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☆変わりゆくということ

「……おか、しいのである」


 昨日の事を思い出して、猫又は顔から火が出そうな心地でシーツにくるまっていた。

 結局素直に甘えてしまい、ぐっすり眠り、起きたら朝ご飯まで用意されている始末。

 恋人の性格が良く表れている丁寧な字で『仕事に行ってきます』と書かれたメモを手の中で弄んで、猫又は溜め息を吐いた。


「吾輩もっと、最初は後輩のことを手玉にとっていたはずなのである……それが最近は、どちらかというと吾輩の方が手玉に取られているというか……」


 いつの間にか、彼の困った顔を余り見なくなってしまった。むしろ自分が困って、最近は我が儘を受け止めて貰うことも多い。

 そんなことを考えながら、ナツメはむっくりと起き上がり、置かれている食事に手を着ける。

 テーブルの上に並ぶのは鰤の塩焼きに、卵焼き、枝豆と塩昆布を混ぜ込んだおにぎりだった。ラップを外し、おにぎりにかぶりつくと程よい塩気が口の中に広がり、米の甘さを引き立て、ややぼんやりしていた意識が完全に覚醒する。


「……はっ!?」


 自分の行動が完全に餌付けされたペットであることを自覚して、ナツメは慌てて冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取りだし、一口。


「……完全に吾輩、那月くんに懐柔されているのでは?」


 自分の行動を振り返り、ナツメは頭を抱えた。

 彼女が心を乱しているのは、今の状況が不服だと感じているからでは無かった。


「……不服ではないから、問題なのだ」


 偽りではない本心を口にすれば、頬がぶわっと震える。

 たったそれだけの反応で、自分が口にした言葉から逃げられなくなってしまう。彼のことが本当にどうしようもないほどに好きなのだと、分かってしまう。


「っ……」


 ぶるり、とナツメは自然と身震いをした。

 とくとくと心臓が脈打つのを感じる。口づけの熱を思い出して、身体の奥が疼く。

 自分の尻尾の力が緩み、だらしのない顔をしているのが、鏡など見なくても分かってしまう。

 その感覚に浸っていたい、また感じたい、早く帰ってきて欲しい。恋焦がれるという言葉を、ただ知るのではなく、実感として識る。


 もう、自分はただの猫ではいられないのだと、理解してしまう。


「あ……」


 気ままに暮らし、興味のままに走り、それを眺めて満足をするだけだった。

 そんな自分はもう、どこにもいないのだと、猫又は知った。


「っ……でも……」


 だからこそ、ナツメは胸の奥に痛みを抱えた。


「……いつか、終わることなのだ」


 自分たちの関係が、期限付きであることを、猫又は想った。

 棗那月と、万定ナツメの関係は、ナツメが満足するか、満足を得なくとも、いずれはなんらかの理由で終わる関係性。

 少なくともそれは、どれだけ長く続いても、『彼の寿命』というゴールが存在する。


「……彼は」


 後どれだけ生きるだろうかと、ナツメは考えた。

 彼はまだ若く、今の時代はニンゲンの医療技術というのはかなり発達している。大きな事故や怪我がなければ、五十年、あるいはもっと生きられるだろう。


「でも……」


 たった、五十年だ。


 猫として生き、その理の外へ出て、猫又と成った。

 自分にとって、五十年はいつの間にか終わるほどに短い。そのことを、彼女は既に自覚していた。


「……おかしな、話だ」


 自分はまだ、猫又に成って数年。

 これから先を憂うのは早すぎると、自分の中にいる冷静さが訴えている。

 だというのに、違う自分は確かに言うのだ。


「……彼と離れたくない」


 心の中がうるさい。

 胸のあちこちから愛しさが、切なさが、喜びが、悲しみが、止めどなく押し寄せる。

 それらひとつひとつを、猫又は真正面から受け止め、だからこそ分からなくなる。

 すべて自分の気持ち、自分の言葉の筈なのに、矛盾だらけだと思い、惑う。


「……ああ。分かる、それでも、たったひとつだけ分かるのだ」


 自分の内にある気持ちが、なにから来ているのか、猫又はもう知っている。いやというほどに分かってしまっている。


「いつだって心の中に彼がいる。どんなときだって、彼が吾輩の心から離れることはない。ある意味では、傷のように」


 じくじくと心を苛み、身体を疼かせ、なのにどうしようもないほどに想ってしまう。


「笑顔が好きで、困った顔が好きで、吾輩を求めてくれる顔も好きで……いつだって吾輩を想って、我が儘も受け止めてくれて……」


 言葉を重ねる度、胸の音が大きくなる。

 それが感情の膨らみであると気付かないほど、猫又は鈍感では無かった。


「ああ、うん。認めよう。吾輩、これを知らなかった。知っていたけど、知らなかった。……本気の恋をすると、自分の感情が、ぐちゃぐちゃになるのだな」


 まるで、酒に酔っ払ってしまったようだと、猫又は自分を嗤う。

 思考はまとまらず、ただ愛おしさが胸の中で様々な感情を騒ぎ立てる。

 このままでは水瓶に落ちて、溺れてしまうのではないかと思ってしまうほど、ナツメは自らの恋心に翻弄されていた。


「っ……」


 今すぐに彼に会いたい。こっそり仕事場に行ってしまおうか。

 そんなことまで考えている自分を、猫又は頭を振って追い出した。


「……頭を、冷やさなければならない」


 無理やりに頭を回せば、彼以外に思い浮かぶ相手がひとりいる。

 自分にとっては師匠となる古狸の元へ、彼女は向かうことにした。


「……その前に、作って貰ったものはちゃんと食べねばなるまいな」


 何より、腹が膨れれば少しは気持ちも落ち着くかも知れない。

 そんなことはありはしないと思いつつも、猫又は箸を取るのだった。



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