☆猫と人間の飲み会
「お邪魔します!」
「はい、どうぞ」
元気よく入室するナツメを、那月は快く迎え入れた。
彼が住むアパートは、1DK。田舎の山中なので家賃は駐車場込みでも非常に安い。部屋もすべて埋まっておらず、のびのびと暮らしている。
「うん、やっぱり綺麗なお部屋だね」
「昔はもう少し汚かったんですけど、いつの間にか掃除が得意になっちゃって……先輩のお陰で」
「ふふ、褒めてもなんにもでないぞう」
その笑顔で充分です、という言葉が浮かんだが、気恥ずかしかったので那月は飲み込んだ。
正体を知られ、もはや隠す必要がなくなったナツメは、部屋に入るなり猫の耳と尻尾を生やす。
「耳と尻尾を戻すだけでもだいぶ違うものなんですか?」
「猫にとって大事な部分だからなあ。特に尻尾を消すとバランス感覚がおかしくなるから、吾輩がニンゲンの姿でちゃんと歩けるようになるには、かなりの修練を必要としたぞ」
言いながら、ナツメは興味深そうにあちこちを見て回る。
既に見られて恥ずかしいものはすべて押し入れの中なので、那月は笑顔でナツメが興味津々に部屋のあちこちを見て回る様子を眺めた。
それほど裕福というわけでも無く、それほど困窮しているわけでもない那月の部屋は、独り暮らしには充分すぎるほどに家具が整っていた。パソコンも、ゲーム用の少しスペックが良いものを置いている。
「凄い……ニンゲンが生活している空間! 吾輩、野良出身なのでじっくり見られるのは非常に興味深い! この機械とか、なぜこんなにキラキラしているのだ!?」
「ゲーミングってつくと光るんですよ、なぜか……」
特に意味もなく光るマウスに興味津々なナツメを微笑ましく思いながら、那月は飲み会の準備をはじめる。
小さなテーブルが一杯になるくらいに置かれた料理は、唐揚げや生姜焼きなど、男のひとり暮らしらしく味の濃いものが多いラインナップだが、酒には合う。
今回は飲み過ぎを避けるために、事前に水も用意している。
肉系の料理が多めなのは、先輩が猫ということも考慮した上でだ。
「おお……凄いな、これぜんぶ那月くんが今日作ったのかい!?」
「ええ、まあ……独り暮らしも長いので。いくらかは時間あるときに下ごしらえしておいて、いつでも簡単に作れるようにしてあるんです」
「内装係から厨房係に転職も出来そうだね……あ、でもそれ吾輩ちょっと寂しいなぁ……」
「あはは、さすがに本職の人たちには勝てませんし、内装係も気に入ってますから」
「うむ、そうかそうか。……そして先輩としては恥ずかしいことであるが、吾輩は元々猫なので料理は苦手でなあ……でもお金はあるから、お酒はいろいろ買ってきたぞ」
「……今回は飲み過ぎないようにしましょうね」
手提げ袋いっぱいに入った酒を見て苦笑しながら、那月はグラスを用意する。
液体を注げば、アルコールの香りがふわりと立ち上がり、アパートの古い匂いを上書きするように広がった。
雰囲気に飲まれないように気をつけながら、ふたりはグラスを軽くぶつけた。
「では、乾杯だ!」
「はい、乾杯ですね」
お互いに慎重に、舐めるように酒を舌で転がすと、独特の香りと熱が口の中を満たす。
刺激に誘われるように唐揚げにかぶりつけば、甘く、じゅわりとした肉汁と油が酒の香りを柔らかく持ち上げた。
「……美味しいね、これ」
「ありがとうございます」
「にゃあ……料理というのは、ニンゲンのやることの中でかなり興味深い部分だ。吾輩たち、基本食べ物は生で行くからな」
「逆に人間は生で食べたらお腹壊したりするんですけどね」
「あと、虫を食べるのめっちゃ嫌がるじゃないか。結構美味しいんだが、アレ」
「それはビジュアル的な問題が……」
「……見た目の話なら、魚とかも結構凄くないだろうか?」
「それはそうなんですけどねー……」
昆虫食に対する忌避感をどう説明したものかと悩んでいるうちに、対面の猫又は一通りの料理に手をつけていく。
一口食べては少女のように目を輝かせるナツメを見て、那月は作りがいを感じた。
飲酒よりも食事メインの、ゆったりとした飲み会。途中で水を挟み、ほどよく酔いをが回る感覚を楽しみながら、那月とナツメは料理の皿を空けていく。
「先輩って、猫又なんですよね。戸籍とかどうしたんですか?」
「コセキ……ああ、アレか。そういうのは大体お師匠様が用意してくれてなあ……あの温泉宿で働いているのも、お師匠様があれこれと手を回してくれたお陰なのだ」
「……やっぱり優しい人、というか狸なんですね」
「うむ。吾輩、お師匠様のことを日に五回くらいは小うるさい古狸だと思うが、常に尊敬と感謝はしているぞ。それに意外と涙もろくてなあ、初任給でお師匠様の好きな酒買ってプレゼントしたら酒瓶抱えておいおい泣かれた」
「酒瓶抱えておいおい泣く狸……」
想像して少し吹き出してしまったが、本人(本狸)がいたらふたりともこっぴどく叱られていただろう。
他愛のない話は弾み、食は進む。酒をほどほどに楽しみ、先輩と後輩の間には落ち着いた空気が流れる。
「じゃあ先輩は、今は銀二郎さんと暮らしているんですね」
「んむ? いやー、どうなんだろうな、暮らしたり暮らさなかったりというか……吾輩、気分次第であちこち転々としているからなあ……」
「転々……あの、先輩、そんなに家をたくさん持ってるんですか?」
「いや、持ってないぞ。あちこちの廃屋を勝手に寝床にさせて貰っている」
「大問題じゃないですか!?」
一瞬で酔いが覚めた。
「え、ちょ……い、今までずっとですか!?」
「うむ、今までずっと」
「お風呂とかどうしてたんです!?」
「猫の姿に戻って毛繕いであるなあ、水に浸かるのは苦手だ」
「そ、それは流石にマズいんじゃ……」
「まあ、確かに褒められたものではないであるなあ……蛇とかムカデとかに噛まれることもあるし、雨風もふつうに入ってくるし、ニンゲンのルール上では悪いことらしいしな……」
「いやそういうことじゃ……そういうことでもあるんですけど!」
那月が危惧しているのは、もっと別の問題だった。
ナツメのような美人が、廃屋に忍び込んで雨風をしのいでいる。
(心配するに決まってるでしょうが……!)
ましてそれが自分の好きな相手なのだから、気が気では無くなるのも当然だった。
「先輩、ええと、その……」
「う、うむ、なんだ?」
ナツメの方も、那月の様子がおかしくなったことで違和感を得ていた。
自分の言動が原因であることは分かるが、なぜ、相手がそこまで真剣な顔をするかが分からない。
不理解のままで、ナツメは那月に手を握られる。
「あ、手……」
「う、うちで暮らしませんか!」
「にゃ!?」
「だって心配ですし、うちにいれば人間の生活をより近くで見られますし、ええと……な、なにもしませんから……!」
自分でもとんでもないことを言っていると分かりつつ、那月はまくしたてた。
酒の勢いも込みではあったが、やや強引にでも、ナツメに廃屋で寝泊まりするという行為をやめさせたかったのだ。
「……なにも、しない……む、ぅ……」
一方で猫又の方は、申し出を有り難いと思いつつも、胸の中がもやもやしていた。
なにもしない、という言葉が後輩の優しさから来ていると分かっているのに、なんだかそれが寂しく思えてしまう自分がいる。
握られた手から伝わる体温がやけに熱く感じられて、なぜか鼓動が乱れてしまう。
一般的に、それは相手を異性として意識したが故に起きるものなのだが、色恋を理解していない猫又は気付かない。ただ、なんとなく痛みのようなものを感じてしまうだけで。
「……後輩が、それで良いなら、吾輩としては願ってもないことであるが」
「決まりですね!」
こうして、やや強引にふたりの同棲が決定したのだった。