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9話

 あの日から時が経ち、冬がやってきた。雪は全てを白く染める。どうやら私自身も染めてしまったみたいだ。

あれから何もやる気が起きない。感情も沸かない。アイデンティティーのピアノだって弾く気が起きない。

私にはピアノしか無いのに。それでも学校に私の居場所は無くて、昼休みに逃げるように音楽室に飛び込む。

ピアノの前に座るけれど、鍵盤蓋は開けない。目の前に広がる漆黒を見つめていると、どうしても亡き王女のパヴァーヌと弾いてくれと笑った彼を思い出す。


 私はどうして今までピアノを弾いて来たんだろう?

 ピアノ以外に道は無かったのだろうか?

 次に思い出すのは安藤真美。憎いというよりは、羨ましいと思った。

 私も髪にパーマを掛けて、香水を付けて、男の子が好きな仕草が出来れば、振り向いてもらえただろうか。

 流行のドラマを見て、クラシックじゃなくてポップソングを聴いて、休日には胸の開いた服を着て、いっその事ピアノを止めてしまえば――

「無理だ……」

 他の子の何でも無い事が、私にはハードルが高すぎる。


 普通の女の子は、私には届かない距離にある。普通になれない変わり者の私は、この先ずっと一人なのかもしれない。

「寒い……」

 吐いた息は白かった。お昼休みの音楽室は、暖房が止まっている。生徒がエアコン操作することは禁じられている。

 扉の開く音が聞こえた。私はびくつく。何故か、怖いと思ったのだ。現れたのは予想外の人だった。

「こんにちは西条さん。……あら寒い、暖房ついてないのかしら」

「金子先生……」


 金子先生はニコりと笑った。

「先生ね、今日は西条さんのピアノ聴きたくて来たの。前までは廊下まで聞こえていたのだけど最近聞こえなくて」

「弾く気が起きないんです。もう、弾かないかもしれません」

発した言葉は、私の声とは思えないほど、弱々しかった。

「あら、勿体ない」

 先生ふわりと答える。

「ねぇ先生……ピアノだけしか取り柄が無い女の子って、可愛く無いですよね。きっと惨めに見えてますよね……」

 少しだけ悲しくなって、誤魔化す様に質問をした。

「いいえ、美しいと思いますよ」

 凜とした言葉が返ってきた。私は驚いて金子先生の顔を見ると、先生は真っ直ぐにこちらを見つめていた。

「確かに貴方たちは若いんですもの、遊べる時に沢山遊ぶべきだわ。だけど西条さん、貴方の生き方はとても綺麗よ。私は尊敬します」

 大人の先生が、私を尊敬……?

「先生……私綺麗な生き方なんかしてないです。それしか無いんです。私にとってピアノは、呪いに似ているのかもしれません」

「呪い?」

 

 先生に、全部話したいと思った。大人に頼りたかった。私を子供と言った安藤真美は、正しかったのだ。

「そう、呪いなんです。私、恋してたんです。初めてだったんです……あの人はどうしても欲しかった物があって、でもそれは私が持っていて。譲ることも捨てることも出来なくて……結果、あの人に嫉まれる事になりました。好きな人に恨まれるなんて、呪い以外ありえません」

 目の前がぼやけてきた。私はもう、泣きたくないのに。

 先生は優しく微笑み、ポケットからハンカチを取り出し、私の目にそっと撫でた。

「私……もうピアノ辞めたい……」

 その言葉を言った瞬間、凄く楽になった気がした。なんだ、辞めるのはこんなにも簡単なんだ。私は泣きじゃくりながらそう思った。

「――ねぇ西条さん。私も貴方の頃にね、ピアノに全てを注いでいたの」そう言いながら金子先生は遠い目をした。

 彼女の目は、鏡で見た私の瞳とよく似ていた。

「先生ね、昔ピアニストになりたかったの。懐かしいわぁ、あの頃は一日中弾いていたっけ。結局なれなくて学校の先生になったのだけど」

「後悔は……してないんですか?」

 

 金子先生は首を振る。瞳は、炎の様に揺らめいていた。

「全くしていないわ。音楽の楽しさをみんなに教える。それが、私の役目だと知ったの……西条さん、やっぱり今、弾いてみて……ううん違うわね。今、弾きなさい」

 穏やかな先生には似つかない、優しいけど有無を言わせない口調だった。私は驚くけど、涙を拭い鍵盤に手を添える。

 

 亡き王女のパヴァーヌを弾く。旋律は今までと全く違う印象を持った。

 この曲はサヨナラの曲だ。そう感じた。私はさよならをしなくてはいけない。

 今までの私に、藤井奏太に、初めての恋に。

 さよならをしたら私はきっと、ピアノの妖精に生まれ変わるのだ。

 それでいいの。私は、みんなが恋焦がれる妖精になりたいのだ。


 曲を弾き終えると、拍手が聞こえた。金子先生だった。

「……やっぱり貴方はすごいわ。西条さん、貴方は何があってもピアノを弾き続けなさい。そしてピアニストになるのよ。それが大切な人の為にも、貴方の為になるわ」

 私は静かに頷いた。涙は、もう流れなかった。心の中で、そっと別れを告げた。

 さよなら、藤井君。貴方が大好きでした。


 

 


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