わたしの隣の席には変な男の子がいる。
途中、視点変更があります。女の子→男の子→女の子の順に視点が変わります。
席替えをして二、三日経ってからのことだ。
隣の席の男の子はどうやら変わっているぞ、とわたしが気付いたのは。
ある日の休み時間。
彼はぽつりと呟いたのだ。
「あめが降ってる」
と。
わたしは首を傾げる。
「雨? 降ってないけど」
わたしの言葉に彼は、きょとんとする。
窓の外には眩しいほどの青い空が広がっている。雨が降る兆しすらない。
どうして雨が降っているなんて思ったのだろう。
「うーん、そっか」
彼は曖昧に笑った。
その日の昼休み。
彼は校庭の隅にある植木を見て呟いた。
「あ、溶けてる。暑いからなぁ」
たまたま横を通ったわたしは、何事かと振り返った。
溶けてるって、木が?
植物が溶ける様など想像できない。何の木かは知らないが異常事態なのか。
しかし振り返った先に異常のあるものは見つからない。ましてや溶けているものなんて。
彼が見つめている小さめの木も変わったところはなく、普通に根を張り立っている。もちろん溶けてもいない。初夏の青々とした葉を繁らせているだけだ。
「暑いのは分かるけど、溶けてないよ」
不思議に思い声をかける。
「え? あ~、と……」
ぱちくり瞬きをして彼はわたしを見た。けれどもどかしそうな困った顔をしていた。……さては。
「佐藤あずきだよ、名前」
わたしの考えは当たっていたようで、彼はほっとした表情。
クラス替えから約二ヶ月が経過した時点で、クラスメイトの名前をまだ覚えていないのは、遅いのかどうなのか。わたしも彼と同じで把握しきれていない側なので文句はない。
「サトウ、アズキ」
彼は片言でわたしの名前を繰り返して、
「ありがとう」
にっこり笑った。
何にお礼を言われたのだろうと首をひねっている内に彼はどこかへ行ってしまった。
放課後。
彼は教科書を眺めている。
読んでいるのではない。じっくりと表紙を見ているのだ。それから手に取って裏返してまたじっと見つめる。かと思えば、鼻に近づけて匂いを嗅いでいる。
「……何してるの?」
彼の奇行にたまらず声をかけると、彼は恥ずかしそうに笑った。
「お腹すいたから、食べようかなと思って」
「………………え?」
なるほど。耳を疑う、とはこういうことを言うのか。
呆然とするわたしに構わず、彼は教科書を板チョコでも食べるかのような動作で口元に近づけた。パッと口が開く。
――やばい、本気だ!
「ちょっと、ストップ! 何やってんの!?」
慌てて彼の手から教科書をはたき落とす。
「あぁ、落ちちゃった……」
彼は至極残念そうである。
「そんなの食べてもお腹壊すだけだから! わたしのおやつあげるからそれで我慢して」
落としてしまったのは申し訳ないが、教科書なんて食べたら絶対健康に良くない。お腹痛くなるに決まってる。
鞄にこっそり忍ばせているチョコレートのお菓子。彼にあげようと取り出したは良いけれど……そっか、今日暑いもんね……溶けてる。
「ごめん、溶けてるけどいい?」
彼はわたしの手のひらに乗ったチョコのお菓子をじっと見つめて、きょとんとした。
「……ホントだ、溶けてる」
パッケージに包まれたチョコは外見では溶けていると分かりづらいと思うが、彼は呟くようにそう言った。それから「そっか」と納得した表情になって、床に落ちてる教科書を見て苦く笑う。
それがどういう意味だったのかはさっぱり分からないが、遠慮する気はないらしい彼はわたしの手からお菓子を受け取った。
「ありがとう」
照れ臭そうな笑み。
今度の「ありがとう」は何に対して言われたのか分かるぞ。
「どういたしまして」
お菓子は、楽しみにしていたから、ちょっぴり残念だけど。放っておいて、隣で教科書を食べられるよりましだ。
チョコは夏が過ぎたらまた買おう。
**
僕の見る世界はちょっと変わっている、らしい。
皆がどんな風に見えているのか分からないから、どう変なのかは上手く言えない。
窓の外で飴が降っているなぁと思って見ていたら、隣の席の子に降ってないと言われた。彼女は不思議そうな顔をしていた。
丸くて色とりどりに光るそれは確かに飴だけれど、僕にしか見えていないみたいだ。
いつも飴玉は気紛れに降ってくる。そして気紛れに止む。ほら、もう止んでしまった。
この気紛れな飴降りを他人に説明するのは難しい。飴が降ってるんだって言ったって、信じてもらえたことはない。
僕の世界で起きることと他の皆の世界で起きることが一緒だったら楽なんだけど。
「うーん、そっか」
その場は曖昧に笑って誤魔化すことにした。
「――あ、溶けてる。暑いからなぁ」
たまたま目に入った木の枝にドロッと溶けた飴玉が貼り付いていた。
木の方も砂糖菓子で出来ているのでちょっと溶けている。他の大きい木はそれほどでもないが、目の前にある木はまだ小さいせいか葉の一部が溶け落ちそうになっている。
情けない見た目で、なんだか可哀想だ。
「暑いのは分かるけど、溶けてないよ」
突然かかったそんな声に驚き振り返る。
そこには見覚えのある女の子が一人。
ええっと、この子隣の席の子だっけ。名前、何て言ったかな。そんなことを思って言葉を探していたら、彼女は半眼になって、しょうがないなぁという具合に名乗ってくれた。すごい。とても察しがいい。
「サトウ、アズキ」
彼女の名前はなんていうか、美味しそうだ。砂糖だし、小豆だし。あんこができる。
そういえば。
どうやらこの木は溶けてないみたいだ。彼女のおかげで知ることができた。
「ありがとう」
僕の目には情けなく見えるけど、彼女にはきっと違う風に見えている。少なくとも溶けてない。良かったな、木。
遠くから友人の呼ぶ声が聞こえた。そうだった。グラウンドに行くところだったのだ。早く行かなきゃ遊ぶ時間がなくなる。
あぁ、お腹すいた。
鞄に教科書をしまおうとしていたら、だんだん教科書が板チョコに見えてきた。うん、ていうかこれ板チョコだ。絶対そう。
一応くるくるひっくり返して眺めてみたけど、どう見ても茶色の板チョコレート。きっと甘くて美味しい。僕はどうやら教科書じゃなくて板チョコを持ってきてしまっていたみたいだ。
鼻に近づけてみたが匂いはあまりしない。チョコって匂いしなかったかな? まあ、とりあえず食べてみよう。
「……何してるの?」
訝しげな視線とともに砂糖……じゃなくて佐藤さんに声をかけられた。
見られてたのか。なんか恥ずかしいなぁ。
食べようとしていることを伝えると彼女は呆然とした顔をした。学校でお菓子を食べちゃいけないから、呆れているのかな。先生に言わないでくれると良いけど。
きゅう、とお腹が鳴って空腹を訴えてくる。目の前には美味しそうな板チョコ。よし、食べよう。
「ちょっと、ストップ! 何やってんの!?」
バシン、と板チョコがはたき落とされた。あーあ。落ちちゃった。床に落ちたものは、さすがに食べちゃダメかなぁ。
「そんなの食べてもお腹壊すだけだから! わたしのおやつあげるからそれで我慢して」
僕はよっぽど情けない顔をしていたのか、彼女は慌ててそう言い、きちんと帰り支度を終えていた鞄を開けてごそごそ漁り出した。
それから彼女は何かを取り出して眉を下げ申し訳なさそうに言った。
「ごめん、溶けてるけどいい?」
彼女の小さな手のひらに乗ったチョコのお菓子は、パッケージに包まれているのでよく分からないが溶けてしまっているらしい。この暑さなら無理もない。そう思っていたら、パッケージがドロリと溶けた。
「……ホントだ、溶けてる」
一瞬びっくりしてしまったが、暑いから自然なことなのだろう。パッケージはきっと飴で出来ているのだ。とか適当に思っていたら、気づいた。――僕がさっき食べようとしていたチョコは溶けていなかったことに。
「――そっか」
床に目をやると、思った通り、そこに板チョコレートはない。危ない。教科書を食べてしまうところだった。まあ、口に入れれば気づいたとは思うけど、食べたいものではないので彼女が止めてくれて助かった。
その上、本物のチョコレートをくれると言うのだから彼女はとても優しい子みたいだ。
「ありがとう」
彼女からチョコレートを受け取って、いろんな意味を込めてお礼を言う。彼女から見た僕を想像すると恥ずかしくなったので笑って誤魔化した。だって、教科書食べようとしてるように見えてたってことだよね? すごい変人だ!
「どういたしまして」
彼女はちょっぴり残念そうにチョコを見て、それでも満足そうに笑った。
今度、お礼に溶けにくいチョコのお菓子を買って彼女にあげることにしようと思う。
**
「――っていうね、変な男の子がいるの」
「へぇ、不思議な子だね」
今日あったことを話したわたしに、年の離れたお兄ちゃんはそう返事をしてちょっと黙った。
「その子には、どんな世界が見えているのだろうね」
お兄ちゃんが言った言葉に首を捻る。どんな世界って、同じじゃないかな。あー、でも。
「もしかして、目でも悪いのかな?」
お兄ちゃんは面白そうに目を細めた。
「そうかもしれないし、全然違うかもしれないね」
そうだとしたら、言ってあげた方がいいかなぁ。黒板とか見えてるのかな? 明日聞いてみよう。
「あずき、その子はもしかしたら、僕らには見えない別の世界が見えているのかもよ」
「幽霊が見えてるとか?」
わたしたちに見えない別の世界ってそういうことだよね? えぇ、怖い……。わたしが怯えていると、お兄ちゃんはよしよしと頭を撫でてくれた。
「僕が言いたかったのはそういうことじゃないけど……いや、まあ当たらずといえども遠からずってところかな?」
「えぇ、どういうこと?」
難しい言葉を使わないで欲しい。わたしはまだ小学五年生なんだぞ。
お兄ちゃんはどう言えばいいか迷ったのか、困った顔。
「うぅん、そうだなぁ」
それから少し考えたあとで。
「僕たちは同じものを見ているつもりでも、きっと全く同じように見えることはないんだと思う。だから、その子には、僕やあずきとは全然違う風に世界が見えているのかもしれないなって……ごめん、難しいよね」
顔に出ていたのだろう。お兄ちゃんは苦笑しながら謝る。
それからわたしのほっぺたを、みょん、と引っ張った。
「結局人が何を見ているのかなんてその人にしか分からないからね。僕の考えが正解って可能性の方が低いから忘れて良いよ。あずきは普通にその子とお話しすれば良いんだよ」
「うーん……れもさぁ」
ほっぺたを引っ張られたままだったので、変な発音になってしまった。
それを聞いたお兄ちゃんは手を離してくれた。目が楽しそうに笑っている。
「普通の会話ができる気がしないんだよね。面白いから、良いけど」
今日だって会話が成り立ったと思えた気があまりしない。何を考えてるのかさっぱり分からないし、何が見えているのかすら分からない。まあでも、そういうのってなんか面白い。
何考えてるのか分からないのはお兄ちゃんも一緒だし。わたしのほっぺたがお気に入りってことはよく知ってる。またほっぺたに手が伸びてきた。
「仲良くなれるといいなぁ」
ぽつりと呟けば、お兄ちゃんはほっぺたに伸ばした手を方向転換して、わたしの頭に置いた。ポンポンと柔らかく叩く。
「あずきは優しいから大丈夫」
「だといいなぁ」
とりあえず、明日、彼にはチョコレートの感想を聞いてみることにしよう。
あ――それと、名前も聞いておかなくちゃ。
お読みいただきありがとうございます。




