応募用に1万字以内。原稿0枚以内
女学校の友達が恋文を貰ったのは、一ヶ月くらい前のことだった。読ませてもらったその恋文は、素直な気持ちや真面目さ誠実さとか、何よりも想いが伝わってきて、すごく素敵だった。あたしまで恋をしているような、嬉しさと羨ましさが混じる。
そして。あたしの好きだった、隣に住む年上のあの人を思い出す。幼馴染で恋愛結婚をしてた二人はいつも幸せそう。いつかそんな風に、惹かれ合い、慕う誰かと……。
――そう思っていたのに。縁談の話が持ち込まれて、その夢は齢十六の年にして、儚く散ってしまった。
ただでさえ、失恋の傷も癒えてなくて、結婚だなんて今はまだ考えられない。
なんであたしがお見合い相手に名前があがったんだろう。樹お兄ちゃんもお兄ちゃんよ。あたしが、片思い中なのも知ってるくせに。断ってくれても良かったのに。
色んなことを考えながら、下駄をちょっとだけ借りて、縁側から外へ駆け出した。
明日なんて、来なければいいのに……。
「桜ちゃん」
庭にある咲き誇る牡丹に向かって、大きなため息をこぼすと突然、声がした。声のする方を向けば、お隣さんと敷地を隔てる塀の上から、顔を覗かせた隆太郎お兄ちゃんが見えた。親しげにあたしに手を振っている。仕事帰りかな。ワイシャツ姿が格好いい。
その人は、あたしの兄樹の学友でもあり、幼い頃からよく一緒に遊んでくれた六歳上で、あたしの好きな人でもある。
「……隆太郎お兄ちゃん」
「さっきから、ため息ばかりついて幸せが逃げちゃうよ?」
「別に良いの、今さら」
幸せなんて二ヶ月前に逃げていったよ。あたしが好きなことは、きっと隆太郎お兄ちゃんは気づかない。恨みがましく見ても、当の彼の人は何も知らずにきょとんとしている。相変わらず、ほんわかして、平和主義で、鈍感なの。
「ん、どうしたんだい?」
「別に。なんでもありませんよーだ」
「そんなこと言って、唇が尖ってるよ」
隆太郎お兄ちゃんは、良かったよね。幼い時から仲が良かった女の人と結婚できたんだから、本当に幸せそう。それに引き換えあたしは……。
「明日、お見合い頑張ってね」
こっちの気も知らないで、隆太郎お兄ちゃんは無責任に微笑んだ。お隣さんはなんでも筒抜けで困る。
「桜ちゃんの旦那になる人の歳は、三つ違いだったね。大学生だっけ?」
「……うーん、そうだったかな」
「他人事だなぁ。いいのかい、それで」
だって、隆太郎お兄ちゃんでないなら、誰だって同じだもの。どんな人でも構わない。
桜ちゃんなら幸せになれるよって、なんの疑いもなく、実の妹みたいな存在のあたしに、幸せを心から願ってくれる。嬉しいはずなのに素直に喜べなかった。
そもそも、まさか恋心を抱いているなんて知るわけもないんでしょ? 想い告げるのを躊躇っているうちに、想いを告げられぬまま、消えることなく、あたしの胸の中にいつまでも居座ってる。
こんな気持ちを引きずって、幸せになんて、なれないよ。きっと、隆太郎お兄ちゃんと比べてしまう。
☆
普段は着ない余所行きの晴れ着に袖を通し、大事に保管してある簪を頭に挿す。口紅もした。飾られて大人っぽくなったあたしに、妹の楓は羨ましそうな眼差しを向けられた。代わってもらえるなら、楓がお見合いすればいいのにね。
お部屋に付き、静かに相手方を待っていると「初めまして」と名乗ったその声が聞き覚えがある気がして、あたしは思わず顔を上げた。
「山城誠司です」
「あなたは、路面電車の停留所で、……よく会う」
朝、女学校に行く時に使う電車で、駅で待っている時に、学生服を着たこの人を見かけた……ような気がする。
「思い出してくださったなら、なによりです」
誠司って名乗った人は感じよく笑う。余裕綽々だ。
「まさか、桜さんとこう言った形で話が進むとは。偶然とは言え驚きました。何かの縁なんでしょうね」
落ち着いて言ってるのに、変な感じ。前に会った時の雰囲気とまるで違う笑みを浮かべている。誰から見ても好青年。別人のように思えた。
あたしは、この人と近々、夫婦となってしまうの?
それは絶対なの?
そればかりが、頭の中で駆け巡った。
終盤に差し掛かったころ、誰が言った。
せっかくだから二人で庭に出て散歩してきたら? と。両家に促されて私は渋々、お見合い相手と一緒に外に出た。
誰も近くにいない場所まで来ると彼は、んーーと腕を上げて体を伸ばした。
「ほんと驚きだよな。お見合い相手が誰かと思えば」
途端に、私が知っている奴になった。さっきまでの好青年はどこへやら。
「ずっと静かだな。喋らないから、日本人形かと思ったよ」
だって、母に余計なことは、くれぐれも言わないようにねって言われてますから。今日はお淑やかでいないいけないの。
それに確かに今、前髪が揃っているけど。変とでも言うつもり? それとも人形みたいで可愛いと言っているつもりなの?
足が止まると、地面の砂利の音も止まった。今日のために着飾ったから、いつもより動きづらくて、嫌になってしまう。いったい誰のために化粧をして、いい着物を着て魅せているの? 少なくとも、この人のためでは無いのよ。
「疲れたか?」
数歩前にいたあいつが、振り向いて頭を傾ける。お見合い中は緊張で堅苦しいって思っていたけど、私は首を振った。
「そうだ。これやるよ」
「どうして?」
「えーっと。今日、見合いした記念。みたいな?」
聞かられたのが意外だったのか、戸惑われた。受け取って、見てみるとりぼんの髪飾りだった。あぁ、この色は好きな色だ。あまり派手じゃない分、幼すぎないからもう少し歳を重ねても、付けていられる。
「今度、出かける時に付けて見せてよ」
「出かける時って……。私と貴方が?」
「でぇと。英語ではそう言うんだってさ」
「何語で言われても……」
次に会った時はもう夫婦なんて、悲しい。だからといって、この人とお出かけしたいわけでもないのに。どっちかしか選べないの?
困っていると「時間はあるから、またゆっくり会おう」って言われて、この日のお見合いは終わった。
☆
精一杯、繕ったお見合いの日から、早一週間。
誰かが戸を叩く音がして、お母さんが玄関に出た。そう言えば、今日はお客様が来るから、普段着じゃなくて、しっかりした服装で居なさいと言われていた。なんとなく、先日もらったあのリボンを頭の後ろにつけてみる。誰が来るんだろう。聞いたけど教えては貰えなかった。
奥の部屋からコタツに入りながら玄関先の音を探ると、妙に盛り上がっている嬉しそうなお母さんの声がした。
「桜、こっちにいらっしゃい。誠司さんがお見えよ」
セイジ……? まさか本当にお見合いしたあの人?
「こんにちは、桜さん」
「お母さん! 今日はお客様が来るって……」
「来てるでしょ?」
「……えっ! お客様って」
「桜さん、お誘いに来たんです。一緒に出掛けてくれませんか?」
にっこりとさやわかに笑った顔が、どこか嘘くさい。なのに断りにくくさせるのは、なぜなのだろう。お母さんの好漢度は上がっているみたいで、絶対わざとだ。
「行ってきなさい。桜」
怯んだあたしに、お母さんは圧力をかけた。何故か羽織物と手提げまで用意されてて、それらを押し付けられたかと思ったら、今度はあいつに手を引っ張られる。あっ、という間の出来事で、気づいたら敷地の外まで飛びださせられていた。
閉まる戸の隙間から、目の端で捉えたのは、お母さんが行ってらっしゃいと、小さく手を振っている姿。
ええぇ、なっ、な、なによこれ!お母さんの裏切り者ぉ!
「残念だったな」
敗北感で項垂れたあたしに、外の寒さに加勢するように無下な言葉までもが放たれる。どんな顔して言ったのか、横目で見てみるとあいつは悪戯に満足する子供みたいに、楽しげに笑っていた。
あぁ、そうよ。その顔。あたしが、好青年笑顔が胡散臭いって思う理由は、こっちの顔の方がこいつの本性だと、薄々感じてたから。絶対にあの笑顔は接待用の顔だと思ってた。……なによ、良い顔しちゃって!
そして、そのままあいつは歩き出す。まるで行き先が決まってるみたいに。婚約中ですら並んで歩くはもわからないのに、もう少しこの人も配慮して欲しい。あたしは不安になって、まわりの目を気にしながら、数歩離れて後ろを着いていく。
「似合ってるな。それ」
ぽつり、とあたしの後頭部のリボンに目を向けながら、小さな声で言われた。普段はもう少しはっきり言う人なのに、こういう時だけ声が小さくて変な人。
「ねぇ、何処へ行く気なの?」
「銀座」
「え、どうしてそこに……」
「百貨店に行ってみたいんだろ?」
なんであんたが知ってるのよって、言ってやりたかったけど、そんなの決まってる。どうせお母さんが味方して、情報を提供したんでしょ。
「この前、友達と行きたいってお父さんにお願いした時は、反対されたのに。なんで、急に許可するのよ。意味わかんない!」
「くれぐれもよろしくお願いしますって俺となら快く許可してくれたよ。――というわけで今日一日、娘さんを丁重にお預かりしました」
言いながら、また好青年笑顔を向けた。
銀座なんて、そんな場所。男女二人で行くなんて、まるで本当にお付き合いをしているみたい。縁談を断りたいくらいなのに、なんでこんなことになってるの。聞いてないよ。
「お母さんの馬鹿」
唇を尖らせると、やっぱりあたしの反応を愉しむように可笑しそうにする。それに、当たり前のように名前を呼びつけにして来るし。
ここからの行き方は、しっかり調べていたみたいで、乗り換えとか、時たま手書きの紙を見て、すぐに「こっち」って時たま指先に一瞬だけ触れ、引かれては、あたしが抵抗する前にあいつはすぐに離す。程よい速さであたしの少し前を歩いている。話しかけられては、少し意地が悪いことばっかり言うから、嫌になってしまう。
いろんなものを見て回り、帰りは"丁重に"とあたしの親と約束した通り、家まで送り届けてくれた。冬の夜は早く来る。玄関先で「少し遅くなってしまって申し訳ありません」と、あいつはお母さんに帽子を取って一礼をする。……そういう所を見ると、なんだかんだと、根は真面目なのかなって思った。
「また誘いに来るから」
手を口元に添えて、あたしにしか聞こえない声で言ったかと思えば、玄関にあたしを残し、返答させてくれないまま、帰っていかれた。その背中を見送るしかなかった。
最後に見たあの人の顔は、らしくない顔をしてた。なんの嫌味もなく素直で、それから優しそうな目をするなんて思ってなくて、心が少しざわざわする。
それから二週間後、またあの人が来た。
その後もまた来ては、あたしは抵抗虚しく引っ張り出された。今度は人の少ない場所だった。どうしてこの人は、ここまであたしに構うの? ほっといてくれてもいいのに。
何をしゃべっていいのか分からないし、あの人のこと何も知らない。誘われても困るって言ったら、「だから、お互いを知るために会いに来てるんだろ」って、即座に返された。
今の気持ちを。好きな人が居るってやっぱり打ち明けるべきなのかな。父代わりでもある樹お兄ちゃんを頼れるって思ったのに、縁談を正式に断る前にもう少し待て、と言われてしまうし。こんな風にこれからも何度も会ってしまえば、今さら「好きじゃない」と言っても誰も信じてくれない気がして、お断りをする機会をどんどん逃している。……あたしはどうしたら良いの。
隣に歩くことすら気が引けて、一歩後ろを歩く。振り向かえられても目線が交わないように、下を向いて逃げてしまう。話しかけられても、上手く会話ができない。多分、今、笑えてないと思うし。
そんなあらゆる、あたしの素っ気ない態度に、あいつはついに痺れを切らしたみたいで、急に、手首を捉えられた。
「俺が相手じゃ、そんなに不満か」
「そんなこと、……ないですけど」
「あるだろ」
あたしの沈黙にため息つくあいつの動作、一つ一つが今日はなんだか刃物みたいに鋭く尖っている。
「だったら、そろそろ俺の名前呼んでくれてもいいんじゃないか」
「……っ」
名前なんて呼んだら、仲良くなってしまいそう。この縁談を認めたようなものになっちゃうでしょ。それがやなの。
こんな子供みたいな抵抗をしても、意味なんて少しも無いって自分でも思う。もっと逃げていたかった。だけど、多分、もうここまで。
「呼べば言いんでしょ。………………誠司、さん」
渋々抵抗して、可愛げなんてあったもんじゃない。きっと今のあたし、悔し泣きみたいな顔をしてる。
「ねぇ。どうしても嫌なら断って良いって言ってたけど、本当なの?」
「…………断りたいのか?」
「そっちは、結婚に納得してるの?」
樹さんめ。と困った顔と少しだけ沈んだ浮かべながら、逆に質問を質問で返された。だからあたしもさらに質問で返してしまう。別にこの人だから嫌なわけじゃない。誰だとしても今はまだ嫌なの。
「俺は前々から、誰が嫁に来ても、大切にするって前から決めてたよ。それに、桜のことは――」
誠司さんが何かを言いかけたその後ろで、不意に目に入ったのは、隆太郎お兄ちゃんの姿だった。その途端、この声はあたしの耳には入って来なかった。彼もまたあたしの目を追って後ろを振り返る。
どうしてこんな所で。このままじゃ、隆太郎お兄ちゃんにも気づかれてしまう。捕まれた手を振りほどきたくてもがいてると、逆にさっきより強く手首を取り押さえられてしまった。
「痛い。離して!」
「今は逃げないで、最後まで俺の目を見て聞けって」
「やだ! だって、見られたくない!」
もともと強引な人だけど、いつになく聞いてくれなくて、怖くなった。なんで意地悪するの。だって今、すぐ近くに隆太郎お兄ちゃんがいるのに。
そうしてる間に、隆太郎お兄ちゃんとの距離は縮まって、目が合った。
「あれ? 桜ちゃん」
相変わらず、ほわっとした顔をしてあたしの名前を呼ぶ。こんな所で見られたくはなかったのに。目線はやっぱり下に移動して、誠司とあたしの繋いでいる手に気づいたみたい。隆太郎お兄ちゃん肩を下ろす。
「不安がってたみたいだったけど、仲良くやってるみたいだね。僕も安心したよ。ちょっとまだ、早そうだけど」
仲良くなんて、……してないのに。
ちらりと、誠司さんに掴まれた手を見られたらみたいで、とても恥ずかしくなった。
そういうことを、隆太郎お兄ちゃんは言うに決まってるから、一緒に居る所なんて見られたくなかった。せめて手を離して欲しかったのに……。
「ちが……うよ」
「桜ちゃん?」
「だって、あたしは!」
思わず、隆太郎お兄ちゃんの裾を掴んで助けを求めてしまった。口が渇く。取り返しのつかないことを言おうとしているのが、自分でも分かった。それでも止まりそうになかった。今までにないくらい、辛くて、悔しくて、泣きたくて、抑えようとしても、溢れそうになる。本当は、まだ納得いってないよ。
誰かと出けてるのも、ちょっと頑張ってることなのに、そんなの何も知らないで、簡単に仲良くなったって思われても、嫌だよ。
「結婚なんてまだしたくない……っ!!だって、ずっと前から、あたしが好きなのは、りゅうた…………っっ!」
苦しくなった息を吸いこんで、やっと言葉は止まった。目に涙が溢れて、落ちないように瞬きを我慢する。鈍感な隆太郎お兄ちゃんでさえ、あたしの真意に気づき始めたみたいで顔色が変わった。それなのに、あたしはまだ、救いを求めて掴んだ隆太お兄ちゃんの裾を離せないでいる。
「桜ちゃん、それは……お相手がいる前では言ってはいけないよ」
あぁ……その顔。困らしてる。この事態の収拾を自分でなんとかしなきゃって思うのに、頭が真っ白になって、何も出てこなくなった。こんな最悪の形で、告白してしまうなんて……。泣くのは卑怯だ。だから今はだめ。
「――隆太郎さんでしたよね。お見苦しい所をお見せしまいすみません。二人の問題ですから、桜としっかり話します。今度、時間がある時に改めて謝罪に伺いますので、今日はこれで失礼します」
瞼が耐えきれなくなる寸前で、誠司さんは冷静な声で言った。深く一礼をするか否かで、繋ぎぱなしだった手に誠司がもう一度力を入れると、あたしを引っ張って走り、隆太郎お兄ちゃんを置き去りにして行った。
そこから連れ出されて内心ほっとした。抑えてたものを、緩めると一気に涙が出てきて、止まらなくなった。
「……っ、っう……っ」
「あいつの前で我慢して、偉い偉い」
泣いてる声に気づいたのか、誠司さんは走っるのをやめると、振り返るとあたしの頭をぽんぽんと撫でた。それは手馴れたもので、妹にするような手つきだった。
困らせて、傷つけたのは隆太郎お兄ちゃんだけじゃなくて、この人にも同じこと。だって結婚を嫌がってる理由が、他に慕ってる人が居るためだったなんて、面白い話じゃないでしょ。逆の立場だったら、あたしだって、感じ悪く思ってしまう。この先、やっていけるのかなって思うもん。いくら好きな相手が既婚者だって、分かってても。まして、婚約者の目の前で告白をしようとしてしまうなんて。
「ごめん、なさい」
「……いや。俺も手、離さなくて悪かった。泣かせたかったわけじゃなかったんだよ。なんて言うか、負けたくないって思ったら、つい……」
いつだって余裕があると思ってた。でも今日の誠司は怒ってて、困惑してて、余裕が少しなくて、ちょっとだけ不思議な気分。
「謝らなくても良いからな。桜があいつの事が好きなのは、知ってたから」
「な、なんで。知っててお見合いもしたの……?」
見開いた目に、口をぱくぱくさせたら、誠司さんは「屋台の出目金みたいだ」ってあたしに向かって笑ってくる。すぐからかってくる所、隆太郎お兄ちゃんの接し方を見習って欲しいって思う。
「親が用意した見合い写真の中で、見覚えのある娘さくらがいたんだよ。その時は名前は知らなかったけど」
「……それ、……だけ? だって話してもいないのに」
「あぁ、桜とは一度も話してない。でもずっと見てたから桜が、あの男を好いてるのは、すぐ分かったよ」
少しだけ不機嫌に誠司は眉間にシワを寄せる。
こっそり見られてたというなら、あたしがいつまでも未練がましく、恋心を捨てられずにいたのも知られてるわけで。
「まさか、見てたなんて……。馬鹿だなって思ってたんでしょ?」
それなら、聞けば聞くほど変。あたしが別の人を好きなのを知った上で、それでもあたしを選び続けた理由が。
「だったらどうして?」
「問題ないだろ。相手は既婚者なんだから、桜だって諦めるしかないんだ。もしも桜の想い人も桜のことを好きなら、俺も流石に横から割って入るような真似するかよ。そもそも、それなら俺だって桜の事は気にならなかった」
悲しいことに、"幸せになれると良いね"って応援されてしまってる。
「この先ずっとこのままでいたいのか? 何十年も、仲悪いまま俺と二人で生活する事になるぞ」
「そ、それはやだけど……」
「だろ? 夫婦になることは、俺が決めたことなんだ。例え俺のことを断っても、他の男とのお見合い話はまた飛んで来るからな?」
「そんなの、分かってる!……でも! まだ、結婚なんて……」
「ゆっくりでいいよ。時間がかかることくらい覚悟の上だ」
きっぱり言い放つ言葉に、少しの迷いも感じなかった。この人は、こんな可愛くないあたしのために、歩み寄ろうと確かにしてくれている。全部、受け止めてくれている。誠司さん以外にそんな人は居ないと思う。
本当はお見合いをして、二、三度会うかどうかで結婚することだって、よくある話。でも誠司は何度も何度もあたしに会いに来てくれた。何度もわざわざ足を運ぶような労力を使わなくても大丈夫なのに。それでも、あたしに会いに来た。
「なんでそこまでしてくれるの? 別の女の人と婚約しようと思はなかったの? 誠司さんは選べたんでしょ」
さっきの子供じみた会話から、真剣な態度で訊くと誠司さんも、はぐらかさないように決めたみたいにだった。
髪をかきあげ、息を吐き、顔をおもむろに上げる。
枝に小さな小さな花芽を付けただけの、まだ咲くには早い、寒そうな桜の木を見つめ始めた。
そして、小さな声で呟いた。
「桜が……」
一瞬名前を呼ばれたかと思った。
時期的に花も葉っぱも付けてないから、なんの木か忘れがちだけど、ごつごつとした貫禄のある幹を見て、桜の木だって思い出す。あの人はその木に目を細め、柔らかな眼差しを向けた。それと、少し寂しそうにも。
それはまるで、満開に咲き誇る桜が見えているかのように。
「そう、桜の花びらが雨に濡れて散っていく、その姿が目に焼き付いてさ」
それから誠司さんは、私に向き直る。
「それだけ? って笑うなよ。こっちはどうやったら涙拭えるか考えてたんだよ。恋仲でもないのに、そうそう話しかけられないだろ。周りの目もあるし」
あたしが誰かを好きなのも承知で、泣いているのが気になって? 励まそうと思って、それでいっそのこと結婚しよう……って?
「結納までに好きになれば、桜が望む“恋愛結婚”ができるだろ? 急がず俺とのこと考えて欲しい。俺ももっとお前を好きになってやるから」
友達がもらった恋文よりも直球すぎて、一瞬にして恥ずかしくなってきた。
「もしかして、あたし今、求婚されてるの……?」
「最初からしてるだろ」
いつか冬が過ぎ、春が来る。
春は不安定な季節で、何度だって桜の花びらは、突風に吹かれ、雨に打たれ、儚く短い時を生き、散っていく。それと同じように、叶わない恋は咲かせたって悲しい思いをするだけだから、もう懲り懲りだって思っていたのに。
人は、性懲りも無く、簡単に恋をしてしまうものなんだって、少し思った。