私はなぜブクマを剥がすのか
何か文章を書きたいな、と思い、久しぶりに執筆画面を開いています。以前は「私」という疑似人格のようなキャラクターで語らせるようなエッセイを書いていましたが、あれはどうにも硬めの口調になってしまうので、今回は自分そのままの文章になるように書いていこうと思います。
以前よく興味を惹かれて読んでいたのが、ブクマ剥がしについて。だいたいは作者側の剥がさないでほしいという願いと、読者側の快適に読書するための機能に過ぎないという意見の平行線だったと思います。内容も基本的には同じ……でも、心の叫びといわれるように、作者さんそれぞれの言葉と気持ちで書かれているから、どれも違う文章で面白いんですよね。
まず私、簡単にベリベリ剥がします。なんなら、最新話まで読んでブクマして、数日後に更新されたときに剥がしたりします。似た傾向のお話を読むことが多いせいか、内容が思い出せないことがあるんですよね…。自分の頭を心配しつつも、印象に残らなかったんだろうと思って、さよならします。
そういうときって「この人、誰だっけ?」となることが多い気がします。名前を覚えるのが苦手なのもあるけど、名前などの固有名詞だけバンバン出されることが多い作品のとき、覚えられない――そのときは把握しているつもりの――まま読み進めてしまうので、最新話で中断して更新時に再開したときに、名前を見ても誰か分からず他人物との関係も分からず、もう何もわからない。数ページ戻ってみてもピンとこないこともあるし、酷いときにはあらすじを見ても「そうだっけ?」となりますあれ私の頭本当に大丈夫…? いや、しばらく更新なくてもいろいろ覚えてる作品とかあるからきっと大丈夫…!
そこで個人的に嬉しいのは、名前に説明的な一言をつけてくれる作者さん。見た目とかあだ名とか役職とか、各ページの登場時だけでもつけてもらえると覚えやすくて嬉しいです。
話が逸れました。
ブクマを剥がさないでほしいという気持ちもわかります。読ませてもらったささやかなお礼として、ブックマークくらいいいじゃない、とも思うには思います。
が、剥がさずにはいられない…!
なんかね、ダメなんですよね。私にとって不要と思われるブクマが残ってるのが許せない。なんでかなぁ。整頓好きな面はないとは言えないか。小学生の頃、文房具屋さんの消しゴムとかきれいに並べるの好きでした。ブラウザのブクマももう見ないと思うページは削除したくてたまりません。とはいえマメでもないし、潔癖では全くありません。特定のものに発動する性癖、なんでしょうね。理由とか原体験とかは思い浮かばないですが、なんとなく気持ちのイメージが出来てきました。
例えば自分だけの箱庭があって。自分の好きなものだけ入れてよくて、好きなものを入れれば入れるほどそれは輝きを増していくような。そんなもののように感じているのかもしれません。
ブックマークを公開にしているから余計にそう思うのかも。私の何かに興味を持ってくれた人がブックマークを見てくれたときに、私のブクマから素敵な作品に出会ってくれたら嬉しい。好きな作品の宣伝にもなるし、その人が知ってる作品ばかりだったとしたら趣味が合うなって思ってもらえたら嬉しい。そんな気持ちもあります。
あと、この小説たちが私を構成する一部です、とも思うので、やはりいろいろな心が働くのでしょう。
新しく読みたい作品がなかなか見つからないとき、自分のブクマの中から再読するものを探すこともします。そのときのために厳選しておくというのもあります。
ブクマを剥がすことについて、罪悪感はありません。そもそも、しおりを挟んだら勝手にブックマークされたという認識なのです。今まで意識したことはありませんでしたが、しおりは読み進めたところに挟むもの、ブックマークは作品自体につけるもの、と思っていることに気が付きました。本来の意味や用法は置いておいて、現在の私はそうです。アルファポリスさんのほうがマッチしていると思います。あちらは剥がしにくいので利用自体ほぼしていませんが。
剥がされる方の気持ちにもなってみろと思われるかもしれません。確かに私だってブクマしてもらえたら嬉しいです。それが剥がれたら残念に……思うかな、剥がれるべくして剥がれたと思うような気もしますが、嬉しくは思わないでしょう。剥がされて辛いという人の気持ちがわからないわけではないのです。
それでも、性癖には敵わない(結論)