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14話

「ロシア……? ……そっかロシアかぁ。そうだよね。結衣は特別だったっけ」

 真美は夢から冷めたような顔をした。胸がズキリと痛んだ。

 私は、またピアノで大切な人を傷つけてしまう。せっかく友達になれたのに。

「行ってきなよ。夏休みとかには帰ってきてね」

「えっ……?」


 全く予想していな言葉だった。彼女の口調は建前では無く、本気だった。

 私には友達がいなかった。好きな人も振り向いてはくれなかった。

 それでもかまわないとずっと思っていた。

 だけど違った。

 一人はぼっちは、寂しいものだったんだ。


「結衣があっちに行ってもメールするから」

「真美……ありがとう」

 その後、私はまた曲の続きを弾いた。この日が音楽室で弾く、最後の日となった。



 冷たい冬が終わり、春が訪れた。

 私は無事、卒業式を迎えた。

 式の後、私は金子先生に挨拶をしに行った。金子先生は私を見て、ピアノを弾く自分を好きでいなさいと言って頬笑んだ。

 聞くと、先生は来年の春に定年退職を迎えるらしい。今思えば、金子先生の言葉と笑みは、私達と、これから"卒業"する自分に向けての表情だったのかもしれない。



 真美はずっと泣いていた。やっぱり私と離れたくないらしい。

 この前の言葉は、強がりだったのだ。

 彼女の涙を見て、私は思い出した。

 私が小学生の時からずっと、彼女は強がっていた。一緒にコンサートに出た時、私だけ表彰された時も、この子は泣かなかった。私の思い違いだったんだ、彼女は泣くのを我慢していたんだ。

「真美、貴方は、とても綺麗に生きてるのね」

 その言葉を告げた時、私も泣いている事に気付いた。本来の私は、きっと泣き虫なのだろう。

 そして今日、日本を旅立つ日が来た。

 駅のホームは新幹線から沢山の人が行き来していて、その様子は見ていて飽きない。

「結衣、あっちは寒いから、風邪引かない様気をつけてね」

「うん」

お母さんは優しく微笑み、私の頭を撫でた。

「この年で海外に行っちゃうなんて、結衣はお父さんに似たのね。お父さんもあっちの仕事が終わって日本に帰ってくるし、二人でここで結衣を応援してるね」

 

 私は強く頷いた。

「うん、今度、お父さんと遊びに来て」

 私がそう言うとお母さんは安心した様子で、新幹線のくる時間がまだ遠いから暖かい飲み物を買ってくると歩いていった。

 一人になった私は、ふと、初恋の人を思い出す

 彼はとても可愛そうな男の子だった。どうしても欲しいと思ったものは決して手に入らない。そしてそんな渇望は、あの人を歪めてしまう。

 本当に、可愛いそう。替われるものなら、替わってあげたい。

 

 真美みたいな普通の女の子は、とても輝いているから。

 でも、私には、彼を助けてあげれない。彼を癒やせない。

 私に与えられたのは、彼が持ってはいない音楽だけなのだから。

 それでも。

 それでももう一度会って言葉を交わしたいという事は、我が儘だろうか。


「――西条さん」

 後ろから、私の名を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると――

「……どうして?」

 声は藤井君だった。ここまで走ってきたようで、ぜぇぜぇと息を切らしていた。私は何か言おうとしたけれど、口が動かない。さっきまで想っていた人が目の前にいる。目の前の彼は私が作り出した幻で、声を掛ければ蜃気楼の様に消えてしまうかもしれない。藤井君は呼吸を繰り返し、私の目を見た。去年と同じ私の知っている瞳だった。


「安藤さんに聞いたんだ。今日君が日本を発つって」

「……どうして来たの?」

 絞る様な声が出た。 嬉しいはずなのに、私の心は彼を疑っていた。

「わからない、分からないんだ……僕は、君に会わす顔なんてないのだから。でも、君がいなくなるのを聞いて……足が勝手に動いて……それで――」

 ――その言葉を聞いた瞬間、私は彼に抱きしめた。突き放されても良いと思った。藤井君の身体は震えていた。それが分かると私はもっと抱く力を強める。冷たい彼を暖めたかった。

 藤井君は、私を突き放さなかった。白い吐息が耳に掛かる。


「……行かないで欲しい」とてもか細い台詞が聞こえた。私は自分の唇で彼の口を塞ぐ。

言わなくていい。私も貴方もすごく弱いんだ。だから貴方の弱さは、全部分かるよ。

 全部分かってるから、言わなくていいんだよ。

 唇を離し、彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。

「約束して。いつか貴方が答えを見つけたら、私に会いに来て。その時はまた一緒に弾こう?」

 藤井君は泣きそうな顔で頷く。貴方のそんな、自傷に近いくらいの純粋さが好きでした。いつかまた会った時、どうかお互い笑えますように。

 私はそう願うと、踵を返し、歩き出した。

 彼は、追ってこない。追ってこれないんだと思う。

 耳の奥では、教室で弾いた、「亡き王女のためのパヴァーヌ」が鳴り響いていた。



 その後、私はお母さんに見送られ、今は新幹線の窓から景色を眺めている。買って貰ったホットレモンティーは、甘酸っぱい。でも、後で新幹線が止まったとき、おしるこも買おうと思った。

 私の住んでいた街はどんどん小さくなっていき、今はまるでミニチュアみたいだ。

 私はきっと、これからもピアノを弾き続ける。

 ピアニストになったら、いろんな人の願いを乗せて弾こう。

 お母さんとお父さん。金子先生や、真美。

 それから――初めて恋をした貴方へ。

 私は響かせるから。待っていてね。

 トンネルに入り、すぐに抜けると、あの街はもう見えなくなっていた。

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