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☆バカになった猫

「……彼のことで、その、ご相談があります」

「ほうほう」

「なぜ嬉しそうなのですか、お師匠様」

「ふん……なに、お前もついにそういうときが来たか、とな」


 弟子からの恨みがましい視線に、銀二郎は狸の姿のままで笑った。


(期待以上に、いろいろと吸収しているようだな)


 自分の予想よりもずっと、ふたりは『仲良く』していることは、顔を見ればすぐに分かることだった。

 別れた頃よりもずっと『女』の顔をするようになった弟子を眺め、銀二郎は満足で頷いた。


「おかしいのは分かっているのです。自分の気持ちも、分かっているつもりです」

「ほう、分かっていると」

「……吾輩、どうやら那月くんにベタ惚れらしい。暇があれば彼のことを考えてしまいますし、彼が側にいないと寂しい。なんなら一緒にいてももっと触って欲しいとか、見て欲しいとか、構って欲しいとかそういうこと考えてしまう」

「おうおう、完全に惚れておるなあ、それは」

「猫の頃には無かった感情で、心地よいのですが、怖くもあって、難しくて……楽しいのだけど、そわそわして、でも、うまく言葉で表せず……その、たまに素直になれなかったりして……」

「いや本当に思った以上にこじらせてるな?」


 さすがにそこまでは予想より上過ぎたので、銀二郎が首を傾げた。


「だって仕方ないでは無いですか、那月くん超優しくていちいち吾輩を大事にしてくれるし、意外と力強くもあって強引に口づけられると普段との違いにこう、なんでしょう、胸がずきずきする! 年下なのに頼れつつ、年下らしく可愛くおねだりしてきたりもするので、吾輩毎日大変なんです、主に心臓が!!」

「お、おう……儂、こんな早口でまくしたててくるお前、初めて見た……」

「そうでしょうね、吾輩もはじめてですから!!」


 自分自身の変化に目を回している猫又に、狸はどうどうと獣らしからぬ人間くさいポーズを取って、


「まあ少し落ち着け、酒でも飲むか?」


 今、銀二郎とナツメが腰を落ち着けているのは廃屋だった。数ある銀二郎の『寝床』の中でも、比較的痛みが少ない場所だ。


「いえ、今の吾輩にお酒が入ると、おそらくお師匠様にずっと惚気で絡み酒をするので」

「本当にお前自分のこと分かってるな……?」

「伊達に長生きはしておりません、お師匠様ほどではありませんが……」

「……それで、今日は惚気以外になにを言いに来たのだ」


 弟子の自己分析に感心しつつ、銀二郎は促す。


「……吾輩はどうするべきなのか、迷ってしまって」

「なにを迷う必要がある。お互いに好き合っているのだから、つがいにでもなれば良かろうが」

「事はそう簡単ではないことくらい、お師匠様なら吾輩以上にお分かりでしょう」

「……まあな」


 過去を思い出した銀二郎の口の中に、苦い物が浮かぶ。

 ナツメは真剣な瞳で師匠を見据え、言葉を続ける。


「ニンゲンと、妖怪なのです。吾輩は、自分と彼の関係がいつか終わると思った。終わるからこそ、せめて楽しむべきだと思って、過ごしてきた……」


 自分はニンゲンに興味を持ち、人に紛れて暮らした。

 けれどそれは所詮『まねごと』で、ニンゲンに『成れる』わけではないことを、ナツメは理解していた。


「だけど、吾輩は今……楽しいや、嬉しいだけでは、いられなくなっています」


 彼といると心があたたかくなり、それが嬉しいのだということを知った。

 彼がいないと心が冷たくなり、それが寂しいのだということも知った。


「恋を、するというのは……吾輩が思っているよりずっと、複雑でした」


 思い返してみれば、温泉宿に来る客だってそうなのだ。

 仲睦まじく過ごす男女もいれば、喧嘩したものたちだっていた。

 恋人という関係性が必ずしも楽しさや嬉しさだけが満ちているものではないことをナツメは知っていた。知っていながら、『楽しめるもの』だと楽観視したのだ。

 こうして自分の気持ちに、戸惑うことになるとも知らずに。


「……いつか、きっと来る終わりが……今から恐ろしくて、たまらないのです」


 妖怪である自分はきっと、長い時間を生きる。

 対して、ニンゲンである彼はせいぜいあと五十年も生きれば長生きと言って良い。


「たった数ヶ月、ほんの少し一緒にいただけで、こんなにも彼が好きだと思ってしまった。その気持ちが、日ごとに強くなっているのも、分かるのです。だから……」


 いつか彼が年老いて失われたときに、自分は『いつかは終わることだと分かっていたから』と納得できるのだろうか。


 いつか彼が自分とは違う、彼と同じ種族の誰かを愛したとき、『吾輩たちは違うものだから』と身を引けるだろうか。


 いつか自分の不手際で正体を晒し、彼との仲が唐突に終わったときも、『仕方が無いことだから』と諦められるのか。


「……不安、なのです」


 怖い。

 いつか来る終わりが分かっているからこそ、楽しもうと思ったはずなのに。

 今、彼女はいつか来る終わりにひどく怯えていた。


「……うむ」


 銀二郎は弟子が己の身体を抱いて震える姿を見て、深く頷いた。


「のう、バカ弟子よ」

「……はい、お師匠様」

「儂も、同じじゃったよ」


 口にするだけで苦いと感じる記憶が、古狸の中に去来する。

 もはや古くなり、おぼろげな過去が、それでも痛みと悲しみを伝えてくる。


「お前と同じ。かつて儂は、人を愛した」

「……やはり、そうでしたか」

「賢いな、悟っておったか」

「……そうでなくては、ここまで吾輩と那月くんに温情を与えてくれる理由がありませんから」


 本来であれば、人界に興味を持った同族など放っておくか、危険であれば殺せば良い。古く、力ある妖怪である銀二郎ならその程度は造作も無いことだ。

 同じように、妖怪のことを知ったニンゲンも、記憶を消すか、命を奪うかすれば良い。

 もっと安全で確実な方法があったにも関わらず、銀二郎は軽い呪いと、説教のみでふたりを許した。

 銀二郎はこの山の妖怪をまとめ上げる総大将だ。いくら優しいとはいっても、それだけではやっていけない。


「……周りの妖怪たちの反対を押し切ってまで、吾輩のような変わり者が人界で働くことを許し、那月くんのことも許した。それはきっと、お師匠様が妖怪だけで無く、ニンゲンのことも気にかけているからだと」

「バカのくせに、そういうところは聡いな、お前は」

「これでも、お師匠様のことはずっと見てきましたから」

「では、昔話のつづきだ。……儂はな、ニンゲンを愛した。妻と夫という間柄になり、暮らした。だが、それは長続きしなかった」

「……どのように、終わったのですか」

「簡単だ。儂はニンゲンに変化していた。つまり、意識しなければ老いた姿などになれないのだ」


 銀二郎が人と生きた時代は、今よりもずっと遅れていた。今で言う古い信仰や知識が、当たり前に存在した。

 そんな時代に合って、いつまでも若々しく年を取らないニンゲンなど、化生の類いだと思われてもおかしくはない。そして実際、銀二郎は妖怪だった。


「妖怪だと露呈したとき、殺されてもおかしくはなかったが、儂は目こぼされた。殺すべきだという村人と、それでも五十年間も村の仲間だっただろうと言ってかばってくれたものたちが対立して……あのままでは、血が流れると思った。だからこそ儂は自ら、山へと戻る道を選んだ」

「……奥方は」

「妻は、儂と共に村を出た。しかし彼女はもう年老いていて、獣のような生き方など今更できるはずもなかった。一年と保たず、病気でな」

「っ……!」


 師匠が語ったことが、己にも起きるかも知れない。

 想像が身震いを生み、猫又の尻尾が逆立つ。彼女にとってそれは自分の命が失われることよりもずっと、恐ろしいことだった。


「だからな、ナツメよ。儂はお前に、こう言おうと思う。……悔いるな。それがお前に、先達として言ってやれることだ」

「……分かりました」

「うむ。障害は多い、問題もきっとある。手のひらを返すようだが、悔いることもまったくないとは言えないだろう。それでも、少しでも悔いが残らないようにするがいい。自分の気持ちに……」

「では、お師匠様。吾輩はこれで」

「は、おい、まてまだ話は」

「思い立ったが吉日と言いますから」

「あ、こら、待て、おい!?」


 銀二郎の言葉を最後まで聞くこと無く、ナツメはその場を後にする。

 ぽつんとその場に残された狸は、大きく首を捻り、


「あやつ、なんかマズい勘違いしてないか……?」


 その予想が当たらないことを祈りつつ、銀二郎もまた、廃屋を出て行った。



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