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前半 / 雨が降り続く



自分で決めた人と結婚したかったのに、願い叶わず縁談が持ちかけられた。ただでさえ、失恋の傷も癒えてないから嫌なのに、結婚だなんて信じらんない!


 お母さんは縁談が決まった時から毎日のように、「あなたは、お淑やかさが足りないから、今から練習した方が良いわよ」って言ってくる。失礼しちゃう。外に出すには恥ずかしい娘で悪かったですねぇ。

 お母さんが背を向けてる時に、すかさず舌をべーっと出してやった。


 お見合い相手はうちの遠い親戚。向こうの方がうちより由緒あるらしい。歳は十九らしく東京の大学に通っている。頭はいいのかもしれない。……まぁ、そんなのは、なんだっていいけど。


男の人が在学中に結婚するのは、早い気もするけど変じゃないのかな。それに、なんであたしがお見合い相手、強いては結婚相手に選ばれてしまったのか、あたしにはその辺の経緯は良くわからない。候補は他にあったと思うのに。






色んなことを考えながら、縁側で座っていた。けど、じっとしてられなくなって、下駄をちょっとだけ借りて、外へ駆け出した。そして、庭にある咲き誇る牡丹に向かって大きなため息をする。ため息をしたってなんの意味もないのは分かってはいても、止まりそうもない。


「明日なんて、来なければいいのに……。そうよ、いっそのこと風邪でも引いたら中止になるかも!」


 思いついたものの、一瞬でそんな都合よく行くわけないって、思い直してため息が出た。それに万が一お見舞いに来られたら、もっと困る。


「桜ちゃん」


 そんな時、突然に声がした。声の方向へ向くと、お隣さんと敷地を隔てるブロック塀の上から、顔を覗かせた隆太郎お兄ちゃんが見えた。親しげにあたしに手を振っている。その人は、あたしの兄の友達でもあり、小さい頃から良く一緒に遊んでくれた六歳上で、あたしの好きな人でもある。


「さっきからため息ばかっかりついて、幸せが逃げちゃうよ?」

「別に良いの、今さら」


 幸せなんて二ヶ月前に逃げていったよ。大学を卒業し就職すると、隆太郎お兄ちゃんは幼なじみと結婚した。あたしはあまり面識はなかったけど、今はお嫁さんも隣に住んでるから、嫌でも顔を合わせる環境。仲睦まじくやっている生活を目の当たりにされ、恨みがましく見ても、当の彼の人は何も知らずにきょとんとしている。相変わらず、ほんわかして、平和主義で、鈍感なの。


「ん、どうしたんだい?」

「別に。なんでもありませんよーだ」

「そんなこと言って、唇が尖ってるよ」

 

 隆太郎お兄ちゃんは、良かったよね。幼い時から仲が良かった女の人と結婚できたんだから、本当に幸せそう。それに引き換えあたしは……。


「明日、お見合い頑張ってね」

 

 こっちの気も知らないで、隆太郎お兄ちゃんは無責任に微笑んだ。お隣さんはなんでも筒抜けで困る。

 

「桜ちゃんも結婚かぁ」

「結婚だなんて、気が早いよ。明日はお見合いするだけなんだから!」

「でも明日会う人と結婚するんだよね? 決定だって、(いつき)がこぼしてたよ」

「え? お兄ちゃんから?」


 隆太郎お兄ちゃんには隠してたのに、我が家の長男である樹お兄ちゃんが、暴露してしまうとは。そもそも会ったこともないのに、結婚が既に決まってるなんて、あたしは納得できない。これじゃお見合いじゃなくて、形だけの顔合わせ。


「樹は父親代わりだからかな。桜ちゃんの結婚のこと、心配してたよ」


お兄ちゃんは、あたしが隆太郎お兄ちゃんのことを好きなのを知っているからもあると思う。それに、出張で家を空ける事が多いお父さんは、お見合いの日も来れない。代わりにお兄ちゃんが家長として出席するんだけど。

お兄ちゃんの場合心配と言うより、"イマイチ信用できない"って眉間に皺を寄せてた。お見合い写真でしか知らない相手に、何を読み取ってるのやら。


「もし、男の年が離れてるとお嫁さんを大切にしてくれるって言うけど。桜ちゃんの旦那になる人の歳は、三つ違いだったね」

「……うーん、そうだったかな」

「本人は縁談に乗り気とか聞いてる?」

「知らない。親同士は乗り気に見えるけどね」


曖昧に答えると、隆太郎お兄ちゃんは苦笑いしながら「何も知らないね。良いの?」って。別に、興味ないので。明日には会うし。でも案外、向こうも嫌々お見合いをしたりして。もしくは、同じように好きな人がいたりして。そうだとしたら、断れたらお互い楽なのに。


「どんな人か事前に知っても知らなくても、あたしはお嫁に行くだけだよ」

「……不安そうだね。でも、大丈夫だよ。僕は、桜ちゃんなら幸せになれると思う」


 なんの疑いもなく、実の妹みたいな存在のあたしに、幸せを心から願ってくれる。その事は、嬉しいはずなのに素直に喜べなかった。

 そもそも、まさか恋心を抱いているなんて知るわけもないんでしょ? 告白を躊躇ってるうちに、最愛の人と結婚されたら、今さら言い出せなるわけもなく……。吐き出せないまま、この想いは消えることなく、あたしの胸の中にいつまでも居座ってる。


 こんな気持ちを引きずって、幸せになんて、なれないよ。多分、誰が相手でもあたしの気持ちは同じ。きっと、隆太郎お兄ちゃんと比べてしまう。それにさ、相手はよく知らない人だし。ちゃんと上手くやっていけるか自信がない。

高等女学校を卒業する頃に結婚するなんて、珍しい話じゃないけど、実際に自分の身にふりかかると、これで一生を共にする人が決まってしまうなんて、やっぱり早いでしょ?


 だけど。そんなのことを隆太郎お兄ちゃんに言っても仕方ないし、今の関係も、何もかも全部壊してしまいそうで怖くて言えそうになかった……。



「樹は反対してるかもしれないね。でも本当は、彼となら桜ちゃんを幸せにしてくれると、信じてると思うよ」



 確信に満ちた顔で、優しく隆太郎お兄ちゃんは笑った。どうして、そんな事を念を押すの。





☆☆



お見合いの当日、朝から手が焼けたのは妹の楓だった。

普段は着ない余所行き晴れ着を着て、大事に保管してある簪を頭に刺す。口紅もした。飾られたいつもと違うあたしに、楓は「いいなぁ。いいなぁ」とお人形を抱えてただをこねている。もうすぐ、母と兄とあたしは出かけるから楓は置いてけぼりにされるのも、不服らしくご機嫌ななめ。

お隣さんに預ずかってもらうと、泣いてる声が響く閉められた扉を背に、兄はやれやれと肩を回す。しばらく肩車をしていたのが堪えたみたい。


お疲れ様とは言ったものの、あたしには内心余裕はなかった。相手はどんな人なのか、写真を見ただけじゃ分からない。ていうか、写真もあまり見なかった。



 座布団の上に座って、口数の少ない健気で可憐な娘のように装うべく、あたしは一度だけ目を合わせて恥ずかしそうに笑って見せて、それからひたすら真下の畳だけを見つめた。

 時たま、湯呑みに入ったお茶を一口。


 ……こんな感じに振る舞えば、可愛く見えるのかな?

 親同士で盛り上がって長引くこの会に、早く終われと念じる。実は正座してた足まで痺れてきた。

 目を合わす気にもなれない相手の男の人は、好青年の如く親の会話に入っては笑ってる声がする。


 なんとなく。なんとなくだけど、盛り上がる会話の中で正面から視線を向けられた気がして、ほんの少しだけ顔をあげると、その人があたしに不機嫌そうに睨んでた。誰にも気づかれないくらいの一瞬だったけど、多分、見間違えじゃない。気に触る事は言ってないはずなのに。むしろ、ほとんどしゃべらないくらいなのに。なんで、怒られてるのか分からない。


 



 相手のご両親からたまに話しかけられて、返事は「えぇ」とか短めに答え、控えめさを出す。本来のあたしには似合わない言葉を使う。これまた自分でも誰か疑いたくなるようなお淑やかなお嬢さんを完璧にこなして、やり過ごした。貼り付けた仮面で、趣味は刺繍なんて言っちゃったり。


「それから、百人一首も」


 本当を一つだけ混ぜておく。親戚で集まった時に、頑張って覚えた謡を読み手が読み上げた時に、下の句がすぐに分かって、取ることができた。それがなんだか嬉しかった。


「存じておりますよ」

 

 見合い相手の男の人はそう言って、再びにこやかに好青年の笑顔をあたしに向けた。


「あの時、桜さんはとても楽しそうでしたね」

「え……どう……」


 して……?

 あの時、この人は居た? すっかり覚えのないあたしは、うっかり失礼な事を言いかけて、閉じなくなった口を慌てて手で隠して、微笑んで曖昧に誤魔化した。

 四人くらいで遊んでたけど、その中には居なかったのは確か。居たら、いくらなんでもあたしだって覚えてるもの。隣の組で遊んでた親戚の中にいたのかな。……だけど、やっぱりこの人に見覚えなんてないのに。あっちは、覚えてるの?


 そんなあたしを見て、この男の人はその日を思い出したのかくすりと笑った。




 そして、やっとお見合いが終わって、あたしは家に着くなり、刺した簪をすくっと抜く。次にお母さんの気合が込められ、きつく絞められた帯を解いて、滅多に着ない一段と綺麗な着物を脱ぎ捨てた。……一応、お母さんがこんなの見たら卒倒するから、着物は綺麗に掛け直して置くけど。


 室内着の浴衣に着替えて、長い髪を緩めの三つ編みにすると、大の字になって寝っ転がった。やっとこれで、一息つける。


 

 だらしないこの姿は、隆太郎お兄ちゃんになんてとても見せられない。本当は、もっとありのままにいられたら良いのに、似合わないことをしてたのは、お見合いの席はともかく、隆太郎お兄ちゃんの前だってそうだった。


もし結婚する相手が選べるなら、背伸びをしないでも居られる人がいいって誰が言ってたっけ。








☆☆



 精一杯つくろったお見合いの日から、早二週間。

 誰が戸を叩く音がして、お母さんが玄関に出た。そう言えば、今日はお客様が来るから、普段着じゃなくて、しっかりした服装で居なさいと言われてた。一応恥ずかしくないように、普段、女学校に通う時の袴姿で、いつでも挨拶できるように待機している。お客様が誰かは、聞いたけど教えては貰えなかった。来てからのお楽しみなんて言われたら、悪い予感しかしない。


 奥の部屋からコタツに入りながら玄関先の音を探ると、妙に盛り上がってる嬉しそうなお母さんの声がした。でも、訪問者の声が聞こえず、誰かまでは分からない。



「桜、こっちにいらっしゃい」


 ほら来た。お母さんからのお呼び出し。コタツからえいっと一息で出ると、なんとか温い魔の世界から脱出に成功できた。



「誠司くんがお見えよ」

 

 セイジ……? 誰だっけ? 聞き覚えがあると思っているのに、思い出せないまま玄関先に着いてしまった。

 それでやっと思い出した。


「あっ」


 山城 誠司。お見合いで顔を合わせた、あたしの結婚相手。そう言えば、そんな名前だったっけ。縁談の話が嫌で記憶から無意識に消してた。……なんてね。


「こんにちは、桜さん」


 それはそうと。なんで。どうして、居るの?

頭が追いつかない。


「お母さん! 今日はお客様が来るって……」

「来てるでしょ?」

「……えっ!お客様って、もしかして」

「桜さん、お誘いに来たんです。一緒に出掛けてくれませんか?」


 にっこりとさやわかに笑った顔が、どこか嘘くさい。なのに断りにくくさせるのは、なぜなのだろう。絶対わざとだ。分かっててやってる。


「行ってきなさい。桜」


 怯んだあたしに、お母さんは圧力をかけた。何故か羽織物と手提げまで用意されてて、それらを押し付けられたかと思ったら、今度はあいつに手を引っ張られる。あっ、という間の出来事で、気づいたら敷地の外まで飛びださせられてた。

閉まる戸の隙間から、目の端で捉えたのは、お母さんが行ってらっしゃいと、小さく手を振っている姿。

 ええぇ、なっ、な、なによこれ!お母さんの裏切り者ぉ!

 


「残念でした」


 敗北感で項垂れたあたしに、無下な言葉を放つ。思わず顔をあげると、あいつは悪戯に満足する子供みたいに楽しげに笑う。

 あぁ、そうよ。その顔。あたしが、好青年笑顔が胡散臭いって思う理由は、こっちの顔の方がこいつの本性だと、薄々感じてたから。絶対にあの笑顔は接待用の顔だと思ってた。


「……なによ、良い顔しちゃって!」

「そっちこそ先日は、喋らないし動かないから、日本人形かと思ったよ」

「……っ!」


 あたし自身が嫌いに思ってる部分をつかれて、どうもこうも、仲良くなんてなれそうにない。本当は、少しくらい"お淑やか"に振る舞わないとお母さんに小言を言われる気がしたけど、相手も素で通すもんだから、つい釣られてしまった。



「お見合いの席では、えらく大人しかったですね」

「そ、それは親に言われてたから……」

「堅苦しいのは、俺も好きじゃない。今日は親達も居ないし、いつも通りで居てくれれば良いよ」


 そして、そのままあいつは歩き出す。まるで行き先が決まってるみたいに。いろいろ諦めて、しょうがなく後ろを着いていく。


「ねぇ、何処へ行く気なの?」

「銀座」

「え、どうしてそこに…….」

「百貨店に行ってみたいんだろ?」

「……っ」



 なんであんたが知ってるのよって、言ってやりたかったけど、そんなの決まってる。どうせお母さんが味方して、情報を提供したんでしょ。


「この前、友達と行きたいってお父さんにお願いした時は、反対されたのに。なんで、急に許可するのよ。意味わかんない!」

「"くれぐれもよろしくお願いします"って俺となら快く許可してくれたよ。ーーというわけで今日一日、娘さんを丁重にお預かりしました」


 言いながら、また好青年笑顔を向けた。丁重ね? すごく強引だったと思うけど。……本当に調子狂う。

 いつかは夫婦になる相手だもの、あたし達が仲良くなってもなんの問題なんてないからね。そういうことなんでしょ。


「お母さんの馬鹿」


 唇を尖らせると、やっぱりあたしの反応を愉しむように可笑しそうにする。それに、当たり前のように名前を呼びつけにして来るし。



 


 そんなわけで、お父さんとお母さんとしか行ったことのない銀座に、どういうわけかこの人と一緒に行っちゃったわけです。ここからの行き方は、しっかり調べていたみたいで、乗り換えとか、時たま手書きの紙を見て、すぐに「こっち」って時たま手を引かれては、あたしが抵抗する前にあいつはすぐに離し、程よい速さであたしの少し前を歩いている。着くまでの間は、話しかけられても意地が悪いことばっかり言うから、嫌になってしまう。


 帰りは"丁重に"とあたしの親と約束した通り、家まで送り届けてくれた。玄関先で「少し遅くなってしまって申し訳ありません」と、あいつはお母さんに帽子を取って一礼をする。……そういう所を見ると、なんだかんだと、根は真面目なのかなって、なんとなく思った。カッコイイとかそういうわけじゃないけど。


「そうだ。忘れてた」


 がさごそと何かを探るようにして、ポケットから取り出すと、あたしの手のひらを開かせる。その開いた手に、綺麗な紅いリボンをいつの間に買ったのか知らないけど、しっかりとのせて、こう付け加えた。


 "今度俺と出かける時は、これを頭につけて俺に見せて" ーーと。


 冬の夜は早い。真っ暗になった夜空を背にして、らしくない顔をしてた。なんの嫌味もなく素直で、それから優しそうな目をするなんて思いもしなかった。


 そんな顔を見せるからつい驚いてしまい、何も言葉が出ないままで居ると、あいつはすぐに帰って行った。

 姿が見えなくなってから気づいたけど、どさくさに紛れてまた会う約束を取り付けられてしまうなんて。


 それにね、紅と桃色はあたしの好きな色だった。何で知ってるのかなんて、聞くまでもない。……お母さんが、隣で笑わないように耐えているんだもん。ついでに、「あらあら。いい人じゃないの」ってわざとらしく言ってくる。




 

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