☆人とは違うものたち
「……という感じで、最近は彼とも良い感じに過ごせている次第です」
「そうか」
短い言葉だったが、小言が飛んでこない時点で相手の機嫌が良いことを、ナツメは察していた。
山の主、化け狸の銀二郎。彼は狸の姿のままで、人に化けた猫又を見上げた。
「間違っても、あやつ以外のニンゲンに姿を晒しておらんだろうな」
「問題はないかと。あのアパート、那月くん以外はほとんど人がおらず、家主も道楽でやっているようなもののようですから。未だにご近所さんに会ったことがありません」
「……職場のものたちはある程度は儂の方でなんとかはなるが、余り広い範囲は無理だ。よく覚えておけ」
「ええ、承知しております」
師匠の言葉を聞きながら、ナツメは布団のメイキングを済ませる。
時刻は午前の少し遅め。宿泊客が帰り、空いた部屋の掃除をして回る時間だ。
「お師匠様、そこでごろごろされると毛が落ちるので、ちょっとやめていただきたい」
「……猫のくせに仕事熱心だな、お前は」
「吾輩、お仕事は結構好きでして。それに最近は、早く終わらせて那月くんのことを手伝いたいとか、早く終わらせて家に帰りたいとか、そういうの前より強い」
「そうか」
「まあ、今日は吾輩だけが出てるので、気分としては後者ですが……それよりお師匠様の方こそ、お忙しいのでは無いですか。吾輩以外にも目をかけている妖怪はいるでしょう」
ナツメの言うとおり、山の総大将という立場である銀二郎は、妖怪の中では『忙しい』立場だ。
実際、この温泉旅館にも、ナツメ以外の妖怪が多く働いている。厨房で包丁を振っているのは山ミサキという鎌鼬の仲間だし、フロントを担当している背の高いものは伸上り入道。他にもいる内装係のうち、ひとりは子泣き爺がいるし、経理の童顔は赤シャグマだ。
この旅館で働いている妖怪たちはすべて、銀二郎の口利きでそれを許されている。
そういった口利きだけでなく、妖怪たちの縄張り争いや、かつてのナツメのように新たに生まれる、あるいは『成る』妖怪の保護や、ニンゲンの開発の広がりで住処を追われた仲間たちのケアなど、銀二郎の仕事は多い。
「ふん」
しかし、当の本人、いや本狸は、ナツメの心配を不要とばかりに鼻で笑った。
「もう何百年とやっていることだ、慣れておる」
「慣れていても、疲れはするものでしょう。たまには一泊、部屋でも取っては如何です?」
「ニンゲンに化けて泊まるなんぞ、それこそ肩が凝ってしまうわ」
言いながら、銀二郎は開いている窓へと飛び移る。
その拍子に毛が少し落ちるが、ナツメの手によってすぐに綺麗にされた。
「……まあ、儂が思った以上に入れ込んでいるようだな。仲が良いのはなによりだ」
「……そこまで入れ込んでなどおりません。ちょっと那月くんの寝顔じっと見ていたり、次のデートのことを考えたり、今日のご飯は何だろうとか考えるのが楽しすぎて時間を忘れるだけで」
「それを入れ込んでるっていうんだがなー……?」
弟子のあまりのちょろさに、銀二郎は溜め息を吐いた。
「ニンゲンと妖怪は違うと言うことは、忘れるなよ」
「それは、分かっています。いずれ吾輩がニンゲンをよく知り、満足を得れば、この関係は終わるでしょう。そうでなくとも、吾輩と彼、生きられる時間が違います」
「…………」
あっさりと事実を口にする猫又に、狸は押し黙る。
彼女の言うように、猫又となった彼女と、人間である那月では寿命が違う。
妖気を得て、自然と理というくびきから外れた彼女は、これから数百年の時間を生きる。なにかと戦い、命でも落とさない限りは。
しかし、那月はただの人だ。あと五十年、六十年も生きられれば、長い方だろう。
「世の中はなにもかも変わります。そして変わるということは、いつか終わるということ。であれば……『終わる』までの時間を、少しでも楽しくというのがよろしいかと」
その終わりが、死別なのか、離別なのか。
どちらにせよ、ナツメにとって那月との関係性はいつか終わるものだった。
「……鏡を見ているようだなあ、これは」
銀二郎の胸の中に苦いものが走ったことを、ナツメは理解できない。
それ以上の言葉を飲み込んで、化け狸は窓の外へと目を向ける。
「お師匠様?」
「そのうち、分かるさ。楽しいだけではいられなくなるときもある。お前はそういう感情も、きっと知るべきだろう。……後悔、というものを」
言葉を残すようにして、銀二郎は返事を待たず、外へと飛び降りた。
開かれた窓から吹きこんでくる風を吸い込んで、ナツメは吐息。
「相変わらず、お師匠様はお小言がお好きだ」
言われたことの意味はよく分からないが、留めておく程度はしておこう。
そう考えて、ナツメは部屋の掃除を再開する。
「……今日は那月くんと、どう過ごそうかな」
浮ついた心地を自覚できないままに、彼女はその日の仕事をこなすのだった。