昔の記憶。
カナヅチな子梅は、水が嫌いだった。
今となっては愛されキャラである子梅にも、所謂『いじめられっ子』の時代を生きていたことがある。
クラス全員(半強制)での夏の日の海。当然ながら泳ぐ気など微塵もなかった子梅だが、『いじめっ子』に、あろうことか、着衣のまま海に突き落とされてしまったのだ。
「………」
沈みゆく身、止まる呼吸、ふわふわした重力。耳に響く心臓の音。
子梅は、いじめから抜け出したかった。このまま沈んでしまえば、抜け出せる、逃げられる、かもしれない。家族も親友もいる子梅は自殺という思考回路に至ることはなかったが、一瞬、ほんの一瞬だけ、そんな考えが浮かぶ。
子梅は嫌いなはずの水に身を委ねた。瞳を閉じ、抗うこともなく、ただ、ぼんやりと思考を回すことを止めた。
ふと、子梅の身体に何かが当たった感覚がした。
魚だろうか、そう思っていたのだが、その何かは確実に子梅の腕を握った。やがて、何となく上に引っ張られる感覚さえもする。
思わず閉ざしていた目を開いてしまった。灰色にも見える尾ひれに、上半身のヒトの姿。
(……………人魚?)
意識朦朧とする中、ニュースでよく耳にする単語が思い浮かぶ。
水圧で逆立った薄い金髪に、水色の瞳。浅く開かれた口から、透明な水泡が上がる。
ぱちりと目が合えば見える、水色の遥か深い底にある、純粋で真っ白な光。
(……………綺麗だ………)
そう思ったきり、次に意識が覚醒したのは、あの光とは違った意味で真っ白なベッドの上だった。
「あんた、ばっかじゃないの……どうして、どうしてそんなになるまで、何も言わなかったのよ!」
風華には、気づいてあげられなくてごめん、と、泣きながら謝られた。だから子梅も、相談しなくてごめん、と謝った。
「気づかなくてごめんね?」
「いじめたつもりはなかった」
いじめっ子や当時の担任には、まるで誠意の感じられない笑みを浮かべながら謝られた。子梅は許せなかった。子梅は殺害未遂の被害者だ、裁判沙汰になったのは言うまでもない。
それでも尚子梅は、どうしてもあの水色の瞳が忘れられなかった。
また会いたい、会ってお礼が言いたい。
泳げない事実にうちひしがれながらそう思っていた。