☆ナツメ先輩は知りたい
万定 ナツメは猫又である。
かつては野良猫であり、山で長く生活するにつれて徐々に霊力を得た。
同じように山に住む猫たちが命を繋ぎ、終えていく中で、自分は猫又として覚醒したことを、ナツメは興味深く考えていた。
「なぜ、吾輩だけがこうなったのだろうか?」
霊力を持ち、寿命を外れ、高い知性を得た。
なぜ、なぜ、なぜ。
無数の疑問は、あるひとつの指向性を帯びる。
知りたい、知りたい、知りたい。
およそ猫の寿命と肉体、そして知能では不可能であった、物事を理解するという刺激に、ナツメは執着した。
そうして今のナツメの興味は、ニンゲンに強く向いていた。
猫であった頃は追い回されることもあり、しかし施してくれるものもいた、ニンゲンという生き物。
あの生き物のことを知りたい。理解したい。それが今、彼女が『万定 ナツメ』としての姿を取る理由である。
「……にゃあ」
まだ、日が昇らない時間。
とある廃屋で、ナツメはむっくりと起き上がった。
現代の田舎の山では、人のいない家など珍しくない。そのうちのいくつかを、ナツメは気分次第で転々としていた。
今の姿は猫のもので、変化は解いた状態。猫は自らの手をじっくりと眺め、はぁ、と人間くさい溜め息をこぼし、
「では、準備をしようか」
呟いた瞬間には、もう姿は変わり始めている。
人を模し、人に紛れ、人と暮らす。そのために身につけた変化の力。
ヒビの入ったガラスに姿を映して、変化忘れがないことを確認すると、ナツメは仕事着に袖を通す。
「この生活も随分慣れたものであるなぁ」
ニンゲンの暮らしに興味を持った猫又であるナツメが、変化を身につけて数年が経過していた。
周囲の助けはありつつも、今では自然と人の中に溶け込めていると、猫又は自己評価する。
知れば知るほど猫とは違うニンゲンの生活は面白く、ナツメはのめり込んでいった。
「……まあ、こういう風に失敗するのであるが」
うっかり前と後ろを反対に着ていることに気付き、ナツメは笑う。
そんな失敗も含め、楽しいと思う。猫又の少女は享楽的で、好奇心で死んでも構わないとすら思っていた。
「うん、今日も出来がいいな。さすが吾輩である」
改めて身だしなみを整え、ナツメは満足の吐息。
銀色の髪と蒼い瞳は田舎では目立つが、髪色を変えるのは非常に手間な上、物珍しげに見てくるニンゲンを逆に観察することも出来るので、あえてそのままにしている。
「……それにしても、意外なことだったな」
自らの手首を眺めて、ナツメは呟いた。
彼女が視線を送る部分は、昨日に後輩である那月に捕まれた部分だ。
どこか気弱な印象のある彼が、予想外の力で自分を押し返したことに、ナツメはまだ驚いていた。
「子供だと思っていたのだが……」
ナツメにとって、那月の存在は猫で言うところの愛玩具や子猫に近く、庇護する対象でもあった。仕事を教えるのも、母猫が子猫に狩りを教えるようなものだと考え、丁寧に教えていた。
そんな庇護するべき相手が、自分の予想以上の力で返してきた。
「……なんだろう、少し、ちくりとした」
猫の世界に生きてきたナツメにとって、感情とは物珍しいものだった。
テリトリーに入るものは遠ざけるか自分が離れ、食いたければ食い、眠りたければ眠り、渇けば水を飲む。
よく言えば野性的、悪く言えばシンプルな生活を営んでいた彼女にとって、ニンゲン社会の複雑さと、そこから来る『感情の機微』というのは、まだまだ未知のものであった。その社会に浸り、影響を受けつつある自分の心も含めて、だ。
「……もう少しだけ、触っていたかった……いや、これは触られていたかった……のか……?」
しばしの間、自分の中に現われた感情に、ナツメは戸惑う。
「……ま、良いか。そのうち答えも出るだろう」
迷いはあれども、それすらも楽しいと思って、猫又は笑みを浮かべる。
時計のない部屋で、空の明るさだけで時刻を判断すると、彼女は軽く伸びをした。出勤の時間が近いのだ。
「では、お師匠様。行って参ります」
手入れの届いてない部屋の隅に置かれた、やや埃の積もったタオルケットに声をかけると、布がもぞもぞと動いた。
「……うむ、行ってくるがよい」
タオルケットの中身から聞こえてきた声は、古く、重い響きがあった。それでいて、寝起きの緩い吐息もあり、
「まだまだお前は隙が多い。正体がバレないように、厳重に気を使うように」
「…………」
「特にお前、アレじゃぞ。ニンゲンに興味持つのは良いが、踏み込みすぎて怪しまれたり、そういうのは特に気をつけるんじゃぞ」
「…………」
「なんじゃ、さっきから黙りこくって。普段は聞いてるのか聞いていないのか分からないような態度でへいへい言うくせに」
「……お師匠様。先に謝っておいても良いだろうか?」
「話せ、今すぐ。それから土下座しろ」
数秒後。事情を聞いた『お師匠様』の怒声が、廃屋に木霊した。