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☆休日はあまくちで

 ナツメが那月の家に住み着き、それなりの時間が過ぎた。

 いろいろなものに興味を持ちながらも、ナツメは今いる場所が那月のテリトリーだとは理解していて、言いつけには素直に従っている。

 そのため、特に大きな問題は起きること無く、当初の那月の予想よりもずっと平穏に日々が過ぎていった。


「……むー」


 そしてナツメの方も、帰る家を持って暮らすということに慣れてきたため、最近はいろいろなことに挑戦している。


「なぜ同じ砂糖なのに、色が違うのだ……?」


 特に料理というのは、今のナツメにとって大きな関心事だった。

 少し火を通したり、粉をかけたり、なにかとなにかを組み合わせる。それだけで劇的に味が変わる食材の数々は、ナツメの興味を大いに刺激する。


「三温糖と上白糖ですね。うちには無いですけど、他にはグラニュー糖とかきび砂糖っていうのもあります」

「そんなに種類が!?」

「どれもちょっとずつ、味とか香りが違うんで……あ、醤油とかも凄い種類あるし、メーカーごとに同じタイプの調味料でも違いがありますよ」

「……ニンゲンの食べ物に対する情熱、ちょっと凄すぎでは?」

「そうですね、あんまりこういうの、他の動物はしませんね……」


 雑談をしながら、那月は三温糖を小さじ一杯分、鍋へと投下。続いて醤油、酒、味醂の順番に入れていく。


「煮付けの場合は、三温糖を使います。こっちの方が香ばしくて、味にコクがあるので……」

「ふむ、なるほど」

「今日は(かれい)で、味が淡泊なのでちょっと濃いめで作りますね。その方が、ご飯には合うかなって」

「……むうぅ、本当に凄いな、料理というのは」


 ナツメは興奮気味に、耳をぴこぴこと動かして唸る。

 元々、彼女の気質は凝り性である。

 興味のあるニンゲンという対象に執心し、宿で働くという道を選んだ変わり者の妖怪。そんな彼女にとって、料理というものは非常に興味深く映った。

 そういった経緯があり、最近のふたりは休日に並んで料理をするのが日課になりつつあった。


「で、ここから落とし蓋をして……」

「落とし蓋……これをするとどうなるのだ?」

「ええと、味染みが良くなります。あと、煮崩れも防げるそうです」

「なんと……考えたニンゲン、凄いな!?」

「そうですね、そういうのに最初に気付いた人、凄いですよね……」


 文明という概念が始まって以来の歴史がある料理の道は、深い。

 アルミホイルで作った落とし蓋がことことと揺れるのを眺めて、ナツメは鼻息を荒くした。


「ふふふ、またひとつ、料理を覚えてしまった……」

「先輩が楽しそうでなによりです」

「……最近は那月くんといると、ずっと楽しいぞ」

「……そ、そう、ですか?」


 不意打ちで嬉しい言葉が飛んできて、那月の声が上ずる。


「うん。那月くんといると、ひとりよりもずっと楽しい。むしろ、最近はひとりだと、なんだか……早く、キミに会いたいなって思ってしまう」

「…………」

「この間まで、そういうことは無かった。早く仕事を終わらせたいとか、寝床に帰りたいとか……そういうのは、全然なかったのに。いつの間にか、気がついたらこの家のことを考えるようになって……」


 言葉はたどたどしく、ゆっくりだった。

 自身が理解できない感情の名前を探すように、彼女は言葉を選び取っていく。


「今日はなにをしようとか、今日はどんなことを教えて貰おうとか……今日は、どんなキミが見られるんだろうとか……今日は何回、キスできるかなって……それを考えているだけで、なんだか落ち着かなくて……でも、ぜったいに嫌では無くて……」

「……ナツメ先輩」

「吾輩にもな、よく分からないのだ。分からないから知りたい。だから今、ニンゲンの生活と同じように……自分の気持ちも、もっと知りたいと思う」


 万定 ナツメは、『未知』に恐怖を感じない。

 それが例え、猫を殺すようなものであったとしても、好奇心は止められないものであると、彼女は既に知っているからだ。

 分からないものは楽しく、理解することは嬉しく、知ったことは宝物になる。

 だからこそ、ナツメは自分の中に起きた変化を、楽しんでいた。

 いつか終わりを迎えるものであったとしても、今の楽しさは否定しがたいと感じるのだ。


「……僕も、離れているときに先輩のことを考えますよ」

「そう、なのか?」

「はい。今、先輩なにしてるかな、とか……今日はなにを一緒に食べようかとか……先輩はあれが好きかなとか、これは好きかなとか……そういうことを、離れていてもよく考えます」

「……同じなんだね」

「はい、同じです」


 那月は、ナツメの中に起きている変化の正体に気付いていた。

 自分と同じように、彼女がこちらのことを考えているのならば。

 切っ掛けや、自覚のあるなしがどうであれ、彼女は自分のことを好いてくれていると考えるのは、自然なことだった。


「……先輩」

「あ……」


 既に相手の気持ちを相手よりも理解しているので、那月は迷わなかった。同意はあるし、今はもう、心だって同じなのだから。

 くい、と顎を持ち上げれば、ナツメもなにをされるのか察して、瞳を閉じる。

 自然と重なるふたり。お互いの歯が当たることは、もうない。


「は、ん……今のは、なんのキス?」

「なんとなく……一緒にいられて嬉しい、みたいな?」

「……そういうのも、アリなんだね」

「ええ、その……したいだけっていうのも、アリかなって。恋人ですし」

「……ふふ、そっか。恋人、だものな」


 理由など無いという理由に、ナツメは微笑んだ。

 ごろごろと喉を鳴らして、猫又は人間にすり寄る。

 マーキングのように相手に匂いをつけて、彼女は洗い物を始めた。

 上機嫌に尻尾をふりふりして、汚れ物を綺麗にするナツメを見て、那月は吐息して、


(うちの彼女がめちゃくちゃ可愛い……)


 だいぶバカになっていた。


(え、可愛い……なんだそれ……自分の好きって気持ちがよく分かってないとか、可愛いか……? 可愛いわ……)


 ナツメはどう見ても、那月のことを好いている。しかも、ほとんど無自覚で。

 そのことが那月的にはとても『来る』のだった。


(というか、先輩は見れば見るほど可愛いな……髪綺麗だし……目もきらきらだし……やっぱり元が美猫だと、変身しても美人なんだろうな……)


 相手が洗い物に夢中でこちらを見ていないのを良いことに、彼はじっくりと恋人を観察した。

 普段はナツメの方が那月をじっと見てくるので、こうして逆に観察できるのは新鮮だった。


(自分でも大胆な提案をしたと思うけど、勇気出して良かった……毎日先輩が見られるし……今だって、僕が選んだエプロンをつけてくれてるし……というかこれ、つまり僕が買ってきた服ならなんでも着てくれるってことか……すご……)


 先日のデートで仕事着以外の服をいくらか仕入れたので、ナツメは私服で、その上からエプロンをつけている状態だ。

 恋人が自分の選んだ服を身につけて、自分の部屋にいてくれるという状況は、毎日でも眺めていたいものだった。


(猫耳と尻尾が生えてるオフの先輩も、最高に可愛いな……ご機嫌で、尻尾ごとお尻ふりふりしてる……)


 はじめて目にしたときは驚いた耳と尻尾も、今ではすっかり可愛いとしか思わなくなってしまっていた。


「……あの、那月くん」

「あ、はい、なんでしょうか」

「……そうやってじっと見つめられると、なんだか尻尾がむずむずするのだが」

「あ……す、すみません、つい」


 後ろから見ていたので気付かれていないと思ってた那月は、慌てて謝罪する。


「いや、見たいのなら、全然いいのだが……」

「見たいです」


 喰い気味だった。


「ん、んん、そうか……では、その……どうぞ?」


 あまりにもきっぱりと言い切られ、ナツメは頷いてしまった。

 尻尾がむずむずするというのは本当だが、それ以上に那月が強く求めてくることに、拒否の言葉が紡げなかったのだ。

 洗い物で濡れた手をタオルで拭い、相手によく見えるように猫又は振り返る。


「あ……」


 食い入るように見つめられて、ナツメは自分の頬が熱くなるのを感じた。

 忙しなく尻尾が動いてしまっていることを自覚するが、那月の視線から逃れられない。


「……ど、どう、かな」

「……正直めちゃくちゃ似合ってます、好きです」

「っ……そ、そう、か」


 素直に感想を言われて、猫又は赤面した。


(うぅ、なんなのだ、これは)


 褒められるのは嬉しい。そのはずなのに、お尻の辺りがむずむずしてしまう。

 尻尾は右往左往、耳はぴこぴこと、まるで自分の身体ではないかのように動いてしまっている。

 嬉しいのに逃げ出したい。でももっと見て欲しい。自分が考えていることがまるでちぐはぐで、ナツメは思考を停止した。


「……にゃあ」


 オーバーヒートした熱を逃がすような吐息さえ、彼に見られてしまっているような気がする。

 相反する感情が同居するという感覚に、ナツメはまだ慣れていなかった。

 空腹や睡眠欲などの単一の欲求に動かされていた彼女にとって、感情はまだ未知数。ましてそれが同時に現われるなど、想像も出来ないのだ。


(い、今吾輩、嬉しいのか? 嫌なのか? こ、困った、自分のことなのに、こんなに分からなくなるなんてことがあるのか……)


 人の営みに触れ、興味を持ち、影響されてきた。ナツメはまだ、発展途上なのだ。


「先輩、可愛いです」

「う……にゃ、にゃぁ……ありがと、う……」


 まして、よかれと思ってストレートに感情を伝えてくる恋人までいるのだから、落ち着けるはずなど無く。

 結局この日、ナツメはどこか落ち着かない気持ちで一日を過ごしたのだった。



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