☆お仕事中はほどほどに
「うん、やはりふたりで仕事をすると、終わるのが早くて良いな」
「ほとんど僕が手伝って貰っちゃってますけどね」
「気にするな、吾輩が好きでやっているのだから」
お客が泊まったあとの部屋を掃除しながら、ナツメと那月は談笑していた。
「そろそろ行楽シーズンだから、仕事が忙しくなってくるであるなぁ……」
「お客さんたちはお休みで来ますけど、僕らにとってはかき入れ時ですね」
「吾輩的にはニンゲン、休暇という概念を作って自分たちが遊んだり休んだりする機会を設けるの、偉いと思う。ちゃんと文明が止まらないように基本的にローテーション組んでるところも超偉い」
「まあそれが回ってないところもありますけどね……うちは大丈夫ですけど」
会話を続けながらも手を止めることなく、ふたりは部屋の汚れを片付けていく。
「今日はこの部屋、綺麗に使って貰えてますね」
「うむ、従業員想いの大変ありがたいお客様であるな」
客室の汚れというのは、部屋によってまちまちだ。ぶっちゃけて言ってしまえば、泊まる人間の性格に大きく左右される。
自分は客だと横柄な態度でやってくる客はたいてい部屋を汚して帰るし、穏やかな客は部屋も綺麗に使うことが多い。もちろん、例外も多々あるのだが。
お着き菓子と呼ばれる部屋に用意されていた和菓子の包みやお茶のパックがきちんとゴミ箱に入っていることや、ちゃぶ台が一度拭かれていることなどを確認して、那月は顔をほころばせた。
「まあ結局掃除はするんですけど、綺麗に使って貰えるとなんだか嬉しいですよね」
「吾輩的には仕事が楽、以上の感想は無いが……那月くんは、そういうところ凄く良い子であるな」
「そうでしょうか?」
「うむ。那月くんの評判はいいぞ。職場の連中もそうだが、お客からもよい噂をよく聞く」
「……なんでそれを先輩が知ってるんですか?」
「うん? ……職場の連中はまあ雑談だが、地元のお客からは年が近いと思われていてなあ。よく那月くんを結婚相手に勧められるのだ」
「けっ……!?」
予想外の言葉に、那月は回収した湯飲みをうっかり落としかけた。
「まあお師匠様もそうだが、いわゆるお年寄りからの世話焼きというやつだなあ」
「そ、そうですね……」
「……まあ、今ならそれも分かるのだが」
「わ、分かるってなにがですか」
「んー……那月くんと結婚するのが凄く良い、というのが」
「っ……!」
心臓が止まりそうな心地になった那月のことに気付かず、ナツメは言葉を続ける。
「吾輩たち猫の世界では、つがいという概念はあまりないのだ。交尾して子が成されればそれでおしまい。だが、ニンゲンたちはそうではなく……つがいとなったものと、末永く寄り添っているものが多い」
自然界における猫の繁殖に、愛や恋という気持ちは無い。
あるのは生物として定められた発情期による種の保存。
ニンゲン同士が紡ぎ、作る、家族という関係性を、少し前までのナツメはまったく理解できず、興味の対象だった。
「那月くんの恋人になってみて分かったのだ。キミはいつも恋人……吾輩のことを考えてくれる。あんまり弱音は吐かなくて、でも、頼ってはきてくれて……そういう、いろんなことを吾輩と一緒にと言ってくれる、考えてくれる人というのは……きっと良い結婚相手なのだろうと、思うのだ」
「あ、う……あ、ありがとう、ございます……」
「ふふ。そうやって顔が赤くなるところも、可愛いと思えるしね?」
「うっ……だ、だって、嬉しいので……」
「うん、正直なところもとても良いと思う。吾輩のために、そうしてくれているのであるし……那月くんはええと、そう、あれだ。良い男、というやつだね」
何度も褒められて、那月は自分の頬が真っ赤になっているのを感じる。
もちろん、ナツメに悪気があったわけではなく、ただ事実を述べているだけなのだが、褒め殺しという言葉があるように、あまりにも多くの賛辞は時には毒になる。
「で、でも、先輩も凄く魅力的な人だと思います!」
「にゃ!?」
そしてその毒は、那月の変なスイッチを押してしまった。
「まず顔です、もちろん顔が全部じゃ無いですけど、先輩はとにかく美人です!」
「あ、う、うん……」
「肌白いし、髪も銀色で綺麗だし、蒼い目はずっと見ていたいくらいだし、指とかも全部細いですし……ああでも胸は大きくて……あと良い匂いがして……」
「あ、あの、な、那月、くん?」
「とにかく、外見とか匂いとかも好きです! でも一番好きなのは、いろんなことに興味を持って、知ることを怖がらなくて……それでいて、こっちに気も遣ってくれる優しくて可愛いところです!!」
「にゃ、にゃあぁ……」
「後最近は休みの日とかに、すっごい無防備な姿を見せてくれるところとか……一緒にいて、ぜんぜん飽きたりとか息苦しかったりしなくて……でも、凄くドキドキして……キスも、もう何回もしてるのにもっとしたいっていつも思いますし……」
「う、うん……そ、それで……?」
「先輩は、その……す、すごく素敵な人です、いや正確には人じゃ無くて猫又なんですけど……とにかく、好きです!」
「にゃ、にゃあ……褒められすぎるのも、落ち着かないものだね」
今更に自分がしたことが相手を相当恥ずかしがらせたと自覚して、ナツメは頬の熱さに目を瞑った。
「もう……そんなに褒められたらそわそわして、尻尾出てきちゃうじゃないか……」
変化は自らの肉体を作り替える、妖怪にとって高等な術だ。故に、精神が乱れると崩れてしまう。
褒められ過ぎたことで、ナツメの変化が少しだけほどけた。家にいるときと同じように猫耳と尻尾を晒した恋人を、那月は上から下まで眺めて、
「猫耳と尻尾がある先輩も、めっちゃ可愛い……!」
「う……」
那月はどこまでも正直で、真っ直ぐだ。
包み隠さず伝えてくれるのは自分を想っているからだと知っているからこそ、ナツメは返答に『困る』。
褒められることが嬉しいと思うのに、どうにも尻と尻尾が落ち着かないのだ。
「う、うぅぅ……わ、分かった、分かったから……」
声色が完全におかしくなっていることを自覚しながら、ナツメは目を伏せる。
照れを隠す仕草のあまりの可愛らしさに、那月は自然と恋人の身体を抱きしめた。
「にゃっ……こ、後輩、その、ここは職場だから……」
「そうですね……でも、この部屋はそんなに汚れてないですし……時間に余裕がありますから」
「……後輩を真面目な良い子だと思ってるみんなには、聞かせられないな……」
仕事の先輩としては止めるべきだと思っているのに、抗えない自分がいて。
観念したように力を抜いた猫又の身体を、那月はさらに深く抱きしめる。
「にゃ、うぅ……」
身体のラインを確かめるように抱かれ、猫は全身から力が抜けていくのを感じた。
「先輩……凄く、良い匂いがします」
「んっ、だ、だって……那月くんが、いろんなところ、触るから……」
「……どこ触っても柔らかくて、好きです」
「う、にゃぁぁ……」
言葉を重ねられる度、胸の中にあたたかく、こそばゆいなにかが満ちていく。
ダメだと分かっているのに、ダメだと口に出来ない。本来なら先輩としてたしなめるべきなのに、そのための言葉が出てこない。
「……も、もう少しだけ、だからね」
「はい、もう少しだけ……」
結局、ナツメは恋人の要望を受け入れた。
「先輩、好きです……可愛い、好き」
「ん、にゃ……も、もぉ、分かったからぁ……ちゅ、あぅぅ……」
触れられるたび、口づけられるたび、好きだと囁かれるたび、拒否できなくなる自分を、ナツメは許してしまった。
(うぅ、吾輩、今すごく流されている……なんで、こんなに拒めないのだろう……)
不自由なはずなのに、それが心地良いとすら思っている自分がいることに、戸惑いながらも、猫又は流されて。
甘く、密やかな睦み合いは、時間が許す限り続いた。