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短編集

罪とワタシ

 これはワタシの答だが―――貴方がもし。この問いを投げかけられたならば。

 月明かりが窓より差し込み、この部屋を静かに照らしている。書物を黙読するワタシに、声はとつぜん掛けられた。

「ねえ、先生。どうして人を殺しては、いけないのかな」

 窓枠に腰を掛けた彼が、ワタシに問うてきたのだ。月明かりに照らされた彼の表情は、相も変わらず憂いに満ちていた。

「どうしたんだい、いきなりそんな事を尋ねてきて」

 それは質問そのものに投げられた疑問ではない。彼はいつも突然、脈絡なく何かを問うてくる。こちらの真髄を理解しようとしているのか、或いは何かを知りたいのか。

 ワタシは書物を閉じ、彼を見据えた。

 さて、何かを問うてくる、とは言ったが、ワタシは特別記憶力の良い方ではなく、今までにどんな質問をされてきたか。それは最早鮮明には覚えていない。だがどの質問も複雑怪奇という訳ではなく、見方を変えればそれは誰しもが思う当たり前の事……だった筈だ。

「以前僕は先生に、『どうして皆、人殺しをしないのか』という質問を投げたけれども、先生はその時の事を覚えてる?」

「ん……」

 ワタシは曖昧な返事をした。

 ワタシは記憶力はそれ程良くはなく、知性もそれ程優れている訳ではない。

 そんなワタシだが、その少年の問い……この場合は、『どうして皆、人殺しをしないのか』という話をした時の事だけれども……それだけはどうにか鮮明に思い出せた。

 曖昧な返事をしたのは、果たしてあれが答えなのか。自分でも疑問に思っただけだ。あんなものを答えと言ってしまってよいのだろうか。あれは確かにワタシの解答。ワタシの解答で間違いはないが、社会の解答ではない。

 まあ、この少年からすれば、ワタシもまた社会の一部。何でも良いのだろう。それが確かに心で紡ぎだされた答えならば。

「あの時の答え……からさ、少し考え方を変えてみたんだ。確かに、先生の言う通り『何も利益が無く、損失しかないが故に、人殺しはされない』っていうのは、それ程間違ってないのかもしれない。それでも殺人が世に横行するのは、『ついカッとなった』とか、『脅された』とか、或いは『死に際の表情が面白いから』とか。何でもいい。どんな理由でもいい。只その瞬間、それが損失を上回る理由りえきとなったからだ』というのも間違ってないのかもしれない。でも、それじゃ説明がつかない事態だってあると思うんだよ」

「ふむ。つまり君はこう言いたいのかな。『人が人殺しをしない理由』は腑に落ちた。でも、それは『人殺しをしてはいけない理由』を説明するモノにはならない、と」

 彼は頷いて見せる。それが最初の問いにつながるという訳か。

 成程、それは確かに考える余地がある疑問だ。『人殺しをしない理由』はさておいて、『人殺しをしてはいけない理由』とは何なのか。

 ワタシ達は幼少の頃に悪い事をしてはいけないと教わったはずだ……何故?

 誰かはこう答えた。『警察に捕まるから』。

 それはある意味正しいが、今一度よく考えてみてほしい。それは『しない』理由であり、『してはいけない理由』ではないのではないか? だってそれは、『捕まってもいい』と思えるなら、抑止力になり得ないのだから。『してはいけない』というのは即ち、戒め。抑止力たり得なければいけないものだ。

 また、誰かはこう答えた。『死んだ後に地獄に落ちるから』。

 現実的ではないし、幼少の頃は確かに抑止力とはなるだろうが、年を重ねるにつれてそれは無力になる。

 それは永久的な抑止力でなければならない。『してはいけない』というのは、そういう事だ。

 『法律を犯すから』? 『人として間違っているから』? 『そういうものだから』? あるいは『誰しも殺される事は望んでいないから。自分すら望んでいない事を相手にしてはいけないから』? それとも『取り返しがつかないから』?

 ここで言っておきたいが、ワタシはそれら全てを、絶対に間違っているとは言い切れないし、そもそも間違っているとは思わない。おそらくそんな答えは狙わなければ、在り得ない。答えは無限であり、これら全てもまた答え。個人がどう答えを背負おうと勝手だ。

 1+1が2だなんて、それが世界全ての基準だなんて誰が決めた? それは人間の基準であり、他の何かからすれば違うかもしれない。絶対不変の摂理こそあれど、絶対不変の答えは無し。

 しかしながら、それでは彼を納得させる事は出来ない。彼はおよそ共感たり得る答えを求めてはいない。大して頭も捻らずに、どこかの教授の言葉を引用したかのような薄っぺらい言葉では、彼は納得しない。それは飽くまで借りものだから。

 自我同一性の確立―――自分とは何者なのか、何処へ行き、何をするのか―――というものがあるように。このような『およそ答えを一つとは言い難い問』に対しての答え。それの確立もまた、個人には必要な事だろう。

 確かに、最初は誰しも借り物だ。だが第二の誕生という言葉があるように、いつかは『自分こたえ』を確かに持たなければならない。彼はそれが、見たいのだろう。

 ……さて。

 答えは無限とは言うモノの、それでも尚、只一つの確かな答えを求めるのはワタシの悪い癖だ。ちょっとひねくれたようなそんな答えが多い気もするが、それがワタシの答えであり、今まで彼は納得してきた。

 今回もきっと、それを求めている。

「私自身、神様ではないのでね。論破すらできないような答えを提示する事は少々難しい。でも―――そうだな、私は君に『孤独になるから』という言葉を贈ろう」

 沈黙する彼。私は続けてそれを語る。

「これに対しての答えは多くあるだろう。その中でも好感を得られる答えは多くあるだろう。それこそ、自分がされたくない事は他人にもするな、に合わせるとかね。『されてもいい』と反対に返した所で、それは『されたい』ではないからね。これもまた一つの答えだ。では、私は何故『孤独になるから』だと言ったか。至極簡単な話だよ。人は絶対に永久的な孤独を容認できないからだ」

 それがどんな規模での答えなのかは良くわかっている。

 だからこそ慎重に、言葉は選ぶ。

「しない理由を含めない体で言うけど。してはいけない抑止力が無くなって、皆が皆を進んで殺すのならば、人類は間違いなく滅ぶだろう。間違っても類とは呼べないほどにね。そうなった時、最後に残るは必ず一人、或いはゼロ人だ。だけど、考えてみてほしい。ゼロ人っていうのは、孤独じゃないよね。皆、死ぬ。つまり皆同じな訳だ。最後に残る一人は、きっと絶望して自殺をするだろう事は想像に難くないけど―――ねえ、自分だけ生き残って喜んでいる奴はいるかい? 大切なモノ、守りたいもの。全部が全部なくなって、自分だけが只在って。それを喜ぶ人が果たしているだろうか。進んで殺したいという体を含めるなら殺すモノが無くなる訳だけど、それを嬉しく思うだろうか。生きているだけ儲けもの、とは言うけれど、『生きている事しかできない』ってのも中々辛いんじゃないかな。少なくとも私は、『生きている事しかできない』なら死を選ぶね」

 永遠のくつう一瞬えいえんの死か。どちらを取るかは言うまでもない。

「前述したように、自分が死んだその時点で、人類は死ぬ。人類には皆『死』の状態がついて回る。そこには孤独が無い。孤独じゃない。どんな状態であれそれは皆と一緒だ。人が手を取り合って生きていくのは、そうしないと生きていけないからであり、只一人だけが生きているのは、『生きている』とは言えない。そして手を取り合ってでしか生きていけないという事は、孤独を容認できない、という事。精神的な孤独はあるだろう。肉親が居ないとかで……いわゆる、天涯孤独だけど……でも肉体的に孤独じゃないだろう?」

 精神的な孤独は度を越せば自殺へと移行するが、何でもない他人が、そいつの心を救ったケースはある。肉体的に孤独でない限りは、それは孤独とは言えないのだ。

「話が逸れそうだからもとに戻すけど、『人類』という言葉にもあるように、人は集団を作らなきゃいけないんだ。それは人として生まれた以上は、確かに在る。人のルールってやつだ。するしないではなく、そもそも人という枠組みに入った時点で生まれる秩序。これはしないとかしてはいけない以前に、破れないものだ。そう考えれば、人が孤独を容認できない、というのも納得がいくと思う。人は『そういうもの』だから。たとえ法を守らず、命を尊重せず、只悦楽の為だけに殺すような奴が居たとしても、そいつはきっと孤独を容認できない。その喜びを分かち合う奴もいなくなるし、殺せる奴が居なくなるし、背けるものが無くなるから。孤独ってのは無なんだよ。だから言い換えれば、人は無を容認できない。無から有を作ることは出来ないが、有から無を作ってはいけない。何もかも消えちまえばいいなんて奴は視野が狭いだけだ。その行為が成功したとしてどれだけ自分が苦しむか分かっていないだけだ」

「―――先生はもし。居もしない配偶者と子供を作った時、そんなふうに答えるんだ?」

 中々失礼な発言だが、ワタシは気にしないで首を振った。

「子供には、きっとこう言うだろう。『悪い事だから』と。そして年を重ねて再び問うてくるなら、こう言うだろう。『法に背きたい』から殺す。『たのしいから』殺す。『ついカッとなって』殺した。いろんな理由で殺人は行われるけど、でも何処にも―――『孤独になりたい奴はいない。人殺しを容認してしまえば、いつか『人』は孤独になってしまうから』ってね。法とか、人としての道徳とか、この際どうでもいい。人は手を取り合って生きていくことを決定づけられた生き物だから。人は自分で、自分は人だから。誰かを殺せば自分は手を取り合えないから。孤独になってしまうから。だから殺してはいけないって、私はそう教えるよ―――ねえ。君は孤独になりたいかい?」

 彼はその表情を少し歪めて、苦痛に耐えるような面持ちで答えた。

「………………人を殺したい気持ちとかは理解できないけれど、孤独になりたくないという気持ちは理解できる、ね。僕は先生が好きだから、たとえどんな事があったとしても、僕は先生とだけは関わっていたい、かな。生きている事しかできないなら、僕だってやっぱり死を選ぶと思う」

 どんな人間も。どんな糞野郎も。誰かとは関わっていたい。生きている事しかできないくらいならば死ぬ。生きている事以外の事をやるのは、今までの文明の遺物を使えば確かに出来るだろうけど、でも結局、孤独は孤独。楽しい事とは思えまい。

 誰とも何も分かち合えない。そもそも何もない。それが如何に辛い事なのかは……説明せずとも分かるはずだ。

「……納得。行ったかい」

「うん」

「……そうか」

 ワタシはそれだけ言うと、横にあった寝台に腰を下ろして、体を倒した。

「今日はもう遅い。自分の部屋に戻って休むといい」

 寝台には眠りを誘う力がある。ワタシの言葉に促され、彼が部屋を出て行った後ワタシの意識は忽ちの内に刈り取られた。

 闇夜を照らす月明かり。

 一日はこうして終わりを迎える。


 

短編です。ちょっと哲学的な事を考えてみた。ショートショートという扱いでまた投稿するかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[一言] このような題材は色々考えさせられますね。個人的な意見は社会にとって不都合だから、とよくある一般論のひとつを支持していますが、「孤独になるから」というのは独特ですね。たしかに最終的にはそこに帰…
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