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☆『かつて』と『いつか』

「っ……!!」


 目を覚ました瞬間、視界に映ったのは見知った天井だった。


「夢……じゃない! 先輩!!」


 自分の中に一瞬だけ浮かんだ甘い考えを振り切って、那月は飛び起きる。

 部屋の中には人の気配は無く、静まりかえっている。それでいて、『彼女』の残り香は感じられるのだ。


「待たんか、バカ者」


 ろくに準備もせず飛び出そうとした那月の背中に、声がかけられる。


「銀二郎さん……!?」

「やれやれ、折角あのバカ弟子の術を解いてやったというのに、礼もなしに走り出そうとしおって……若いのう」

「術って……」

「平たく言えば儂がお前にかけた呪いと同じ、意識を失うというものだ。それをお前は、あやつから直接かけられたのさ」

「なんで……」

「別れを引き留められたくないからであろうな。お前に止められたら、ほだされてしまうと分かっていたのだろう」


 冷静に分析しながら、銀二郎は窓の外を見る。


「心配せずとも、あやつが出て行ってまだそう時間は経っていない。儂の配下の者に探させているから、じきに見つかりはするだろう」

「それでも、僕がいかないといけないと思いますから」


 きっぱりと迷い無く答える那月を見て、銀二郎は狸の姿のままで笑った。


「お前、本当に良い奴だなあ。なんであんなバカに惚れた、乳か?」

「胸も含めて、いろいろです。でも、今はきっと……あの人のぜんぶが、好きなんだって思います。良いところも、悪いところも、これから変わっていくところも、ぜんぶ。どんな理由があっても、引き留めたいと思うくらいに」

「いや本当にふたり揃って恥ずかしい言葉ぽんぽん出すなお前ら?」

「本気ですから」

「そ、そうか、若いんだのう……」


 熱気にあてられそうになりつつ、銀二郎は首を振る。


「ならば、すまないなと言おう。あれがバカをやったのは、今回は儂が発端だ」

「銀二郎さんが?」

「あやつは、お前とのこれからに悩んでいた。だから儂の昔話を聞かせてやったんだが……『後悔しないようにしろ』と大事な部分を聞かずに、あやつはお前と距離を取る道を選んだ」

「……人間と妖怪だから、ですか」

「うむ。詳しくは省くが、儂もかつてニンゲンを愛した。痛みはあったが、そのことを後悔したことは一度も無い。無いが……あやつはいつか、それが痛みになることを恐れたのだろう」


 告げられた言葉を、那月は頭の中で反芻する。

 それは彼女が人ではないと知ってから、自分の中にずっと意識としてあったものだ。


「なんだ。そんなこと、僕はとっくに覚悟してたのに」


 きっと寿命も違えば、生き方も違うだろうと思っていた。数多くの問題があって、大変なことだってあるだろうと分かっていた。

 それらすべてを加味しても、彼は彼女を愛する道を選んだのだ。覚悟も決意もとうに決まっていた。


「……お前さん、強いな」

「銀二郎さんだって、相応の積み重ねがいるって言ってたでしょう?」

「……ああ、その通りだ」


 そしてそれは、お互いに積まなければならないということを、銀二郎は知っている。

 狸はつぶらな瞳で、ニンゲンを見上げる。

 ニンゲンは相手に目線を合わせるように、その場にしゃがむ。


「後悔はするか?」

「いつか、するかもしれません。でもたぶん、好きな人のために迷わなかったって誇りに思うことの方が多いです」

「……ああ、それはきっと、かつての儂も同じだった」


 後悔したことなど、無数にある。

 それでも彼は、人を愛したことを悪かったとは思っていない。

 誇りだと言える過去を思い出し、だからこそ、彼は獰猛に牙を剥いた。 


「だからこそ、言おう。あやつのことを忘れなければ、この場で儂がお前を食う。かつてと同じように、悲しみを生むことがないようにな……!!」


 銀二郎の雰囲気が、剣呑なものになる。

 溢れ出る気配は、那月が生まれてはじめて受ける明確な殺気だった。

 見目こそただの狸であるが、その気になれば間違いなく自分は殺されると理解するには充分すぎるほど、濃密な死の気配。


「っ……」


 身体が強張り、逃げ出しそうになったのは、ただ一瞬。

 那月は転げそうになる自分を抑えつけ、まっすぐに相手のことを見た。


「……お師匠様は優しくて面倒見が良くて、ちょっと涙もろい人だって先輩から聞いてます」

「それが、どうした……儂はこの山の総大将! 秩序を乱すなら、容赦なく命を奪うくらいは何度もしてきたぞ!!」

「はい、そうでしょうね。だから……僕はこれから、なにをすれば良いですか?」

「…………」


 あまりにも予想外だった彼の言葉に、妖怪の総大将が放つ殺気が止まる。


「僕は、妖怪のルールもよく知らない。銀二郎さんのかつてのことも言われた以上のことは分からない。いつかのことだって、どうなるか想像できません。でも……今、僕はあの人と離れたくないと思います」

「……それで?」

「だから、知恵と力のある人に助けて貰おうと思います。この場で貴方に食べられなくて済んで、先輩とも一緒にいられるようにするには、どうすれば良いのかを、教えてください」


 今まさに自分を脅している相手に解決方法を聞くなど、めちゃくちゃだと銀二郎は思った。

 しかし、目の前にいるニンゲンの目はあまりにも真っ直ぐで、本気だった。

 それはかつて、自分が一度は突き放そうとしたものに似ていた。

 何度諭しても、脅しても、自分と一緒に山で暮らした彼女が最期になんと言ったか、彼は覚えている。


「っ……まったく、うちの弟子は面倒ごとを持ってきてくれる」


 自分がほだされていると分かっていながらも、銀二郎は殺気を完全に引っ込めた。


「ごめんなさい。それでも……ナツメ先輩が好きな自分を、捨てられません」

「お前は同じ事を言うんだな、あいつと」

「あいつ……?」

「……儂の妻だ。今のお前を否定したら、儂は自分の妻を否定することになる。だから……ついてこい、バカ弟子の恋人のバカ者よ」

「……はい!」


 古い先達である狸の言葉に、那月は素直に頷いた。


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