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2話

「どうも、今日も場所借りるよ」ニコりと頬笑む藤井君。

「……お好きにどうぞ」私は少しうつむいて答える。お互い短い会話が終わると、私は鍵盤を弾き始め、彼は文庫本を開く。そしてお昼休みが終わる頃には、「今日もとても良かった。ありがとう」そう言いながら去っていく。


 あれから藤井君は毎日音楽室にやってきた。とはいっても本当にピアノを聴きにくるだけで、必要以上の会話は無かった。

「ここは……落ち着くね。」彼はページをめくりながら呟いた。

「詩とピアノ。この教室は僕の好きな物で溢れている。」 

「何を、読んでるの?」

「えっ……?」

 彼は驚いた様に眼を丸くした。質問をした私自身も驚いていた。私は、この学校で誰とも関わりたくないから、この音楽室でピアノを弾いていたのに。

 

「答えたく無いなら、別にいい」急に恥ずかしくなって、目を伏せる。

「いや、少し驚いただけだよ。西条さんも本に興味があるのかなって」

「本ならたまに読むわ。コンサートに行く間とか」

「それはいいね。読んでるのはこれ」

 そう言って藤井君は本を差し出す。まるで男の子らしくない細い手。まるでピアニストの様な……。すぐにハッとし、慌てて本の方を見る。


 本のタイトルは、私も知っている、昔の作家の有名な一冊だった。紙は日焼けをしていて、茶色く変色している。


「なんだかボロボロね」

「そうだね、昔から好きな本だから、何度も読んでる」

「それなら新しく買い換えないの?」

 以前楽譜を買いに行ったとき、その本の新装版を書店で見かけた事がある。

 藤井君は頬笑んで首を振る。長く、サラサラとした髪が揺れた。


「この本がいいんだ」

「……ふぅん」

 一冊の本を大切に抱える彼は、とても優しく見えた。

 なんだろう、この気持ち。

 私は今、私が何を考えているのかが分からない。


「あと10分でお昼休みが終わるね。最後にまた亡き王女の為のパヴァーヌを弾いて欲しいな」

「……私もそのつもりだったから」

「ありがとう」

 いつもと同じように演奏を始めると違和感を覚えた。音色が違う。

すぐに原因は私の弾き方にあると気づく。


 とても軽やかに弾いているのだ。

 普段はこんな弾き方、しないはずなのに。

一呼吸してから普段の弾き方に戻そうとすると、

「待って! 今の弾き方、凄く良いよ」


いつもより大きい藤井君の声に驚きつつ、リズムを維持する。

――確かにこういう弾き方も、ありなのかもしれない。藤井君は本当にピアノに詳しいのね。そう思った途端、チャイムの音が聞こえた。

 時計の長針は、いつの間にか10分を指している事に気づいた。


「しまった、つい夢中になってしまった。次の授業は体育だっけ?」

「そうね」

「このままじゃお互い遅刻だ。ごめん」

彼は急にシュンとする。その姿がなんだか可笑しくて、唇が緩む。

「大丈夫、今日は仮病するから」

元々、身体を動かすことは好きではない。好きでも無い事にエネルギーは使いたくないのだ。


「だけど、そんなに簡単に休める?」

「女子はいろいろ理由を付けれるの」

 保健室は、私達女の為にあるような場所だ。少なくとも私はそう思っている。


「そっか、それなら良かった。僕の方は絶対叱られるなぁ。……まったく、男は辛いね」

「フフッ、何それ」古い映画の様な台詞に思わず笑ってしまう。冗談のつもりなのだろうか?

 音楽室を出ようとする彼は、「そうだ」と呟き、振り向いた。

「最後にもう二つ」

「なあに?」

時間が無いのに二つも用件があるなんて。言葉とは裏腹に、彼も遅刻する事を望んでいるのかもしれない。

「この本、君に貸すよ。いつも演奏してくれているお礼」

「……どうも」

彼の差し出した本に手を伸ばし、受け取る。ただのボロボロの本なのに、私は落とさない様に胸で抱く。



「最後に」

 藤井君は少し照れた様に笑う。

「西条さんは笑ってた方がいいね」

「……何それ、わけわかんない」


 予想出来なかった言葉に私はそっぽを向いて答える。凄く恥ずかしい。彼の方を見る事が出来ない。

「それだけ。じゃあね!」そう言って藤井君は走って行く。

 そんな事、初めて言われた。彼と会っていると、なんだか〝初めて"の事ばかりだ。

 次の授業は1500メートル走だった。九月に入ったとはいえまだまだ日差しは強い。みんなすでに汗を掻いている。

 結局、藤井君は体育教師に怒られていた。だけどそれは軽いお叱りで、本人には全くダメージが入っていない。もしかしたら彼はいわゆる「どこか憎めないキャラ」なのかもしれない。


 私はお腹が痛いと嘘を言い、男の体育教師をいとも簡単に騙してしまった。

 保健室にいくほどでは無いと嘘を重ね、見学する事になる。

 

 同じクラスの女の子達は体操をしながら私をジロっと睨む。さすがに同性の彼女達は騙せない。

 

 彼女達がどう思おうと私は構わない。嫌いたいなら、嫌えばいい。私は貴方たちとは違うのだから。

 世界が違えば、貴方達の憎悪は届かないのだから。

 その後、ホイッスルの音を合図に1500メートル走が始まった。 

 しばらくぼんやりと眺めいると、体操服で走る藤井君を見つけた。

 彼は特別に早い方では無いけれど、彼の流す汗は、とてもキラキラしていた。

 「……綺麗な人」

 私はぽつりと呟いた。

 この言葉は、きっと誰にも聞こえていないはずだ。

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