8話
伝えることが出来た。
心に訪れたのは嬉しさでは無く、寂しさ。
私はこの先なんて言われるか、分かってるのかもしれない。
藤井君は何も言わずうつむき、両手で顔を覆った。少ししてから、えずく音が聞こえた。
「……どうして藤井君が泣いてるの?」
私は自分の涙を拭い訪ねる。藤井君はとてもか細い声で答えた。
「西条さん。君みたいな人が、僕なんかに恋をしちゃ駄目だ……僕は、最低なんだから」
「そんな事無いよ」
「僕にとって、君は太陽なんだ。憎くなるくらい眩しい」
「太陽……。」
彼は顔を上げた。涙は、キラキラしていた。
「僕はずっと君を見ていた。小学生の頃から君を知っていたんだよ。台湾にいた時、ニュースで君を見たんだ」
私は過去を思い出す。今ではだいぶ落ち着いていたけど、私が小学生の頃、よくメディアが家に取材に来た。ある時はテレビ関係、ある時は出版社。派手好きなお母さんが喜ぶから、私は取材に応じた。
「その時はもうピアノが嫌いになっていて、だけど君は僕と同い年なのに、凜としていて、神々しかった。しばらくして母さんと日本に住むことにした時、君のコンクールを見に行ったんだ」
彼は笑う。涙でグチャグチャになった顔で。
「旋律の中にいる君は綺麗だった……本当に。それ以外の言葉が思いつかない。ピアノはもう弾かないけれど、君をずっと見ていたいと思ったんだ。」
「分からない……分からないよ」
私は困惑を取り払うように叫ぶ。
「じゃあ、私を好きと言ってよ! そう言ってくれれば私、貴方の為だけに弾くから!」
私のピアノが好きだと言うなら。喜んで捧げよう。
心の中の天瓶は貴方が何よりも傾いているのだから。
だけど彼は私の言葉に首を横に振っただけだった。
「……それじゃあ駄目なんだよ。僕が独り占めしちゃいけない。君は、みんなと、君自身の為に弾かなくちゃ駄目だ」
藤井君は涙声で答える。
「何よそれ……」
声が震える。彼の言いたい事が、分かった気がする。
きっと、藤井君は私をピアノの妖精か何かだと思っているんだ。どんなことよりもピアノが好きで、ピアノだけを愛する妖精。
……冗談じゃ無い。
「私は、藤井君が思ってるような人じゃないよ……ごく普通の、女の子なんだよ」
「……君にはもっと、素晴らしい人が似合うよ。僕じゃない」
どうして、届かないんだろう。音楽と詩の事なら、なんでも分かる貴方なのに。
分からない、分からない――。沢山の泡の様に、こみ上げてきた言葉を吐き出す。
「だったら! 最初から私に近づかないでよ!」
言ってしまった。 大好きな人に、絶対に言ってはいけない言葉なのに。だけど私の口から出る言葉は止まらない。
「ピアノだけの私に、毎日笑って私のピアノが好きなんて言われたら、恋してしまう事くらい分かるでしょ!? ――貴方は私をもてあそんだの同じだよ! 酷い、最低だよ!」
彼の顔を見ると、寂しそうに頬笑んでいた。
「ようやく分かってくれた。君の言うとおり、僕は最低なんだ。――ごめんね」
それ以上何も言えなかった。傷ついているのは、きっと私だけじゃない。
「それでも……貴方が好きなの……」
私の口から最後に出たのは、消え入るような、声だった。
「……もうここには来ない。君に酷い事をしてしまったから。――でも、ここで君と会えて、君が弾く亡き王女のパヴァーヌを聴けて、本当良かった。――ありがとう」
そう静かに呟いて、藤井君は出て行った。
初めての恋が、終わる音がした。