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親友の背中

 ムナランヤに近づくに連れ、そこはかとない剣呑さを強く感じるようになった。まだ小さく見える都市壁から、どす黒いオーラが溢れているように見えた。何の根拠もない話なのだが、ある程度近づいた時、前を行くイヨナさまが、フードのなかでごそごそとしきりに耳を動かしているのを見て確信に変わった。私はイヨナさまの隣に並び、


「何か聞こえますか」


 と、小声で尋ねた。


「いいえ。ただ、なんとなく、嫌な予感がして」


 イヨナさまの前に座るアルリは良くわからないと首を傾げている。

 戦士は戦場では命をかけて戦う。だから自ずと危険や異変を、予感という形で察知することができるようになる。虫の知らせとか野生の勘とか、いろいろ呼び方はあるが、歴戦の猛者になればなるほど、その能力は高まっていくようだ。ただイヨナさまは歴戦の猛者どころか、まともに戦ったことすらない。なのに私と同等の勘を手にしているのは、やはり獣憑きの副産物なのだろうか。


 警戒しつつさらに壁に近づくと、確信は現実へと変わった。


「あれは……」


 都市を外敵から守る都市壁。その前にずらりと並んでいるのはムナランヤの兵士たちだった。


「まさか、エイズルからすでに情報が伝わっているのか?」


 しかしたった三人を捕らえるために用意されるような数ではない。例えば、大規模な盗賊団に差し向けるための討伐軍、あるいは都市間の小競り合いのために編成された防衛軍。そういう度合いだ。


「いったい何事だ」


 ここまでに立ち寄った街や駅で、軍備を整えていた場所はなかった。

 ふと、先導するロインの背中を見て私は考える。まさか本当に第一皇子が謀反を企んでいるのか? イヨナさまの捕縛が目的ではないのなら、私たちの障害にはなりえないだろうが、あまり争いごとにイヨナさまを巻き込みたくない。軍団の背後には都市門があるが、別の門まで迂回するべきだ。


「ロイン、迂回するぞ」


 ゆらりゆらりとラクダに揺られる親友の背中に声をかける。すると奴は振り返って、


「あれか? あれなら大丈夫だ」


 と、言った。


「大丈夫とはどういう意味だ?」

「言葉通りの意味さ。なあに、今にわかる」


 ロインは得意げに笑って、また前を向いた。

 そうこうしているうちに、軍団が目の前に迫る。もう、相対していると言っても良い距離だ。流石にどのような場合であっても不用意に近づくべきではないと判断し、私はイヨナさまたちの前に出てふたりを制止した。


 しかしロインはラクダの足を止めなかった。


 私たちが停まったのに気づいていないのか? いいや、そんなはずはない。


 離れていく親友の背中を、一抹の不安を感じながら私は見守った。そして先程のやり取りを思い出す。ロインは、こうなることを知っていたかような口ぶりだった。もしも予想外な出来事だったとすれば、切り抜ける自信があったとしても、多少の動揺を見せるはずだ。


 一度も振り返ることなくロインが軍団の前に到着すると、突如軍団が道を作るようにふたつに割れ、兵士たちのなかから指揮官らしき人物が現れた。肌の色が濃い。現地の協力者だろうか。指揮官は、ロインと何か話をすると、振り返って軍団に支持を出した。


「ジ、ジルッ!」


 何を聞いたのか、イヨナさまが驚愕に満ちた声色で私の名を呼んだ。すぐに引き返せば良かったのだろうか。いいや、とても間に合わないし、あれだけの軍勢に追われては心身ともに長くは持たないだろう。


 私は顔を歪めて睨みつける。


 背中を見せる親友が、再び私と目を合わせる頃には、軍団はすでに我々の包囲を完了していた。


「ロイン! 貴様……」

「悪いな、ジルバラート。俺はお前を過小評価したりしないぜ。こうでもしないとお前は止められないからな」


 裏切り者はにやけ面で続ける。


「ああそうだ、お前には貸しがあったな。それを今、返してくれないか」


 そう言い捨てて、ロインは兵士たちのなかに消えていった。


「イ、イヨナさん」「アルリ、大丈夫ですよ」


 後ろで不安がるイヨナさまとアルリの声が聞こえた。


 あえなく、私たちは兵士たちに囚われることとなった。










 ムナランヤは海沿いの大きな都市だ。相変わらず気温は高いが海風が心地良くて、日陰であれば存外過ごしやすい。それは地下牢であっても同じだ。むしろ五月蝿いくらいの陽の光が届かないここは、海の底のように薄暗く静かだ。これでふかふかのベッドと美味い食事でもあれば、ひと月でも滞在したいところ。だが、そうも言っていられない。


「姫さまをお救いしなければ……」


 この旅で初めて、私はイヨナさまの傍を離れてしまっていた。


 牢の造りは強固。地下なので壁を蹴破ることはできないし、格子の四辺は地面、壁、天井に埋め込まれている。唯一の出口は格子にあるが、錠前でガッチリと施錠されている。周囲には看守がひとり、奥のテーブルにいるが物音が聞こえないところをみると、居眠りをしているのではないだろうか。


 看守はきっと鍵を持っているはず。なんとかして奪うことができれば……いや、なんとかして奪わなければ脱出は不可能だ。

 幸い看守は眠りこけている。喚き立てれば飛び起きて様子を見に駆け寄ってくるだろう。その時に格子越しに捕らえられるものはないか、私は狭い牢屋内を見渡した。


 流石に使えそうなものは何もないな。


 私は溜め息をひとつ吐いて、チェインメイルの代わりに着せられたボロの上着を脱いだ。そして紐になるように破り、二重にして捻った。こうすることで綱のように強度を高めることができるからだ。


 今がひとりで良かったかもしれない。騒ぎを起こすためとはいえ、情けない声を女性に聞かれたくはない。


「うわああぁぁぁぁぁあ! なんだおまえ! たっ、助けてくれえええぇ」


 ついでに手枷を格子にぶつけて派手な音を鳴らす。

 するとすぐに看守が目を覚ましてこちらに駆け寄ってきた。壁際に隠れて待ち伏せる。そしてタイミング良く腕を伸ばして看守の首にボロ布を引っ掛けた。


「うぐぁあがあぁ」


 声にならない声を上げて、男は悶絶する。泡を吹いて気絶したのを確認すると、私は男の身体を探り、手枷と牢の鍵を入手した。


「意外と上手くいったな」


 急いで看守と自分の服を入れ替え、牢にぶち込んでから、私はイヨナさまのもとへ急いだ。

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