おかみになる前はどんな仕事してたの?』と聞いたことがある。

 その時彼女は笑いながら『フライトアテンダント』と答えた。

 本気か冗談かは全くわからないが、、彼女ならFAといわれても全く違和感はない。

 『FA→小料理屋の女将』のギャップが何となく変に感じるだけで、利発で美人で優しくて気配り上手で実際は実在しないくらいの本来のFAの理想形じゃないか。

 以前、外国人の一見客が紛れ込んだ時には、見事に流暢な英語で対応していたし、まんざら冗談ではないのかもしれない。

 その時に見事な英語をほめた常連客に、『本当はフランス語の方が上手なの』と答えて、『じゃあちょっとフランス語しゃべってみてよ』と言われると、すかさず『メンソーレ』とボケて笑いを取っていたから冗談ではないと断言できないが。


 仕事の後、今日も一人で暖簾をくぐる。この店には赤提灯なんかは上がっていない。

 入ってみると客は…おや?常連どころか他に誰もいない。僕一人か。開店直後って訳でもないのに。

 流行っていないわけでは無いこの店が、こんなことは初めてだ。

 まあ一番最初に入った時は開店直後だったこともあるが僕一人だったな…。直ぐに常連で満席になったけど。

 取りあえず一番端の席に座り、おかみにいつもの通りと言って焼き魚とお浸しを注文する。

 おかみはコンセプトの『新婚家庭の味』らしく、日々新たな料理メニューに挑戦しているが、今日は『焼豆腐の煉瓦焼』と言うのが新しく当店オリジナルメニューに加わっている。実験中なので料金はサービスらしいんで僕はそれも追加注文する。

 「実験台第一号!ありがとーございまーす!」

 この笑顔、たまらないな。


 2時間たったが、客は誰も来ない。こんな日もあるのか?

 オリジナルメニューは美味かったので話は多少弾んだんだが、口下手な僕ではそう長く続かない。

 他の客も来ないので、店を出るにも出られない。早く出たい訳じゃないが、酒が飲めない僕は食べ終わってしまうと他の客がいないと間が持たないんだが…。

 おかみが入れてくれた3杯目のお茶をちびちびと飲む。

 常連客は一体、何をしているのか!手持ち無沙汰で寂しそうなおかみの顔を見て、常連連中に腹が立つ気持ちと、逆にあいつらから彼女を独占しているんだと言う喜びが入り交じる。

 頬杖を突いて、こっちを見ていたおかみがいきなりバタンと机を叩いてたたいて立ち上がる。

 「やめたっ」と言ってスタスタと玄関を出ると、暖簾を下ろしてしまった。

 「欲求不満だっ。飲も!」

 笑顔で言う。

 しかし僕は飲めないし、彼女もこんな仕事をしている癖に飲めないらしいが…

 おかみは奥から持ってきた赤ワインとグラスを2つ僕の前に置く。

 「奢り。今日は無礼講だ。飲もうぜっ」

 おどけた顔が可愛いが。

 「おかみは飲めないんじゃ…」

 「おかみはやめっ。実はそう言われるの大嫌いなの。千春でいいから」

 「はあ…」

 「私もシュウ君って呼ぶからね」

 僕の名前、本当に覚えてたのか。普段は『山田さん』としか呼ばれなかったが。

 「初めて来たとき『ハイ覚えた』って言ったでしょ。シュウ君は12月1日に初めて来てくれたよね。あ、運命の人だって感じたの」

 運命の人か。悪くない響きだ。

 飲めない二人が乾杯のグラスを重ねる。やっぱり一口しか飲めないが…おかみも同じくらい飲んでグラスを置く。

 「おいしいよねーって、わかんないけど」

 「そうだね」

 二人して笑う。

 「シュウ君はねえ、子供の頃に大きくなったら何になりたいなーとかあったの?」

 おかみが…いや、千春が甘えた声で言う。もう酔ってるのか?千春はグラスからもう一口飲み干すが、僕は口につけたグラスからちびちびと啜るだけ。くそっ!カッコ悪いな。

 「お客さーん、どうですかー?」

 「僕?僕は…特にないな。結果つまんないサラリーマンだしね。両親も早く死んで家族もいなかったから、元々大きな夢なんて持っていなかったな。おかみは?」

 「おかみぃ?」

 千春はジト目になる。ヤバいほどかわいい。

 しかしなあ、気の小さい僕にとって、いきなり本人に面と向かって『千春』と呼び捨てるのはハードルが高すぎるだろ。

 「私?私はねえ、正義の味方。小さい頃はおまわりさんになりたかったの」

 照れたような笑顔が眩しい。

 「でもね、小学校に入る頃に、おまわりさんってホントは正義の味方なんかじゃないなーってわかっちゃって諦めたの」

 クスクスと笑って遠くを見つめる。彼女が子供の頃、何かがあったんだろうか。

 「シュウ君優しいからね。初めて会った時から、『あ、いいなあ』とか思ったり。わ~恥ずかしい」

 ちょっと目を伏せる千春。ん?なんかこれ脈あり?でも、最愛の旦那さんいるんだよなあ、確か。

 そう考えながら、隣の席に座っている千春を見ると、潤んだ眼でじっとこちらを見つめている。いいのか?

 ところが、せっかくいいムードの時に限って、いきなりガラガラと玄関の扉を開けて、1人の酔っぱらいが入ってくる。

 「暖簾おりてるけど開いてる~?」

 千春は明らかにむっとして、その妙な客(?)を睨みつける。

 「暖簾下りてたら休みですよっ。それにー、ウチ一見さんお断りなんですよね」

 ん?何か千春の様子が変だ。一見さんお断りじゃないハズだし。

 その中年の眼鏡をかけた酔っ払い…いや、眼鏡よりも目を引くのは、男の帽子の下に見える頭に、グルグルと巻かれた包帯というミイラ男だ。

 その陽気なミイラ男は包帯のまかれた頭を掻いて明るく笑う。

 「コリャ残念。でも、今度来る時は一見さんじゃない訳だ。ボトルキープだけお願いしとくねー。じゃ、また来ま~す」

 男はやおらカバンから取り出した2ℓサイズの封を切っていないペットボトルのウーロン茶をテーブルの上にドンと置く。

 「上野山ね~名前。ちゃんとキープしといてよ~。そいじゃ、まったねえ~」ボトルキープって…ペットボトル。しかも酔っぱらってるくせにウーロン茶かよ。

 しかし、いつも人当たりのいい千春が、こんなにご機嫌斜めなのは、なんだか新鮮で、ますます好きになってしまう。

 「あーあ、飲み直しっ、気分悪い。シユウ君も全然飲んでないし。ワイン飲めないんならウーロン茶いっとく?」

 千春はさっきの上野山という男がキープしたはずのウーロン茶をさっさと開けて新しいグラスに注ぐ。

 「いいのかな?」

 さすがに気が咎めたが

 「いーの。一見さんお断り。これが今日の私のマイルールだから」  

 頬を膨らます千春。新しく僕のグラスに注いだ上野山氏のウーロン茶を僕に差し出し、いつの間にか空になっていた自分のグラスに赤ワインを継ぎ足す。

 「改めて、カンパーイ!気分直さないとやっとられーん」

 おどける姿は相変わらずの可愛さだ。僕もウーロン茶なら一気飲みだ。

 ちょっと生き返った気になる…んっ?なんだ…これ…カラダが…何か動かないぞ。酔った?と言ったってワイン実際に1センチも飲んでいない…ハズだが…。


 気が付いた。目は開いたんだ。どれくらいの時間がたったのか。わからない。目の前に、おかみ…千春の顔がぼんやり見える。だけど体がまだ動かないし声も出ない。くそー、なんてこった。

 「気が付いたんだ」

 千春の笑顔。だけど…いつもの優しい笑顔じゃない。怪しい笑みが口元に浮かんでいる。誰だこれは?いつもの…彼女じゃない。

 「おはよう。朝ですよー。どうしたの?変な顔して。あなたらしくないよ。もっと笑ってよ。ねえ、私も、笑っていいかな?いいよね。だって私、ずいぶん長い間笑ってないもの」

 初めて会ってから今まで、いつどんな時も笑顔を絶やさなかった彼女の不可解な言葉。

 第一今だって、満面の笑顔で言ってるじゃないか。

 それに言ってる意味が分からないよ。なんだよこれは。

 「理由が必要?昔はね、正義の為って言ってた時もあったんだよ。でも…でもね、人間を壊したくてたまらなくなる。そう、形あるものは必ず壊れるの。だからね、私が…壊しちゃってもいいよね。ギャハハハハ」

 いつも優しくて品の良かったおかみが、人の変わったような笑い声をあげる。眼だけがキラキラと輝いている。

 いつでも笑っていた彼女だったが、こんな風に目が輝いていたことがあっただろうか。これが彼女の言う本当の笑顔なのか?

 「正義の味方なんてつまんない。理由なんて必要ないよね。自分の感情が一番大切。一度きりの人生、やりたいことをやらなきゃ」

 彼女は言葉を止めると、こっちを切なそうな眼でじっと見つめる。

 「あえて理由をって言うなら『愛してる』からかな。愛してるから、どうしても壊すことができないヒトにシユウ君が似てるから…かな。そのヒトの代わり。ゴメンね」

 そういわれてもやっぱりわかんないよ。なんなんだこれは?一瞬切なそうになった千春の顔にあの笑顔が戻る。あの狂気を帯びた満面の本当の笑顔が。

 「だからね。あなたは死んでくれる?私の為に…」

 思いっきりスパナが振り下ろされる。

 「死ね死ね死ねーギャハハハハ」

 何なんだよ…理由もわからないまま。一体何故なんだよ。嗚呼…僕の人生が今…お・わ・る…。

  


  ③最後の事件

 これからの時代はコンピューター関係か老人介護の福祉関係。子供の頃から大好きだった母方の叔父さんがいつも言っていた言葉。

 アタシが大学卒業後に今の特定老人ホームに就職した理由がこれ。

 IT何とかの方がカッコいいのはわかってるけど、叔父さんのアドバイスに従って小さい頃からいろいろ頑張っては見たんだけど、IT関連は未だにスマホさえマトモに扱えない私には遠い夢だったみたいだ。

そこで高校時代から福祉関係の方にターゲットを絞って猛勉強。大学でいろいろ資格も取って結果、無事にそこそこの規模と給料の老人ホームに就職決定する一方で、カッコいいい仕事をひたすら探していた友人たちは、この与党国民党政権の不況下で、仕事を見つけられなかったり、ランクを大幅に下げる羽目にあっている。

 ああ、叔父さんありがとう。高齢化が進む日本で、この仕事って引く手あまただ。自分の実力以上の好条件で、私は今の会社に就職できたのである。

 今はもう秋。この仕事も結構慣れてきて、いい事も、もちろん悪い事もあるけど、そこそこ充実した毎日だ。

 今日は爽やかないい天気。朝から新しい入所者の人を迎えるけど、今日のお天気みたく、穏やかで優しい人だったらいいなあ。

 今はホームの他の人が用事でみんな出ているから、迎えるのは私一人。大きな荷物は持ってこないからと連絡があったらしいけど大丈夫かな?

 そう考えていると、玄関の自動ドアが開いて、上品で優しそうなおばあさんが一人で入ってくる。

 おばあさんと言ったけど、見た目、結構若くて綺麗。

 琴ヶ島さんというお名前で、二人暮らしのご主人が亡くなられて、ここのホームに入ることになったらしいと聞いている。

 すごく若く見えるけど、65歳という事らしいから、うちのおばあちゃんとほとんど変わらないけど、うちのおばあちゃんどころか、うちのお母さんより若そうだし美人。

 この時、琴ヶ島さんと交わした会話は、今もはっきり覚えている。

 「あなたお名前は?」

 優しくて、引き込まれそうな笑顔。

 「えーと、上新庄です。上新庄弥生」

 「弥生?三月生まれなのね」

 「アハハ、違います。三月関係ないです。親がカッコいい名前をって勝手につけちゃっただけで、実は12月1日生まれなんですよ」

 「12月1日…」それを聞いた琴ヶ島さんの顔色が変わる。ヤバ…なんか嫌なことがあった日なのかな?私の誕生日に。

 「大丈夫。ごめんなさい。気にしないでね。そっか、12月1日。覚えとくね。何かプレゼントしなきゃ。もうすぐだもんね」

 あの引き込まれるような笑顔に戻る。

 「弥生ちゃんって、なんだか娘みたい」

 「あの、娘さんとかおられたんですか?」

 「ううん、ずっと旦那さんと二人暮らし。子供はいないの」

 「あ、すみません…」

 「どうして謝るの?別に何も悪い事言ってないでしょ」

 とてもやさしくて、品のいいおばあちゃん。て、ゆうか。おばあちゃんと言っても、肌とか凄い綺麗そうだし、すっごく若くて皴もない。若いお母さんって言っても言い過ぎじゃないくらい。マジスゴ…女の私から見ても憧れてしまう。いいなあ。理想の女性ってこういう人の事を言うんだろうな。

 こんな風に二人で話していると玄関が開いて入居者の一人、富田さんが帰ってきた。どうもアタシはこの人、意地悪で大嫌いだ。

 「あら新しい人?」

 琴ヶ島さんを見て言う。

 「そうです。よろしくお願いしますね」

 琴ヶ島さんは笑顔で会釈する。

 「あら、あなたどこかで…?」

 「さあ~?」

 琴ヶ島さんは首を傾げる。

 「私は富田珉子って言うの。あなたお名前は?」

 「琴ヶ島千春と申します。どうぞよろしくお願いしますね。富田さん」

 「琴ヶ島?」

 富田さんは古い記憶を引っ張り出そうとして首をひねっていたが

 「コトガシマ…あっ!」

 急に真っ青な顔になった富田さんは、逃げるように黙って自分の部屋に入ってしまった。

 「あの…しってる人なんですか?」

 「さあ?」

 琴ヶ島さんは小首を傾げる。大体、琴ヶ島さんは笑顔を絶やさずに、ただ普通に話しているだけなのに、途中からあの図々しい富田さんが急に逃げるように去っていったのが気になる。

 実は知り合いかなんかだったんだろうか?逆ならわかるけど、あの優しいおばあちゃんの琴ヶ島さんから、意地悪婆さんがコソコソと逃げる理由が思いつかない。

 とは言え現実にこの目で見てしまった以上、信じるしかないか。

 ひょっとして借金でもあるのだろうか?富田さんが、人のいい琴ヶ島さんを騙して借りたお金を踏み倒して逃げてしまったのなら、なんとなく想像はつくが、琴ヶ島さんの方に、そんな気配を感じなかったけど。


 これがアタシと琴ヶ島さんの出会いだった。

 あれから2か月、その間にもいろいろなことがあったが、アタシはこの優しいおばあちゃんの琴ヶ島さんを、ますます好きになっていった。

 今日は12月1日。アタシの誕生日だ。アタシは集会室の裏にある倉庫で、1人で朝からずっと、備品の整理をしていた。

 結構時間がかかって、全然終わりが見えない。今日は誕生日なのになあ。何やってんだか。その時、倉庫の外から誰かの話す声が聞こえた。

 「お話って何の事でしょうか?」

 「あんたの事でよ。あんたの話!」

 いつもの冷静な琴ヶ島さんの声と、イラついた富田さんの声だ。なんかヤバそうだな…。でも早くここから出て行ってアタシがここにいること知らせないとヤバいかも…。

 「なんかさあ、昔の事で私を逆恨みしてるみたいだけど、それって凄い筋違いよね。なんであんたなんかに恨まれなきゃなんないんだよ!」

 富田さんがいきなり大声を出したのでドアノブに手を掛けたアタシの全身が固まる。ヤバ…なんか体が金縛りになって動かない。

 「何の事でしょう?よくわかりませんけど」

 鉄製の扉の向こうは全く見えないが、琴ヶ島さんの声はいつもの冷静なトーンのままだ。多分いつものように落ち着いた笑顔を浮かべているんだろう。

 「とぼけんな!」

 富田さんの怒声。固まっていたアタシは力が抜けて、その場所に崩れ落ちる。

 ホントに腰が抜けて動けないし、声も出ない。この4か月間、アタシは富田さんの入所以来ずっと些細なことで、しょっちゅう怒鳴りつけられてきた。あの人は難癖をつけるのが趣味なのだ。

 落ち込むアタシを、いつも励ましてくれたのは琴ヶ島千春さんだった。

 いつしかアタシは琴ヶ島さんの事をお母さんのように慕っていた。(年齢的にはおばあちゃんなのだが、若くて綺麗なこの人は若いお母さんにしか見えなかった)

 「私だってねえ、ネットでさらされて、ひどい目にあって、人生めちゃめちゃよ。そう、私の方だって被害者なのよ。と言うか、始めから終わりまで、私の方が一方的に被害者じゃない。あんたの親父のせいでトラウマになったのは事実なんだからね。この国の裁判所はちゃんとそう判決したんだよ」

 ムキになってがなりたてる富田珉子に、あたしは怒りさえ感じた。でも、琴ヶ島さん本人は終始冷静なままだった。口調一つ変えずに言う。

 「トラウマとか何の事でしょう?富田さんは昔、トラウマになられたんですか?それはお気の毒ですね。さぞかし大変だったことでしょう」

 「大体、私はかまととのあんたのせいで初恋の子を取られたんだから。幼稚園の頃、私の好きだった男の子があんたの方が好きだって。私のプライドズタボロよ」

 「その意趣返し…だったって訳ですか?」

 琴ヶ島さんの声が…多分いつもの笑顔で言ってるんだと思うけど、いつになく毒がある気が…。悪いのは多分、富田珉子の方だと思うけど、琴ヶ島さんは珍しく腹を立てているんだろうか?どっちにしろアタシはこの場所からどうしても出て行けない状態だ。

 「不思議だね、本当の事が判っちゃったら、怒りとか何とかより力の方が抜けちゃったって方が強いのね。全部の事の一番始まりが、こんなつまらない事だったとかね。どうしてこんなことで私の人生全部こうなっちゃったのかなとか」

 大きな溜息をついて、琴ヶ島さんは微笑した(と思う…見えないけど)

 「罪を償うっていうけど、償えないから罪なのね。すべてを許すっていうけど、どうしたって許されないものがあるよね。決して元に戻らないものは絶対に戻ってこないし、時間を巻き戻してやり直すことなんて絶対に出来ない。それは例え神様にだってね…。神様なんてどこにもいないけど」

 しばらく言葉が途切れる。琴ヶ島さんの雰囲気が変わったので、富田さんも面食らっているのか黙り込んでいる。

 「でもね、今の私はもうあなたの事を批判できないのね。だってね、私はあなたなんかよりも、ずっとたくさんの血を流してきたもの。だからこれは復讐じゃない。多分あなたよりも私の方がずっと悪人だから。私を恨む人って、もしも真実をみんなが知ったなら数はあなたよりずっと多いと思うよ」

 その言葉の後の長い沈黙に耐えかねて富田さんが叫ぶ。

 「あんたは…あんたはいったい何者?まさか昔の大和町で私ら家族が出て行った後に起きたあの、大量連続殺人事件の事なの?」

 「それはハズレ。私じゃないよ。そうだね、私のサイコバスターの歴史の一番の始まりはそうだけど。どっちかというと大和町の連続殺人を止めたのが私だからね」

 三度言葉が途切れる。

 「つまらないおしゃべりはここまで。自慢になる話でもないしね」

 「なめんな!ただで殺られると思うな!」

 富田珉子は何か凶器でも取り出したのか?止めないと。でもまだ体が動かない。なんなのこれ?しかし、落ち着き払った琴ヶ島さんの声に焦りは感じられない。

 「私をあなたが殺せると思う?あなたはね容赦のない小悪党。いざとなれば人だってためらいもなく殺すでしょう。でもね、あなたは幸せだよ。今までまだ実際に人を殺していないのね。こういう時って、修羅場をくぐった数の差が決定的なの。あなたごときは所詮つまらない小悪党」

 「黙って聞いてれば、殺すぞ、この餓鬼!」

 何かを振り回すような音が聞こえるが、琴ヶ島さんは大丈夫だろうか。しかし、相変わらず落ち着いた琴ヶ島さんの声が聞こえてほっとした。

 「体力も運動能力も、もしかしたらあなたの方が上なのかもしれないけど、こういう時に決定的なのは頭の差なのね。バカなあなたがこういう動きをするだろうと予想できたから、私は当たらないような距離を取っていたのに、本当のバカ。バカはさっさと死になさい。ギャハハハハ」

 琴ヶ島さんが逆襲したのだろうか?もう富田さんの声は聞こえない。それにしても、最後の方は何か変だったかも。その時ようやく体が動いた。金縛りにあってたみたいだ。とにかく急いで倉庫から飛び出す。でも…もう遅かった。

 アタシの見た光景。最悪の大好きな琴ヶ島さんが殺された…というのではなかった。だけど喜ぶわけにもいかない。

 血に濡れた、琴ヶ島さんの手に握られたスパナ。出刃包丁を持ったまま倒れている富田さんの姿。一生忘れられないだろう。アタシはどうすれば?ここでアタシに気付いた琴ヶ島さんがこっちを見て笑う。

 「あら弥生ちゃん。今日、お誕生日だよね。お誕生日おめでとう。プレゼント、用意してるから。そこに置いてある私のポーチの中に入ってるよ。気に入ってもらえたらいいなあ。直接渡してあげたいんだけど、今ちょっと手が汚れてるから…。一番最後に会えた人間があなたで良かった。このヒトじゃなくてね」

 と倒れている富田さんを見下ろす。

 「あなた若い頃の私にちょっと似てるのね。だから大好きだったの、イヤかもしれないけどね」

 「そんなこと…」

 「私もそろそろ逝かなくちゃ。やるべき事はやったから。やる必要のない事をずいぶんやって来た気もするけどね。弥生ちゃんは、まだまだ長いこれからの人生、後悔しないように生きなさいね。私みたいにならずに」

 下を向いて話す琴ヶ島さんに何と言っていいのか判らない。

 「プレゼント、持って行って。警察なんかに持っていかれないように、これはあなたへの…なんだから」

 アタシはポーチの所へ駆け寄る。中からは可愛らしいブローチとクッキーの包み。それと…なんかの封筒?

 「あ、ありがとうございます。あの…凄い嬉しいです。大切にしますね。あ、えっと…この封筒は?」

 「ラブレター…。じゃないわよ」

 優しい何時もの笑顔。

 「迷惑かもしれないけど持っていって。私のカレの遺言だから」

 遺言?少し汚れた封の切っていない封筒に何かがびっしり入っている。いつも琴ヶ島さんが持ち歩いていたのか、くたびれかけた古い封筒。

 「疲れちゃった。私の人生これで終わり…。おやすみなさい」

 言葉と共に優しい笑顔のまま崩れていく琴ヶ島さん。毒でも飲んだんだろうか?それとも心臓麻痺?とにかく、とりあえず上の人を呼んで警察も呼ばないと。

 アタシの中では、大好きな琴ヶ島さんに有利な証言をしたいがそうもいかないか。

 でも、すべてをそのまま話す必要もない。アタシには話の内容は遠すぎて扉の向こう側だから、よく聞こえなかったんだから。



  ④最初の事件

 我の名は名探偵・額賀小吾朗。今までにいくつもの、迷宮入りかと思われた難事件を見事に解決に導いた現代世界中でも屈指の名探偵である。

 我は五年間もの米国での探偵修行を終えて日本に帰って来たばかり。我が日本を離れていた間には日本国内でもいくつかの興味を引く迷宮入りの怪事件があったようだ。

 こうして晴れて我が母国ニッポンに5年ぶりに帰ってきた以上は、それに挑戦してみたい。そう、それは探偵のさがと言うものであろう。

 さて,我の興味を引かれた事件の中でも、その最たるものと言えば3年前に大和町と言う小さな町で起こった7人連続殺人事件(うち6人はバラバラ殺人)であろうか。

 我はこの事件捜査のとっかかりとして事件の記事やデータを国会図書館に行って調べたり、知人の探偵や警察関係者に話を聞き込んでみたりした。

 なるほど、面白い事件だ。殺された被害者達はすべてこの町の住人というだけで、ほとんど何の関係も共通性もないし、特に恨まれそうな理由もない、いわゆる普通の人達だ。

 従い事件の動機という点では名探偵としての面白さ…と言っては不謹慎だが、興味深い点はない。動機はただの猟奇的な快楽か何かの無差別殺人犯というだけの話だろう。

 この事件、いくら調べても殺された7人の関連性が出てこないので、警察もマスコミも快楽無差別殺人犯と断定した。まあ、それは我にも異論はない。快楽かどうかはわからんが、被害者自身にも殺された理由は判らなかったろう。

 この事件を調べてみて、我の眼を特に引いたのはただ一点。最後の7人目の被害者である。

 この人物だけ、バラバラにされていないこと。同時にそこに存在した被害者もいて、二人が襲われていること。この事件以降の同様の事件が確認されていないこと。そしてその被害者が他の事件のような一般人でなく、パトロール中の地元警察の現職警察官であり、生存した別の被害者から唯一犯人が目撃されていることだ。

 最後の被害者に何かがあると直感した我は、この警官について調べてみたのだ。

 優秀な部長刑事であり、署内での信望も厚かった、この琴ヶ島行雄という人物が、この事件の時にはヒラ巡査として最期は命を奪われたのか?最期の被害者である彼だけが何故バラバラにされなかったのか?

 予期せぬ第三者の中学生が偶然殺人現場に闖入してきたため、犯人がパニックになったと考えられているようだがその場合いろいろ合致するところはあるが、状況証拠から否定されている。依って我は違う角度から考えてみるべきだと思う。

 我は過去について調べてみた。すると、事件から8年前にも、この静かな町が一度だけ大きな話題になった事件に巻き込まれていたことが分かった。刃物を持った無職男の幼稚園乱入立て籠り事件である。

 当時、地元大和町に住んでいた琴ヶ島行雄部長刑事らが人質を取って市内の幼稚園に立て籠もった由良悠作なる無職男の逮捕に現場へ急行。最終的にはヤク中の男が十人ほどの園児と職員のいる教室に立て籠もり、中の一人の幼女に刃物を突き付け、何かを叫んでいたのだが、自棄を起こした犯人が、幼女に危害を加えそうになったため、教室の周りを取り巻いていた琴ヶ島行雄刑事が発砲、。

 しかし、犯人が急に反応して動いたために腕を狙ったという琴ヶ島刑事の銃弾が犯人の脳天を打ち砕くこととなった。

 犯人の由良悠作は即死、幼女は無事に無傷で救出されたのだが、事件はその後、意外な展開を見せる。

 目前で犯人が脳天を打ち砕かれて死亡するという惨事で、人質となっていた幼女がトラウマで心身障害を受けたと、その両親が命の恩人である刑事を訴えたのである。

 もちろん、一般論としては琴ヶ島刑事に責任は無いと言う声が当然大きかったが、実際裁判の結果では警察が敗訴。数千万円の支払いが命じられた。

 一般人の被害者に死者どころか大きなけがをした人は皆無、犯人は射殺されたが、同情されるような人物でも理由もなかったので、普通なら事件そのものは注目を引くようなこともなく、無法者が正当防衛の警官の発砲で射殺。過剰防衛とか言う一部の輩の皆さんのクレームは有っても、すぐに忘れ去られた事件かもしれない。

 普通な人の感覚では琴ヶ島刑事に責任は無いが、こんな風にややこしくなると、前述した輩の皆さんが犯人は結果的には死人どころかケガ人さえ出していないという事実をクローズアップして警察攻撃を始め、一部のマスコミも乗っかってますますこじれてくる。

 事実上、この事件も琴ヶ島刑事個人でなく、警察vs原告で争われ、敗訴した警察=国が実際の賠償金も払ったのであるが、この裁判の結果を受けて立場上、琴ヶ島刑事は一介のヒラ巡査に降格したのである。

 そしてもう一つ、この事件で見逃せないことは、この惨事の現場となった教室。刃物を突き付けられた園児は一人だけだったが、その他に教室に取り残された園児が十人近くいた。そしてその中の一人として、この惨事を目撃した中に、琴ヶ島刑事の一人娘の琴ヶ島千春もいたのである。

 刃物を突き付けられて人質となった園児、富田珉子が人質にされた理由は、犯人である由良悠作を普段から口の悪い富田珉子が口汚く罵ったからだと言うのは他の園児や教員の後の証言でもわかっている。

 実際に射撃時に由良が急に動いたのも、珉子が由良の腕にかみついたからだと言う証言もあったが、その証言をしたのが、ほかならぬ娘の琴ヶ島千春だったため、証拠外にされてしまった。

 この裁判は、もう忘れてしまった人も多いだろうが、当事者にとってはそうも行くまい。

 この事件と裁判、そしてのちに起こる連続殺人は何か関連があるのだろうか?

 優秀な刑事だった琴ヶ島行雄は裁判で負けたとはいえ、行為に問題がある悪人とは世間的に評価されず、むしろ世間では同情的だった。のちの事件では一巡査として捜査に加わっていたが、最終的に彼自身が被害者となって、事件にピリオドを打った形だ。

 最後の事件現場で、琴ヶ島行雄巡査の隣で瀕死の状態で発見された中学生は3ヶ月間、生死の境をさまよった挙句生き残った。

 現在では強烈に鈍器で殴られた後遺症こそ残っているが、普通の生活に戻っているという。

 彼が発見時と回復後に語った証言から『犯人は長身で某女形歌舞伎役者に似た感じのナヨ男』と言う犯人像が定着している。

 さらに、その少年は、もう一人の被害者、琴ヶ島巡査の娘、琴ヶ島千春の中学の同級生であり、事件後に急接近した二人は3年たった現在も続く深い友人関係だと言うが、彼女の周囲のかつての同級生たちの証言では、特定の友人を決して作らず、すべての生徒に愛を与える天使のような存在だったのに事件後変わってしまい、全く目立たない地味な男だった被害者の上野山少年と急接近したので皆びっくりしたと言う。まあ同じ事件で、殺人犯人に父親が殺された時に、偶然同じ犯人から重傷を負わされているという、一種の親近感みたいなものかな…と言う声が多かった。

 瀕死の状態で発見された上野山少年は駆け付けた救急隊員から『誰にやられた?』と尋ねられて、『殺人犯…背の高い…ナヨ男』とかすかにあった意識で、しかしはっきりと答えて意識を失った。彼が意識を取り戻すまでの3ヶ月間、警察の捜査はその『背の高いナヨ男』に集中してしまったきらいはある。同僚の仇討もあって感情的になっていたかもしれない。今は意識が戻った後の情報も加わって、有名な某女形の歌舞伎役者(本人でなく感じが)と言う注釈も付け加えられている。

 琴ヶ島巡査を殺害したのが上野山少年で、自分への疑いを晴らすために自分自身の後頭部を殴ったという説は現場近くに凶器が発見されていないし、角度的に不可能と断定されている。

 上野山少年と一緒に第三の共犯者がいて、犯人である上野山少年の疑いをそらすため、もしくは仲間割れの末に凶器を持ち去るという事は考えにくいため、上野山少年=被害者。よって彼の証言を疑う理由はないとなったからだ。

 上野山少年の疑いを逸らすと言っても、明らかに助かったのは偶然で殺意を持って殴られているし、それなら共犯者とさっさと逃げる方がいいだろう。疑いを逸らすにせよ仲間割れにせよ、事件後に上野山少年は一貫してナヨ男の存在を主張しているし、以前の一連の事件と上野山少年のアリバイも確証済みなのだ。昼間の犯行推定時刻には上野山少年が学校にずっといたことを皆が証言している。

なお、この証言は複数の信頼できる救急隊員が確認しており、少年の証言は朦朧とした状態ではあったが妄言とは思えなかった。言葉もはっきりしており、聞き間違えと思えないと断言している。

 そして、意識が回復後の安定した状態での聴取でも本人から再確認している。負傷による障害は残ったものの記憶の曖昧さはなく、嘘をつく理由も考えられない。

 凶器で殴られた角度から自演の可能性も考えられず、噓によるメリットはないからだ。

 帰宅途中に空き家の前を通ると男の日命が聞こえて、思わず中に入った所、警官が倒れていた。

 そして目の前に立っていた、スパナを持った若い長身の有名な女方歌舞伎役者の某に似たナヨ男にいきなり殴られて意識を失った。

 救急隊員の声で気が付いたことまでは覚えているが、その後の再び意識を無くしてからの記憶はない…と言う証言に矛盾はないと判断された。

 犯行の推定時刻はほぼ同じだが、琴ヶ島巡査の血しぶきの死体の上に、上野山少年が倒れていたことから、襲撃されたのは・琴ヶ島巡査→上野山少年の順であろう。

 事件の概要はこうだ。だがここで、この琴ヶ島巡査と上野山少年の襲撃事件を別物として考えてみよう。この事件の前に起きた6人のバラバラ殺人とは無関係とは言わないが、別だと考えるのだ。

 この町内だけで6人殺害と言う狭い範囲での殺人事件だけに、犯人は地元の人間である可能性が高い。

 大和町内の地元住民の中には、琴ヶ島巡査の自宅も含まれている。あの告訴事件の後も、彼と千春の父娘は大和町から離れなかったのだ。

 彼は6人の事件について捜査の対象になっていたのだろうか?その観点から考えてみるのだ。

 狭い町内の事件、警察はローラー作戦で町内の住民を虱潰しに調べただろうが、例の同情すべき事件に巻き込まれたと言え、現職の優秀な警察官であり、何の動機もない琴ヶ島行雄巡査は、当然おざなりに碌に捜査せず対象から外しただろう。

 琴ヶ島行雄巡査は裁判で敗訴したとはいえ、法的な前科持ちではないし、世間的にも警察の方に同情的な声が多かった。

 事実、多額の賠償金をせしめた富田親子の方が、その金を持って裁判後に逃げるように大和町から去ってしまい、その後の消息も分かっていない。

 幼稚園の立てこもり事件の際に、富田珉子の本名も世間中に出ているし、ネットにさらされた富田珉子ら家族へのバッシングは相当なものだったらしい。

 琴ヶ島家の方も、この裁判の騒動で妻は離婚して出て行ってしまった。娘の千春は自らの意志で父親を選んだため、母娘の仲は悪くなかったが母親は諦めたらしい。他に子供はいない。

 なお琴ヶ島行雄巡査の死亡後も千春は再婚した母親とは離れたまま、警察からの見舞金などを基に、一人で住み続けていると言う。

 我は推理を巡らす。答えは一つしかなかった。

 『見えざる人』である警察官が犯人?6人目までの事件を見れば、そう考えてもおかしくない。動機はともかく、動機の無い殺人だってあるし、何かわからない理由があったのかもしれぬ。

 では、その犯人が被害者となった7人目の殺人は?そして上野山少年の存在は?

 だが、この両方と繋がる一人の人物がいるではないか。

 『琴ヶ島千春』

 そう、この少女こそが、全てのキーパーソン…と言うより実は○○○ではないのか?

 それから我は、さらに彼女についていろいろ調べてみた。この事件では一連の凶器と推測される鈍器、スパナだと思われるし、上野山少年の証言でもそう言っている。

 琴ヶ島家がキチンと家宅捜索されたかは疑問だが、おそらくは証拠の凶器は残っていないだろう。

 調べでは、琴ヶ島父娘は休みの日にはよく駿河湾フェリーで遊びに出かけていたようだ。

 フェリー…そう、凶器とかを処分するには、国内のフェリーはもってこいだ。

 鉄製の凶器は、燃やして処分もできないし、不燃ゴミの山や近所の山や池に捨てたにしても、いったん疑われてしまえば、警察はいつかはそれを見つけ出すだろう。地面に埋めても同じ事だ。

 その点、近中距離のフェリーであれば、乗船の面倒な手続きやら荷物の検査が無いうえに、いざ海の真ん中あたりで凶器を投棄してしまえば、ほぼそれを探し出すことは不可能だろう。

 窓は開かないが、デッキに出てしまえば海中にモノを投げ込むのは簡単だ。あとは絶対人に見られないことだが。(古新聞にでもくるんでおけば、見られてもわからないが)それも意外と簡単で、例えば船の左前方に何かの観光名所がある場合に、デッキの右後方に行ってそこから投げ込めばいい。

 万一誰かに見られても、『うっかりして手荷物の入った袋を落としてしまった、お土産が入っていたけれど、安物なので諦めます』とでもいえば、わざわざ停船して探してくれるはずもないし、仮に停船したとしても、すぐに海に沈んでしまう凶器のスパナの入った物を海の真ん中で引き上げるなんて絶対に不可能だ。わざわざ場所をマークしておいて、後で専門の調査船をよこしてくれる事もあり得ないが。(いくらかかるか知らないが、想像もしたくない金額だろう)もしも探したって駿河湾でそれを見つけるなんて、ありえない確率だろう。

 駿河湾フェリーと言えば富士山がある。わざわざデッキに出て景色を見ている客なら『左手の方向に富士山がよく見えます』のアナウンスで一斉に左を見るだろう。まして犯人が常連客ならそれをよく知っているはずだ。用事などで移動している地元住人なら、いちいち見ないかもしれないが、そういう人たちはわざわざつむじ曲がりに反対を見ることもなく、自分の行動をしているだろう。仮に新聞紙に包んだ何かが目の前を落ちて行ったとしても、中身が殺人の凶器のスパナか、伊豆名産の干物かなど、一瞬で分かるはずがない。

 凶器のスパナらしきものは、鑑定では同一のものと思われている。スパナで殴ってバラバラにしているので、琴ヶ島行雄巡査と上野山少年の頭を殴っているのなら琴ヶ島行雄巡査が捨てたわけでは無いが、その人物がいずこかにそれを処分したのだろう。

 我はこの捜査で何度か琴ヶ島千春と話す機会があった。不思議な、何か引き込まれるような魅力を持った少女である。頭もよく、人当たりもいい、非の打ちどころのない美少女で常に笑顔を欠かす事もない。

 我は旧知の警視庁の実力者に頼んで、この捜査に当たっていた地元警察の捜査員に話を聞いた。

 琴ヶ島父娘は誰もが羨む仲のいい父娘で、警察署に弁当を持ってくる千春を何度となく見ている。

 お父さんっ子の千春は、あの裁判騒動で両親が別れた時も父親を選んでいる。

 殺人事件の時は、とても見ていられない状態で、『絶対犯人を捕まえてください。私が殺してやりたい』と泣き続けたくらいだ。彼女が犯人なんて誰も考えないし、もちろん、そんな証拠も一切なかった…と刑事たちは口をそろえて言った

 だがしかし、我の名探偵としての六感が何かを囁いている。『危険!危険!危険!』と。

 いよいよ我は琴ヶ島千春と対決せねばならないだろう。我は隠し引き出しの奥からそっと、忍ばせていたサイレンサー付きのグロック17Ⅿを取り出してズボンの尻ポケットに入れる。軽量だがアメリカで命知らずの凶悪犯を相手にするときは、常にこいつを愛用していた。

 日本ではもちろんご法度だが、旧知の米軍関係者に手を回せば、こんな物だって手に入るのだ。

 それだけ琴ヶ島千春と言う美少女は危険な少女なのかもしれぬ。我の長い探偵経験がそう囁いていたのだ。

 そう、あれはマックス・グロウの殺人鬼、K・C ・エドモンド教授を相手にした時以来の危険な匂いがしたのだ。

 いよいよ我は琴ヶ島千春と逢って、この事実を告げることにした。


 「で?そうやって調べたこと…と言うか、100%あなたの空想のお話を伺って、私にどうしろって言うんです?」

 すべての我の推理を聞いた琴ヶ島千春は冷たい表情で言う。そこにいつもの笑顔はない。

 「こうやって我の調べた事実と推理から、君の父親の琴ヶ島行雄巡査が…」

 「巡査じゃなく警部補ですね、二階級特進ですから」

 彼女は表情も変えずに言う。

 「…彼が6人の人間を殺害した連続殺人事件の真犯人であること。そして君が最後に琴ヶ島巡査と上野山少年を…」

 我はあえて訂正せずに話を続ける。

 「…あの空き家でスパナで殴打した。琴ヶ島巡査は即死、上野山少年も瀕死の重傷を負った。そして君は二人共が死んだと思い込んで現場から逃げ出した。最期の被害者だけがバラバラにされていないのは当然さ。前の6人と最後の2人は犯人が別なんだから、君の腕力で被害者をバラバラにする事は不可能だもの。君にとって予想外だったのは、上野山少年が死んでいなかった事、そして上野山少年が君を犯人だと言わずに架空のナヨ男をでっち上げたことだ。恐らく彼は君に恋してしまったんだろう。例え自分を殺そうとした犯人だとしても君を守りたいと」

 我はチラリと千春を見るが、彼女の表情は全く変わらない。我は続ける、

 「回復し、君と再会した彼は何の邪心もなく君を守ろうと決めたんだろう。君がそれに対してどういう気持ちだったかはわからない。だが君は彼と秘密を共有することにした。考えてみれば君自身は連続殺人の犯人でも共犯者でもないし、父親が殺人犯人であったとて君自身には全く何の責任もない。君が殺したのは自分の父親だけだが、その殺人にしたところで父親の暴走に気付いた君が、連続殺人を止めなければと思う気持ちからだったとすれば許されなくもない。

 もちろん、無関係の上野山少年への行為は許されないが、結果的に彼は死ななかったうえに、全面的に君の行為を許している。故に、君の罪は重くない。今ならきっとやり直せるだろう。だから…」

 「許される?誰にですか?少年法?それとも精神何とかですか?あ、どっちもかも。大好きだったお父さんを壊した時、私ちっとも辛くなかったもの。カレも一緒に壊しちゃうつもりだったけど壊せなかったのね。それはグーゼン…はじめてのおつかいゆえのミステイク…。だけどカレは私を許してくれたし、助けてくれた…だからね、今はもう彼を壊すことなんてできないの、絶対に…。カレへの恩は一生忘れないよって約束したから守らないとね。でもね、もうあれから3年もたっちゃったけど、今も私の中にはナニカを壊したいっていう衝動が抑えられなくなってるの。私は大した罪にはならないのかもしれない。名前だって未成年だからって出ないだろうし、殺されたお父さんが連続殺人犯だってなったら、私の方は同情票で多分すぐに出てこられちゃうのね。だけど私は嫌なの」

 琴ヶ島千春の告白を聞いている我に、何か不可思議至極な感情がムラムラと湧き上がってくる。なんであろう?この、引き込まれるような彼女に対する謎めいた気持ちは?我は覚えず口走る。

 「捜査して君に会っている間に、我は君にひかれてしまったのかもしれぬ、だからこそ君に…」

 「愛の告白ですか?やめてくださいね」

 千春は謎めいた口元に冷笑を浮かべて言う。

 「あなたはね、多分間違ってるの。私がね、本当はいい人なんだと思い込もうとしてるのね。若い女の子だから本当は悪意のかけらも無いいい人だろうって」

 千春を遠くを見つめて続ける、

 「だけどね、私の知ってる女の子。まだ幼稚園だったんだけど、いつもカエルを捕まえてカエルの脚を引きちぎって喜んでる子がいたの。その子ってほんとにすごいんだよ。包丁を持ったオトナの人にも全く怯まないの。包丁を持った大人に嚙みついたりね。凄いよね。それでとうとう殺されそうになっちゃったの。でもね、その時に命を懸けて助けてくれた人がいたの。その人のおかげでその子は今も生きてる。助けた方は十年後に死んじゃったけどね。そんな子のために命かけたって凄いよね」

 それは、例の千春が幼稚園の時の立て籠り事件、由良悠作と富田珉子、そして琴ヶ島行雄巡査のことを言っているのだろう。

 「カエルの脚を千切ったり、水槽の金魚を手で救い上げて庭に叩きつけたり、ヒヨコの片足を挟みでちょん切るような子が目の前で人間が撃たれて脳みそグチャグチャになったとか言ってトラウマになると思う?私はね、トラウマになったよ、他の子達はみんな顔を背けて泣いていたけど、私はお父さんが外にいるのが見えたから心配でずっと見ていたから」

 冷たい眼で淡々と語っていた琴ヶ島千春の眼に、初めて怒りの感情が見えた気がした。

 「クレーマーでモンペの親が、結果的には一人の人間も傷つけずに射殺された、身寄りのないヤク中で貧乏人の犯人からは賠償金がせしめられないから、自分の娘を救ってくれた恩人の警察…つまり無限にお金持ってる国から賠償金取ろうと思ったんだね。こっちの方が確実にお金持ってるんだから。ギャハハハハ、面白いよね、人間の感覚って」

 狂ったような笑い声。これが琴ヶ島千春の本当の姿なのか?

 「どうしてお父さんが…ねえ、どうして?ギャハハハハ、お父さんね、壊れちゃったよ。赤の他人のために自分の命を懸けて頑張ってたのに…壊れちゃった…。だから、私がお父さんを止めないと」

 千春は我の顔を見てにっこりと笑う。

 「だけどね、私ももう壊れちゃったかも…だって、あの時からずっと私は人間を壊したくってたまんないんだもん」

 血走って人が変わったような眼…だが、口元の笑みは決して消えることが無い。

 「本当に一番壊したい人間がいるから。だから私は捕まる訳にはいかないし、前科を作って警察とかにずっとマークされるわけにはいかないの。本当に壊したい人間を壊すまでは」

 睨みつけていた千春の顔が、急に力が抜けてクシャクシャになる。

 「できないよ」

 唇をかんで肩を震わせる。

 「だけど私、こんなことやったらダメなのかな?私、間違ってたのかな。もう私、限界だよ…」

 涙がボロボロ真珠のようにこぼれる。我は思わず歩み寄って肩を叩いてやった。

 「仕方ない。仕方ないのだ。君だって、辛かったのだ」

 項垂れて無言になった千春。零れる涙を拭うために、セーラー服のポケットから真っ白なハンカチを取り出す…ん?このハンカチは…何かが…。

 ハンカチの下に隠し持った何かを千春は我に突きつける…スタンガン?

 「私の勝ち」

 琴ヶ島千春は涙にぬれた瞳のまま、口元に勝ち誇ったような微笑みを浮かべる。

 「あのね、殺気が出てる人間って見てたらわかるよね。迷探偵さん、バレバレですから」

 やられた!百戦錬磨の我としたことが。幾多の凶悪犯と渡り合ってきた我が。まさに痛恨千番の不覚。

 「あなたの失敗はね。せっかく私が殺人者だってわかったのに、無理矢理私は本当は純真ないい人だって思いこもうとしたこと。わかる?私は殺人狂なの。サイコパスなサイコバスターって所?だから手段なんて選ばないの。ギャハハハハ」

 琴ヶ島千春の狂気にも似た…(いや、これが真の狂気と言うものなのだろう)笑顔。まだ涙に濡れたままの頬が、満面の笑顔で歪む。

 しかも、百戦錬磨の探偵である我にはわかる。このスタンガンは通常の護身用の物ををさらに強力に改造したものだ。

 意識が完全に消えていく、恐らく父親の時もこれを使ったのであろう。

 薄れていく意識の中、千春が微笑しながら通学用のカバンからスパナを取り出すのが見えた…。


   千春の独白

 そう、すべては今から始まるの。サイコバスターの物語が。

 私の目的。復讐?快楽殺人?自分にもわからない。

 だけど、お父さんを壊したこと、カレを壊しかけたこと、それとは全然違う。名探偵・額賀小悟朗を壊したことが本当の最初の始まりだったのかも。

 初めはお父さんを止めようと思ったけど、今は私自身が止められなくなった。多分、もう絶対に止まらない。さよなら、すべての世界…死ね死ね死ね死ね、ギャハハハハ。



   ⑤遺言

 この遺言書は俺が死に、千春も死んでしまったからと言って世に出していいとは決して思わない。

 あの日から長い年月が流れ、今では千春を心の底から愛してしまっている俺にとって、千春の名誉が傷つくことは二人がいなくなった後だからと言って、耐えられるものではないからだ。

 だが反面、この真実を古い寓話の中にあったように、どこかにぶちまけてしまいたいという気持ちが、俺の心の片隅に僅かにあったのだ。

 千春を信じている。俺が真相を語ることを恐れて、俺を消してしまう事など、サイコパスの彼女にとって簡単な事なのに、それをしなかった。彼女が俺を愛してくれていたのだという自負を持っているのだ。(自負と言うより自惚れに過ぎないかもしれないが)

 あの決して忘れる事の出来ない12月1日。俺は彼女にスパナで殴られて生死の境をさまよった。

 千春は俺と父親が死んだと思って現場から逃げ出したが、死んだのは彼女の父親だけであり、その1時間ほど後に空き家の扉が開いているのに気付いた、例の事件のパトロール中の警官が(琴ヶ島巡査の連絡が途絶えたこともこの早期発見の一員だったらしい)発見し、俺は幸運にも生き残ったのだが、俺は意識を失う直前に、駆け付けた連中の『誰にやられた?』と言う質問に、『背の高いナヨ男』と答えたらしい。

 その記憶は、目が覚めた時にはなかったが、あんなことがあっても、俺は無意識のうちに千春を救いたかったのだろう。自然と千春と関連づかない背の高い男の話をでっち上げたのだろうと思う。

 それから3ヶ月の間の記憶は全くない。俺は人事不省に陥って、次に俺が目を開いたのは(のちに分かったことだが)3か月後、年の明けた翌年の2月20日の事だった

 瞼を開いた俺の目に移ったのは、潤んだ瞳の千春の顔だった。

 千春は俺の顔を見つめたまま小さな声で、

 「よかった…」とだけ言った。

 自分を殺そうとした当の本人なのに、俺には恐怖は全くなかった。逆に千春の顔の片隅に恐怖が感じられた。俺が目覚めて真実を語れば、千春は破滅するのだ。

 俺は開かない口で精いっぱい千春に笑って見せ、固定されて動かない首で頷いて見せた。

 『大丈夫』と。

 それだけで二人はわかり合ったのである。俺はその直後に再び意識を失ったが、次に目覚めたその日から一週間後から、俺の枕元には目覚めるたびに毎日違う花束が花瓶に活けられていた。


 さらにそれから一週間がたった。日々回復に向かい、峠も越えたと言われたものの、まだ声も出せず体も動かない俺は依然面会謝絶の状態が続いていたが、3月10日の朝、突然病室に千春が数枚の紙を持って現れた。

[ジャ~ン!今日は○○大学付属高校の2次募集入学試験の日で~す」とおどけて言う。

 全然意味がわからない。体の動かない俺は心の中で首を傾げる。

 「本日の入学試験の開始時間は午前9時。もーすぐですね。あと3秒、2,1,0…スタート!」

 言うが早いか千春は猛スピードで、さっきまで手に持っていた答案用紙らしき紙にボールペンで書き込み始める。

 千春の凄いのは絶対に書き損じない自信があるのか、シャーペンや鉛筆でなくボールペンであり、消しゴムさえ持っていない。

 7枚ほどあった答案用紙が(?)あっという間に千春の手によって埋め尽くされた。

 学年No1の千春の頭脳である。何だか訳がわからないが、これが本物の合法な答案用紙であれば(見たところ全く不正はなかった。こんな場所で受験できるかは別として)まず間違いなく、千春はこの地方ではNo1の名門高校、○○大学付属高校の2次募集試験に合格しているだろう。と言うか、千春が2次募集試験を受験するとは考えられないが。

 千春は答案用紙を俺に向けてみせるとニッコリと微笑む。受験者の名前を見ると…ん?俺の名前???

 「これで高校も同級生♡」

 

 どういう手品を千春が使ったかわからないが、とにかく俺は名門進学校である○○大学付属高校に合格したらしい。

 俺は勉強の方はそれなりだが、学校はサボる事もなく、ほぼ皆勤だったので、12月から卒業までの期間が短い事もあって、12月1日以後全休でも出席日数に問題なく卒業できたといえ、肝心の受験ができないはずだったのだが、なぜかこんなので高校入学が可能という事になってしまった。

 とはいうものの俺は当然ながら、入学式はもちろん、1学期も全く出席できず、ようやくリハビリを終えて登校できたのは10月半ばであった。

 しかし、俺がリハビリを始めてある程度動けるようになると、毎日千春が世話女房の如く病院に押しかけてきて、授業のレクチャーをしてくれたので、10月に登校し始めると10月半ばからのスタートにもかかわらず、2学期3学期とも抜群の成績で2年生に進級でき、その後もスタートの遅れもなんのその、トップクラスの成績を続けたまま無事に卒業できたのである。

 エリートばかりの名門校の同級生に遅れも取らずというか、千春のマンツーマンレッスンだから、おかしな学校の教師や妙な予備校講師に訳のわからないことを教えられるよりもずっと成績UPしていた、2学期から登校し始めた俺なのに、その2学期から卒業するまでずっと続いた千春のレッスンのおかげで、3年間ずっと俺の成績はこの名門高校で学年2位だったのである。(1位が誰であるかは言うだけ野暮だろう)

 それからの、俗っぽく言えば青春時代。高校3年間、大学はさすがに名門女子大に入学した千春と一緒とはさすがに行かず、別の大学に進学したものの、二人は学校以外ではほとんど一緒だった。『あのこと』があったなんて夢だったのか?と言う楽しくも甘酸っぱい日々が続いた。

 一方、殺人事件については迷宮に入ったようで、千春に捜査の手は迫っていないようだった。もちろん、たまに被害者である俺と被害者で元警察の同僚だった人間の娘である千春の所には警察関係者が来ては『まだ残念ながら犯人の捜査ははかどっていない、申し訳ない』というようなことを言いに来たが、俺たちは神妙な顔で複雑な念を心の奥に持ちながら話を聞いていただけだった。

 千春は父親を憎んでいたわけでは無い。むしろ他の誰よりも愛していたのだろう。二人を知っている誰もが羨むほどの仲のいい父娘であり、仕事のできる優しい父を尊敬もしていた。虐待などもなかったようだし、彼女の一番大切な人だっただろう。

 だが、何かのきっかけで彼女は父親の犯罪に気付いてしまった。

 もちろん彼女は最初は父を止めようと考えたのだろうが、止めることができずにこんな最悪の結果になってしまう。そして、最愛の人を殺すことでサイコパスに目覚めてしまった。

 殺人衝動に目覚めてしまった彼女だが、俺と共の高校生活を送る3年間は俺の後遺症による障害をフォローしながら生活することで、多忙な毎日がサイコパスの血を抑えていた。

 しかし卒業の直前、この事件の真相に気付いた一人の名探偵が千春に接触してしまう。

 名探偵・額賀小悟朗により事件の真相は暴かれた。しかし、名探偵は事件の真相を警察に告げることなく、何故か千春本人と接触したのである。彼は恐らくチンピラ探偵がやるような、ゆすり・たかりのネタにするのではなく、千春の魅力にひかれてしまい(俺がそうだったように)千春に自首させようと考えたのだろう。しかし、それは最悪の選択だった。 

 千春は人並み外れた鋭い嗅覚を持っている。彼女は名探偵が護身用の拳銃を持っているのに気付いたらしい。無理矢理止められていた彼女のサイコパスの血が、名探偵の手によって堰を切ったように決壊してしまったのだ。

 この事件はなぜか有耶無耶に終わった。名探偵が拳銃を不法所持していた上に、事件の捜査状況が警察内の知人から流れていたことなどの問題があり、結局、何かの事件の調査中のトラブルにより、暴行を受けた事件と警察に判断されたようだ。銃を持っていることから相手は凶悪なやくざ者かという声もあったが、すぐに迷宮入りして忘れられてしまった。

 またしても千春は難を逃れたが、目覚めてしまった千春は止められなかった。大学時代の彼女は犯行を起こすことはなかったが、彼女の血はいつも乾いていた。いつ彼女のサイコパスの血が発動するのか常に恐れていたのは間違いないだろう。

 とはいうものの、大学時代には甘酸っぱい思い出も沢山残っている。基本的に彼女は優しくて思いやりのある人間なのである。一緒にショッピングに行ったり、夏休みに旅行を計画したり楽しい思い出は数えきれない。しかも、その出来た彼女を俺みたいな男が独占しているのだから。

 だが時折顔を見せるあの衝動。理由もなく人を殺してはいけないと彼女に言い聞かせるのは相当の時間がかかった。

 二人は卒業し、彼女は一流企業のCLL航空に合格し就職。名門の女子大を首席で卒業したのだから当然と言えば当然だが。俺も中堅どころの企業に無事就職した。

 就職し2年が過ぎたころ、どうしても満たされない千春の心を抑えきれずに、その妥協点として生まれたのが、当時『21世紀の仕事人』と呼ばれた一連の事件である。

 千春のサイコパスの血は止められない。それなら相手が悪人であればまだ…という論理で俺は相手が極悪人に限定した殺人を許したのだ。

 謎の人物に普通なら決して裁かれることのないド悪党が成敗される。世間の一部では大喝采されたが、当の千春にとって喝采などどうでも良かったのだ。

 彼女の目的は人間を壊したいという一点、ただそれだけでそれがすべてだった。

 仕事人の事件は、与党国民党、及び矢瀬周尊首相にとっては、自分達の巨悪に関わっている仲間や配下の手下たちの悪人が何人か成敗されたため(千春に政治的意図はなく、たまたま野放しの手を出せない巨悪を狙ったらこうなったのだが)流石に与党国民党は本気になった。

 国家権力にまともに来られてはさすがに危ない。国民党の重要ブレーンであったモーリス小暮の事件以後、俺は千春に仕事人を中止させた。千春をこれ以上危険にさらす訳にはいかないからだ。

 千春はCLL航空の仕事を退職した。俺自身も、その頃から事件の後遺症が出始めt体調を崩して会社を退職したが、20代後半からの数年間は千春にとっては比較的落ち着いたいい時代だったのかもしれない。

 FAを辞めた千春であるが、体を壊した俺に代わって、とある企業でOL勤めをした。

 人当たりも良くリーダーシップもあり仕事もできて学歴もばっちりなのだから、その気にさえなればどこへだって入れるのだが。

 ここからしばらくは平穏な暮らしを経て俺と千春も30歳を超えた、サイコパスも影を潜めてこれからは、ずっと幸せな日々が続くかという錯覚も起こした。

 5年に満たず退職したFA時代には、能力はあるが、キャリア的に上に上がる機会もなかったのだが、本来なら人の上に立てる素質のある千春は何年ももOLをやっていれば、嫌でも上に昇進していく。最近では能力主義と言いつつも、上へのゴマすりだけで訳の分からない奴が昇進することも多いのだが、千春の場合、純粋に能力だけで、あっさり外資系企業の部長に昇格してしまった。

 ところが部長になったとたんに、35歳で彼女は突然退職してしまった。最も千春がかなり昇進していたのと、俺たち二人共、浪費癖も無いので、貯金と退職金だけでも、ある程度余裕のある生活を7年ほど続けた。

 千春は気の向いた時には、当時住んでいた家の近所の予備校や学習塾でパートの講師をして日銭を稼いでいたが、平凡な頭脳しかない俺を名門高校で(自分に次ぐ)学年2位に独力で持っていけるくらいに千春は頭がいいだけでなく、人に教えるのも上手い。

 すぐに大評判になるのだが、千春は評判が上がるたびに別の所に転職していった。

 そして、42歳の秋、千春は依然として美しく、サイコパスも影を潜めて傍目にはごく普通の人生を送っていたが、彼女は突然『小料理屋を始めたい』と言い出した。

 あまりにも唐突で、脈絡のない希望だ。

 金銭的に不安がある訳じゃないが、彼女は普通に料理は作れるものの、料理が趣味とか作るのが好きという訳でもない。よく自分の作った料理や、外食で食べる料理を撮影する人をよく見るが、彼女に至っては料理を撮影する姿を見たことが無いくらいなので驚いたのだ。

 意外な申し出ではあるが反対する理由もないし、ヒモ状態の俺にとっても、外資系企業のOLとか予備校講師と違って、少しくらいの手伝いはできるかと思ったのだ。

 銀座で高級クラブをとかではないし、普通に小さな町で小料理屋をという事なので、好きにやらせることにした。OKを出した時にはもう、いろいろ準備にかかりそうな免状やら資格をしっかり持っていたのだが…。

 結局、俺のお手伝いは、やんわりと笑顔で却下されたが。さすがというべきか、人を引き付ける千春の才能は『普通の料理』しか作れないにもかかわらず、店にはたくさんの常連たちが募った。

 彼女の性格や人当たりの良さ、そして年齢を感じさせない美貌は、サイコパスの彼女さえ出なければ、評判になって客が集まってくるのも当然だろう。

 しかし、幸せな時間は長く続かない。ついに彼女は、ある常連客の青年を何の理由もなく殺してしまった。全く社会の害にならないような、真面目で大人しい青年だったのだが。

 生真面目すぎるこの青年を千春が励ます為のジョーク芝居という題目で、俺もその芝居に協力させられた。

 酒を飲めない青年に俺が途中でウーロン茶を差し入れると言う小芝居だったはずが、そのウーロン茶に彼女はこっそり睡眠薬を混入していたのだ。

 仕事人事件の際に、悪党を成敗するのに手を貸していたことはあったが、さすがに俺にとってこれはショックだった、

 正直、一連の仕事人事件では被害者たる悪党とFAにすぎない千春の繋がりは関連付けられることはなかった。

 それはそうだ、モーリス小暮の事件以外は機内で被害者と接触したことさえなく、単に足代わりとしてターゲットのいる所に仕事で行く時を狙っていたんだから、千春とターゲットの関係なんていくら探してもモーリス小暮のケース以外出てこないだろう。

 あえて千春には、この一連の仕事人殺人では、スパナを凶器として使用しないようにさせていた。

 スパナによる連続殺人の手口が大和町の六人連続殺人事件と結び付けられると、大和市(当時は大和町)出身の俺や千春と関連づけて考える人間もいるかもしれないからだ。

 しかし、この事件…青年が入り浸っていた小料理屋のおかみが、あの大和町事件で関わりのある琴ヶ島千春だとわかれば、この二つを関連付けた捜査が行われるかもしれない。

 だからこそ俺と千春は、この事件を無かったことにするため、青年の遺体を完全に処分しなければならなかった。

 俺たちにとって幸運なことに、家族のなかったこの哀しい若者の失踪は、単なる家出事件として扱われ、彼は会社を懲戒免職処分になって、会社も行方を追うことをしなかったのだ。

 千春が青年を殺す動機は皆無だし、常連客も彼女が不利になる証言を全くしなかった。

 この事件の後、千春が殺人を行う事は全くなくなった。彼女なりに何か考える事があったのかもしれない。平穏に見える日々が、あの日から今日まで流れている。

 しかし、俺は千春の愛情に甘えながらも、いつ彼女の血が目覚めるかと常にビクビクしながら毎日を過ごしている。

 二度と再び彼女は殺人を起こさないのかもしれないし、そうなって欲しい。千春を愛する心は決して変わらないものの、心休まる時間が一秒たりと無い人生を生き続けていく、消耗はもう、限界に近い。

 俺自身が壊れてしまう日は、そう遠くはないだろう。

 千春が最初に殺人を行ったのは父親、そして俺の二人の時だ。

 スタンガンで気を失っていた父親はともかく、俺の方はとっさに千春の攻撃に反応したのだろう。初めての殺人だった彼女の不慣れもあって、その殺人は失敗したのだと思う。だから今、俺は生きていられるのだ。

 彼女はその後、その失敗に学んだ経験から新たな知識を得て、スパナによる攻撃に修正を加え、必ず一撃必殺となる角度や狙う位置を微調整し徹底的に研究したという。

 最終的に十人以上の人間を殺害した千春の狂気、俺が生き延びられたのは、ただ単に千春がまだ殺人に不慣れだったという、もの凄い幸運であっただけなのだ。

 最期に、俺は千春を愛した。その事に後悔はない。

 ただ、それによって更なる被害者を大量に出してしまった罪は認めなければなるまい。

 殺された中には、何の罪もない人間もいた。

 自分たちの罪は、もう取り返すことはできないが、『愛』ゆえに、これに加担してしまった事実は心から謝罪したい。

 俺にもいつか…いや、近いうちに裁きの時間が訪れるだろう。

 今は粛々と、その時間を待つだけの人生だ。

 残された時間をずっと怯えながら過ごす、それが贖罪だと思ってもらいたい。

 おや?もう時間もないようだ。

 では、さようなら、すべての世界

 サイコバスターに乾杯!

 Good Luck

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