表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

2.鬼の初めての恋


 フウライ国の王都、その目抜通りには様々な店が建ち並び、まだ午前中にも拘わらず多くの人々が行き交う。店主達の呼び込みの声や、買い物客が値切ろうとする声など、雑多な賑わいを見せていた。



「らっしゃい、らっしゃい! 今日は特売日、店内全て大安売りだよ!」


 ここはその通りの中ほどにある、食料品から小物類まで商う雑貨屋。そこの店主が、声を張り上げ客引きを行っていたのだ。

 すると、その店先に大きな影が差し掛かる。店主が、「おやっ、雨でも降りそうかな」と呟き、表へ目を向けた。

 だが、次の瞬間には「ひぇぇ」と小さな悲鳴を上げることとなった。

 それもそのはず、店先の出入り口を巌かと思うほどの大男が塞いでいたのだ。

 雑貨を商うだけあって、店はそれほどの大きさは無い。成人男性が両手を広げたぐらいの間口。店内も両側の棚に雑多な品物がところ狭しと並べられ、大人がやっとこさ通れるほどの狭さである。

 そこに、頭を屈めなければ入れぬほどの大男が、店の中に入って来ようとしているのだ。両方の壁際にある棚などは、今にも潰されそうに見える。

 その大男は顔中が髭だらけ、吊り上がるまなこを爛々と光らせていた。しかも、背後から差し込む陽光を浴びて、その髪の毛が燃え立つように赤く輝き、見るからに恐ろしげであるのだ。


「あわわわ、あ、赤鬼様……」


「ん、店主?」


「あひいぃ……も、も、も、申し訳、ご、ございません」


 そう、この大男こそ、近隣諸国にまで『フウライの赤鬼』と呼ばれ、その名を轟かすモルガン・オーギュントその人である。

 当然、赤鬼とはその恐ろしげな容姿から付けられた渾名であり、どちらかといえばモルガンを卑下するものだ。王都内では夜な夜な赤子を拐っては、笑いながら喰っているなどといった、ありもしない噂と共に語られる渾名なのである。

 その渾名を、店主は本人を目の前にして、狼狽えるあまり思わず口走ってしまったのだ。店主の慌てようが、どのようなものか分かるというものである。


 ――ひぃ、喰われる。


 などと内心で慌て、この小さな店などは忽ち打ち壊されてしまうと思ったのだ。


「ど、どうか、お許しを……」


 店主は背中に脂汗をかき、涙ながらに土下座をせんばかりである。


 そんな店主に呆れつつ、モルガンは盛大なため息をこぼす。

 それを見た店主が、また勘違いして狼狽える。


「ひいぃ! あわわわ……」


「いい加減にせんか、別に取って喰おうという訳ではない」


 モルガンのその言葉すらさえも、狼狽える店主には――お前など、喰ってしまうぞと聞こえるしまつ。

 今では体を震わせ涙を流し、床に土下座する店主である。


 ――いつもの事ながら、本当に困ったものだ。


 その様子に、つくづくと呆れ返り、今度は、そっとため息をつくモルガンであった。



 モルガンが、店主をようやくの事で宥めすかし、幾ばくかの焼き菓子を買い求めて店を後にした時には、既に昼近くになっていた。

 モルガンが立ち去った後、雑貨屋の主などは「今日は厄日だ」と呆けた様子で呟き、店を閉めてしまう始末。それを見た周りの店の主や客が、「赤鬼様だ、くわばらくわばら」と噂し、赤鬼様が店先で暴れたと尾ひれの付いた噂が広まるのである。


 万事がこの有り様。本来は、そのいくさでの豪勇ぶりから、勇士よ、英雄よと褒め称えらても良い立場であるのに、自国の民からも鬼の取り替えっ子、赤鬼様と呼ばれる始末なのである。

 中には、駄々を捏ねる子供に、「そんな事ばかりしてると赤鬼様が食べに来るよ」と、親が言い聞かせるほど。王都内では、泣く子も黙ると言われる赤鬼様。

 それが、モルガン・オーギュントの王都内での評である。


 王都民のそんな様子に辟易するモルガンは、最近はもっぱら出歩くのも億劫になり、屋敷内にて心身の鍛練にいそしむのを常としていた。


 そもそも、モルガンがこのような姿になったのは、オーギュント家の秘術に由来する。

 オーギュント家では代々、産まれた赤子には『経拓の儀』と呼ばれる秘術を施す。それはオーギュントの一族が行う『易筋行』、体内を巡る気を扱う技を習得するために施す儀式。経絡と呼ばれる気の通り道を開く秘術なのだ。

 通常の人は、気の通り道である経絡は閉ざされている。体内に気を巡らし得られる力、それは時には己れの体すら壊す程の力。本来は命の危険を感じた時に、時折発揮される、所謂いわゆる火事場の馬鹿力と呼ばれるもの。それを、平常時にも体内に巡らせ行う秘技の数々を、オーギュント家では代々受け継いでいるのだ。

 しかし、モルガンの場合は元々が素質があったのか、或いは代々に受け継がれる間に色濃く出てしまったのか、父親の施した秘術によって、赤子の時から一族の誰よりも、多くの気を扱う事が出来るようになっていた。その影響で、とても人とは思えぬ成長を見せたのだ。

 最初こそ、その成長ぶりに両親や一族の者も喜んでいたが、歳を経るにつれ、その尋常ではない成長に蒼褪め、今では頭を抱える程になっていた。


 ――これでは、嫁の来てが無い。


 それが両親の心配事であり、オーギュント家に連なる一族の者達も、このままでは本家の血筋が絶えると、困惑の度合いを強めていた。


 モルガンは既に、三十に手が届こうかという歳。しかも、オーギュント本家ただ一人の嫡男。

 貴族に於いては、血筋を絶やさぬ事が重要である。だから、一家の後継者でもある嫡男は、二十、遅くても二十五歳までには嫁を貰うのが、貴族の通例なのである。

 だが、赤鬼と噂されるモルガンには、どこの貴族も娘が壊されてしまうと、嫁に出そうとはしないのだ。中には、武勇の誉れも高いオーギュント家と姻戚を結ぼうとする貴族家もあるにはあったのだが、当の娘が泣いて嫌がり生き死にの騒ぎを起こす娘までいるほど。だから、そういった貴族家も断念せざるえない状況なのだ。

 それ故に、後少しで三十になろうかとするにも拘わらず、未だ一向に婚儀が整わぬモルガンである。


 そんな両親や一族の悩みを余所に、当のモルガンは生来ののん気者。婚儀など、どこ吹く風とばかりに、のほほんと日々を過ごしていた。


 しかしそれも、ここ最近は、少しその趣を違えていたのだ。

 今も、道行く人々がモルガンを見掛け、まるで猛獣にでも出くわしたかに慌てて避けようとする中、それを気にする訳も無く、近くにある天水桶の傍らに呆けた様子で佇んでいた。


 天水桶とは、通りの要所に置かれた防火用水を溜めた桶の事である。

 その防火用水の水面に映る己れの姿を、繁々と眺めてため息をついているのだ。


 ――目と鼻、口も普通に付いてる。他の者と何も変わらぬ。皆が言うほど、それほど可笑しいとは思わぬが……ふむ、髭を当たれば、もそっと見映えも良くなろうか?


 産まれてからこの方、人の陰口には馴れていた。それに、武に関して以外の日常では、生まれついての性格でもあるのんびりとした性格が幸いしてか、余り人の目を気にしないようにしてきたモルガンである。

 それが、ここ最近はモルガンにしては珍しくも、自分の容姿を気にしているのだ。


 その理由は、ここのところ、毎日のように足繁く通う場所にある。今日も、その場所へと向かう途中であったのだ。

 その場所とは、国が管轄運営する孤児院だった。

 別に、孤児院に興味があった訳ではない。それは本当に、たまたまであったのだ。

 先日、凶賊を捕縛しようとしていた治安局に、ある理由から協力した事があった。その際、拐われていた孤児院の子供達を保護したのである。

 その事もあり、最初は何気なく孤児院に顔を出したのが始まりだった。

 そして、そこの孤児院にいたのが、アディの愛称で呼ばれる侯爵家の令嬢、アドリアナ様だったのだ。

 モルガンが触れれば壊れてしまいそうな、ほっそりとした体つき。人形かのように整った顔もさることながら、長く伸ばした白銀の髪を輝かせて佇む姿は、この世のものとは思えぬ清楚な美しさを漂わせていた。

 まるで、そう、このフウライ国の国花でもある白百合のような女性だと、モルガンは感じたのだ。

 白百合の花言葉は『純潔』である。それを、体現したかのようなアドリアナ。

 侯爵家の令嬢アドリアナを初めて目にした時には、モルガンは雷に打たれたかの如く魅了されてしまったのだ。それは、恋愛感情とは無縁に過ごしてきたモルガンにとっては、初めての感情だった。


 侯爵家も孤児院に出資している関係で、アドリアナも月に何度かは慰問に訪れるとの事であった。

 その何時くるかも知れぬアドリアナを、一目見ようと孤児院に通うモルガン。


 そう、それは赤鬼と呼ばれる男の、初めての恋であったのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ