村
あの頃のままだ。村は私が学生だった頃とほとんど何も変わっていない。それは景色だけではなく、私を見る村人の奇異の視線も同じだ。
よそ者への拒絶か、迫害心か。私という異物で村のバランスが崩れる。ただそこにいるだけで毒を散布する災害兵器のような気分。
存在意義など、この村での青春時代という大事な時間において、私は一度も見出す事は出来なかった。そもそもこの村に来た時点で、私には何もなかった。
父と二人。今思い出しても正気ではなかった。正常な判断が出来ていれば、父と二人になるなんて、最初から選ぶはずもなかったのに。
そうだ。それほどまでに私はすっかり壊されていた。母と共に。
幸せな時期だってあった。父がバケモノになるまでは、都会で暮らす平和な家族だった。
静かで穏やかな母。対照的に明るく快活な父。娘の目から見ても、とてもバランスのとれたお似合いの二人だった。お互いにない部分を互いに補う理想の夫婦。
でも、私は分かっていなかった。いかにそれがハリボテだったかを。
突然それは訪れた。
リストラ。この時代にまだそんな足切りが残っていた。父は、その犠牲となった。何故父が切られてしまったのかは分からない。しかしそれから間もなく地獄が訪れた。
父は徐々に人間の皮が剝がれ始めた。
一枚、一枚。ずるずると。父だったものが父ではなくなり、人ではなくなっていった。
怒鳴り、殴る、シンプルな暴力というものがいかに恐ろしいかを、母と私は身をもって知った。
怖い。
殴られるのが怖い。蹴られるのが怖い。
叩かないで。痛くしないで。苦しくしないで。
いくら声に出そうが、心で唱えようが、父の気が済むまでそれは終わらない。
当時住んでいた一軒家に、地下室なんて牢獄があったのも、ひょっとすれば父の中のバケモノがいつでも暴れられるようにと備えさせたのではないかとすら、今になっては思う。
父の気に触れると、私達は地下の牢獄に入れられ嬲られた。 私の初めてを奪ったのも、父だった。母と私は、完全に壊された。感情というものがなくなった。痛みに麻痺した。痛みを快楽にさえ変えようと、脳は私達をごまかした。
「飽きたな」
終わりも唐突に訪れた。
父から母に突き付けられた離婚届。
「バラしたら殺すぞ」
陳腐な脅し文句も、父を通せばただの脅しではなくなる。
母はかぶりつくように離婚届にペンを走らせ、印をついた。その様を私は目の前で見ていた。
一瞬、一瞬だけ母が私を見た。はっとした表情の後、その顔が歪んだ。
――ごめんね。
声には出さなかったが、母の声が聞こえた。
母を責める気持ちはなかった。感情が失せながらも、母との絆は壊れていなかった。
牢獄でぼろぼろになった時、自分の身体だってぼろぼろなのに、労わるように母はそっと私を抱きしめてくれた。母の愛だけは紛れもなかった。
これでいい。これ以上母が苦しむ必要はない。
「こいつはもらっていく」
覚悟はしていた。だが言葉を聞いた瞬間、やはり絶望した。
これからは、私だけなんだ。
父と二人暮らしが始まった。
暴力は減った。その代わりに、辱められる頻度は増した。
痛いよりマシ。私もすっかり狂ってしまった。
そんな日々がしばらく続いた後、
「引っ越すぞ」
父は唐突にそう言った。
荷物を片づけられるようにだけ命じられ、行く先も告げられることなく車に乗せられた。
ひたすら走る車は都会から遠ざかり、建物が減り、車が減り、人が減り、代わりに自然が増えた。田舎道をひた走り、私達はこの村に着いた。
「ここが新しい家だ」
住み慣れたアパートの部屋から、得体の知れない村の一軒家が私の新しい住所になった。
父に連れられ、何人かの大人に挨拶をした。ここでお世話になりますとか、そう言った言葉の中に、来てくれてありがとうだとか、いろいろ不便だろうがなるだけ協力するだとか、そんな大人の会話が右から左へと抜けていった。
一緒なんだ。どこにいたって。父がいるのだから。
一緒なんだ。この世のどこであろうと、父がいるのだから。
どうせ私は、父のおもちゃなのだから。




