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☆師匠と弟子

「……ということがありまして」

「意外と男気があるな、あの少年」


 一夜明け、事情を説明された銀二郎の感想は、ナツメが思っているよりも好意的なものだった。

 銀二郎は狸の姿で、川に流れる水をぺちゃぺちゃと舐めている。

 既に人間の姿へと変化し、麗しい女性の姿になったナツメは、師匠の毛並みを確かめるように撫でて、


「怒らないのですね、お師匠様」

「言ったであろう、既に呪いは結んであると。あの少年が儂らの領分を犯さなければ、儂は今以上の手出しはせん」

「……吾輩は?」

「なんだ、つまらんことをしたら尻尾がちぎれる呪法でもかけてやろうか?」


 確かめるまでもなく痛いので、ナツメはぶるぶると首を振った。

 弟子の様子を見て、狸は随分と人間臭い仕草で大きく溜め息を吐いた。


「……お前は世間知らずのバカで、その上で好奇心旺盛のアホなので始末に終えないが、だからこそ、ああいうニンゲンに救われるならそれが良いだろうさ」

「救われ……吾輩、救われるような境遇ではないと思うのですが。野良ですが、納得はしておりますし、暮らしを苦しいと思ったこともないですぞ」

「……そういうことではないさ」


 師匠が少しだけ目を細めたときは、なにかを思い出しているときだと、猫又は知っていた。

 そして、なにを思い出しているのかは聞いても答えてはくれないことも、知っている。

 疑問はあるものの、ナツメはそれ以上を聞くことはしなかった。


「……お師匠様、少し質問があるのですが」

「なんだ、言うてみろ」

「吾輩は……ニンゲンの家に住むのは初めてで。楽しもうとは思うのですが、同じように、彼にも楽しんで欲しいというか……少なくとも、あまり迷惑をかけたくはないと思うのです」

「……で?」

「端的にいうと、どうすれば彼が喜ぶと思われますか? 吾輩ちょっと、野良(ぼっち)長くてそういうの超疎い」

「狸に人間関係の相談するかー……」


 やれやれと首を振りつつも、銀二郎はどこか楽しそうだ。

 面倒を嫌うくせに、頼られるのは嫌いではない。そんな師匠の性分を、弟子はよく理解していた。


「まず前提だが、お前は今、ろくなことができん。せいぜい、あの宿で鍛えた掃除くらいのものだろう」

「……つまり家の掃除を」

「阿呆。思春期の男子(おのこ)の持ち物を勝手に掃除するな、向こうが恥ずかしがる」

「では吾輩、本格的になにもできないのですが」

「……お前はあの男子に惚れられとろうが」

「つまり交尾ですか!?」

「あいつ本当に苦労しそうだなぁ!?」

「吾輩もそれは望むところなのですが、後輩はちょっと奥手というか、いきなり交尾しないニンゲンらしくて」

「……本当に苦労するなあ」


 狸が真顔になったが、猫又の方は呆れられていることに気付いていなかった。


「……いきなりそこまでしろとは言っておらん、あの男子が望んでおらんなら尚のことだろう。まあ、スキンシップのひとつでもしてやれ」

「ふむ……分かりました、お師匠様。最終的には交尾ですね」

「まあー、最終的にはなあー……でもその直接的な言い方は男子としては逆に萎えるやつだなあー……」


 その辺りの機微をまだ理解できない弟子のことを諭すべきかと師匠は迷ったが、最終的には那月に丸投げしようという方針になった。

 野良猫というシンプルな生き方をしてきたナツメに、色恋の奥深さを教えるのは、付き合いの長い銀二郎でも骨が折れると感じたのだ。


「……まあ、お前の意欲は評価できる。なにか困ったことがあれば、また儂のところに来るが良い。だが、なるべく困るなよ、面倒だからな」

「はい、お師匠様」

「それと特に用がなくてもたまには顔を出せ、腹を出して寝るなよ、ニンゲンと暮らしているからといって油断してご近所さんにまで正体を晒すなよ、それから……」

「はいはい、お師匠様」


 うるさい小言を聞く機会も減ると思えば、少しだけ楽しくなってくる。

 銀二郎の言葉を聞きながら、ナツメはしばし彼の背中を撫でた。


「では、お師匠様。そろそろ」

「うむ、達者でな。……荷物はそれだけで良いのか?」

「元々吾輩、私物はこれしか持っておりませんので」


 そう言って、ナツメはその場でくるりと回ってみせる。

 普段の仕事で使っている旅館の制服。それだけが、彼女の荷物だった。


「……アレも持っていくか?」

「お師匠様が、裸は止せといって渡してくれたあの服ですか。ですがアレは、お師匠様にとって大事なものでしょう」

「……お前鈍感なのに、そういう気の使い方は覚えたな」

「鈍感な吾輩でも見て分かるほど、大事にしていらしたので」


 照れくさいらしく、目を逸らした銀二郎の様子に少しだけ笑って、ナツメは距離を取る。


「それでは、お師匠様。お世話になりました」

「おう」


 会おうと思えばいつでも会えるので、別れの挨拶は簡単なものだった。

 背を向けた猫又は、師匠の方を振り返ること無く、山を降りていく。


「スキンシップ……なるほどにゃあ……」


 ポジティブなナツメの思考は、既にこれから先のことに向いていた。

 猫又の足取りは軽く、整備されていない獣路を難なく通っていく。


「お待たせ、那月くん」

「あ、おかえりなさい、ナツメ先輩……って、荷物それだけですか?」

「うむ、吾輩、ほとんどものを持ってないからな」

「仕事の連絡とかどうしてたんですか……」

「その辺りはお師匠様がやってくれててなあ……」

「これからは僕が担当ですね」


 スマホを持たせた方が良いだろうか、そんなことを思いながら、那月は山に深く頭を下げる。


「……那月くん、どうした?」

「いえ、銀二郎さんなら見ているかなって」

「ふむ……あり得るな」


 丁寧で素直な那月の態度を好意的に思いながら、ナツメも習うようにお辞儀をする。

 頭を上げたふたりは、肩を並べて歩き出した。


「じゃあ、これから宜しくお願いします」

「うむ、これから宜しくだ、那月くん」


 山から吹く風が頬を撫でるのを心地よく思いながら、ふたりは帰路についた。


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