4話
社会担当の教師が黒板の前に立ち、気怠そうに明治時代を語っている。内容は日露戦争についてだった。
私が日露戦争なんて興味があるはずもなく、聞くふりをして教室の窓をぼんやりと眺めていた。
学校はつまらない。そんな知識、私には役に立たない。
空は薄暗く、雨が降っている。つまらない天気だ。私はそんな天気に少し安心している。
今日は藤井君は欠席だった。せっかく彼の愛読書を読んできたのに、それを話す事が出来ない事が一番つまらない。
もし今日の天気が晴れだったのなら、それはとても嫌みに見えていただろう。
私が雨雲を見ていた間に、いつの間にか時間は経っていたようで、12時を告げるチャイムが鳴り響いた。
その後私は給食当番が多く盛りすぎた薄いスープを残し、教室を出る。一度だけ振り返り、クラスを見渡す。
ゲーム、漫画、ドラマ……みんなだらだらとそんなたわいない事ばかり喋っている。
――この人達は、さっき飲んだ、薄味のスープみたい。
心の中で、そう吐き捨てた。
誰もいない音楽室に向かう。今日は雨が降っているせいか、音楽室は少し寒かった。
鍵盤蓋を持ち上げたが、すぐに閉じてしまった。
どうにも今日は、ピアノを弾く気分じゃない。
藤井君がいないから……?
そうなのかも知れないと思う自分がいた事に少し驚く。
少し前までは、一人が当たり前だったのに。
私は椅子に座ったまま、鞄から本を取り出した。
藤井君がいつも読んでいた本、それは昭和時代の人が書いた詩集だった。
どこか、どうしようも無い事を嘆くような様な、乾いた哀愁があって好きだ。
何となく声に出してみる。悲しく、寂しい詩。
何故、藤井君はこの詩が好きなのだろう?
私は目を閉じ、考え込む。雨音が、微かに聞こえた。
あの人はあんなに輝いているのに。陰りなんて、どこにも無いのに。
ドアが開く音が聞こえる。「やっぱり、ここにいたんだ」
聞き覚えのある、女の、声。
目を開き振り返ると、藤井君では無く、一人の女子生徒が腕を組んで立っていた。
「……安藤、さん」
さん付けするのに抵抗がある。安藤真美。私は彼女の事を知っている。彼女は小学校の時、同じピアノスクールに所属していた。私は自分の居場所に勝手に入られた事にいらつきを覚えながら訪ねる。
「何の用? 貴方はもうピアノを止めたのでしょう?」
彼女は墜ちた人だ。中学進学時にピアノを止め、校則ギリギリな髪色にパーマを掛け、顔に化粧まがいなんてしている。
そして男子達と遊ぶようになった。藤井君とは違う、下品でがさつな男達。
安藤は私を睨みながら近づく。人工的な、甘ったるい香りが鼻をかすめる。きっと香水だろう。
「忠告しようと思ってきたの。普段なら、絶対来ない。あんたの顔、見たくないもの」
「私も貴方に用は無いのだけど」
私は閉じていた詩集を開き目線を向ける。この人を視界から消したかった。きっとこの女は嫉妬しているのだろう。自分よりピアノを弾ける私を。小学校時代、私と彼女の実力はどんどん離れていった。
演奏が終わり、私が拍手を貰っている時に、安藤だけは拍手をほとんどせず、私をキッと睨み付けていた。しだいに彼女はスクールに来なくなった。
当然の結果だと思う。彼女の感性は、あまりにもどんくさすぎた。どの曲を弾いても、曲に込められたモチーフや思想を解ろうとしないから。
だからって、その事を私に当たるのはお門違いも良い所だ。
「……相変わらず根性腐った奴ね。でも、特別に良い事教えてあげる。藤井君の事」
彼の名前が出た瞬間、私は思わず安藤真美の方を見てしまった。彼女は笑った。嘲笑うみたいな、酷く嫌な笑い方だった。
「あの人ね、私と付き合ってるの」