最終話
私は今、青いドレス姿で中学生達の目の前に立っている。本当はこういった場ではスーツを着るべきなのだけど、学校の教師達に私のファンも多いらしく、是非講演会で着る衣装を身に着けて欲しいとの事だった。
私としても、この衣装の方がスーツ姿の私よりもよっぽど私らしいので構わない。
ステージから集まった全生徒を見渡す。一人ひとりの顔を見てみると、みんなまだずいぶんあどけない表情だ。
私もその一人だったと思うと、なんだか可笑しくて口元が緩んでしまう。教師の一人がマイクを片手に声を上げる。
「今日は、我が校を卒業された、西城結衣さんにお越し頂きました。西城さんは現在、ピアニストとして世界中で活躍されています。今日はみなさんの為にお話をしてくださります。貴重なお話ですので、しっかりと聞いてくださいね。それでは西城さん、よろしくお願い致します」
私は少しの息を吸う。言葉の演奏会が、始まる。
「初めまして。私は西城結衣、ピアニストです。私はこの学校を卒業して、ロシアに渡り、そしてプロの演奏家になりました。今日は将来の夢について、私の経験から話をさせて頂こうと思います。……これは最初に言っておこうと思います。――夢を叶えたいなら、覚悟をしてください」
夕方、講演会が終わり。校長先生に挨拶を終わり、私は真美に電話を掛ける。
「真美、講演終わったよ。約束通り飲みに行こ」
「結衣、お疲れ様! あたしももうすぐそっち着くから」
電話から聞こえる声は、あれから少し大人びているけど、やっぱり私が知る真美の声だという事にホッとする。
真美は中学を卒業後、上京し、今は看護師をやっている。一番驚いた事は、彼女はピアノを続けていて、時々患者を励ます目的で演奏会を開いているらしい。
彼女がピアノを続けてくれたことが、私はたまらなく嬉しい。「今日は仕事はいいの?」そう聞くと、「そんなの結衣に会える方が大事だから、有給取った。今日は飲も飲も!」
「うん。私も楽しみにしてる。じゃあまた後で」
そう言って電話を切る。真美は私がロシアに行ってからもメールや電話をくれて、言葉は暖かくて、笑みが浮かぶ。
帰ろうと下駄箱からハイヒールを取り出した時、「あの、西城さん!」と私を呼ぶ女の子の声が聞こえた。
私は振り向くと、ポニーテールの女の子がはにかんでいた。スラリとした指が目に映りこむ。
「先ほどの講演、素敵でした! 特に夢を叶えたいなら、覚悟してくださいという言葉を聞いた時、痺れました!。」
「ありがとう」私は微笑む。「私は包んだ言い方が出来ないから、貴方達を傷つけてしまったかもと思っていたの」
私が話した言葉は、残酷だったと思う。子供達の中には、顔を青ざめる子もいた。
この世界は優しいドールハウスの世界とは違う、欲しいものは、ほとんど手に入らない世界だ。
ほとんどの人は、諦めたり、妥協する事によって生きている。私達はそれは自由と呼んでいる。
諦めた事を最後まで悔いる人は少ない。しょうがないさ。才能が無かったんだと。
みんなそう言った方が、幸せなんだと悟るからだ。
だけど、それでも手を伸ばし続ける人がいる。
まるで何かに取り憑かれた様に、まるで月を掴もうとするように飽きもしないで手を伸ばし続けるのだ。
それは夢追い人と呼ばれる人達だ。
私はそんな人達に一瞬の夢を見せてあげたい。
高らかに旗を掲げながら先陣を切るジャンヌ・ダルクの様に、私はなりたい。
今はそう願いながら、ピアノの鍵盤を叩いている。
女の子は私の予想を裏切り、キラキラと目を輝かせていた。「いえいえ! 私は西条さんの言葉を聞いて、俄然やる気が出てきました!」
少し驚く。私の予想が正しければ――。
「貴方は、ピアノを弾いているの?」
「はい! まだまだ西条さんの足下には及ばないですが、いつか貴方のようになれたらいいなって」
やっぱり。この子は私と同じ、妖精だ。私はなんだか嬉しくなる。「そっか。貴方が同じ舞台に立つのを楽しみにしてる」
「はい!」女の子は嬉しそうに頷き、突然思い出したかのように手を合わせた。
「そうだ! これから音楽室で先生にピアノを習いに行こうと思ってたんです! 先生、西条さんの大ファンだから是非会ってください!」
「先生? ピアノの?」
誰だろう。挨拶に来た教師の中に音楽を担当している者はいなかった。金子先生の後任は誰なのだろう。
それにあの第二音楽室は、今も変わらないままなのだろうか。私の中の好奇心が揺れ動いた。
「ええ、是非挨拶をしたいな。案内お願いできる?」
「りょーかいです! あはは、先生ビックリするだろうなぁ」、そう言って楽しそうに前を歩く女の子を見ながら、私はあの頃の私に戻った気分だった。
階段を上るとすごく聞き馴染みのある曲が聞こえてきた。これまでも、これからも忘れない曲――。
隣を歩く女の子は可笑しそうに笑った。「あ、先生またこの曲弾いてる。なんか、思い出の曲なんだそうです。でも私は毎日聞いてて飽きちゃって――あれ? 西条さん?」
私の顔を伺う女の子の気にも止めずに、私は踏みだし、ドアを開けた。
「――やっぱり、この曲を聞けば、西条さんはここに来ると思った。」
私の目に映ったのは、見覚えのある男性だった。大人になっても全然変わっていない。
彼は椅子から立ち上がると、置いてあった包みを両手に持ち、私に近寄る。彼が持っていた物は、花束だった。私の好きな、ドレスと同じ青色をした花だ。
「この花はデルフィニウムって言うんだ。花言葉は清明だけど、西条さんにはもう一つの言葉の方が似合うね」
彼は花束を渡す。私はゆっくりと受け取った。花の香りがふわりと鼻をかすめた。
「あなたは幸福をふりまく。……君に会うのは凄く遅れてしまった。次に君と会うときは、胸を張れなきゃ駄目だと思っていたから。……だけどやっと、約束を果たせる。」
彼は笑った。私の、大好きな笑顔で。
「ありがとう。貴方は、僕に幸福をくれた」
私も笑って頷く。大人になった藤井君の言葉は、春風の様だった。
亡き王女のパヴァーヌが流れる小さな音楽室の中で、私はデルフィニウムを抱きながら初恋を思い出していた。