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1.鬼と呼ばれし男


 陽が中天へと差し掛かる麗らかな昼下がり、王都にある主となる本通りから数本外れた、所謂、裏通りと呼ばれる場所。その一角にある、うらぶれた屋敷周辺では、辺りの長閑な風情とは裏腹に、殺伐とした雰囲気が漂っていた。

 それもそのはず、帯剣した物々しい出で立ちの治安部隊が、その屋敷を取り囲んでいたからだ。それは、昨今この王都を騒がす『凶風』と呼ばれる賊の一味が、その屋敷をねぐらにしていると通報を受けての事であった。

 『凶風』と呼ばれる集団は、押し込んだ商家を皆殺しにし金品を奪うだけでは飽きたらず、まだ頑是ない子供を拐っては人買いに売り捌く、凶悪な賊として王都内では有名だったのだ。

 だからこそ、ひとりとて逃がしてなるものかと、激した兵士達が周辺を密かに封鎖していたのである。


「おい、あの屋敷の周りは隙間なく囲んだな?」


「いえ、それが隊長……隣家の主が難色を示しまして」


 裏通りの物陰に隠れ、鋭い眼差しを屋敷へと向ける武装した兵士達。どうやら、この辺り一帯を封鎖している治安部隊の指揮官と、その部下のようである。


「隣家に凶賊が巣くってたのだぞ……馬鹿な事を!」


「それが、庭先を荒らされるのは困ると……」


「何を今更、隣に賊が隠れ潜む事に気付かず、のうのうと暮らしておった癖に……えぇい、構わぬ、その隣家の主とやらも引っ括ってしまえ!」


 部下の言葉に、慍色うんしょくも顕に口調を荒げる指揮官の男。

 だが、その時――


「それも仕方なかろう。庭先を血で汚され、その上死人でも出ようものなら、こののちも住み暮らす気にもなれまい」


 屋敷を睨み、突入の機会を窺う治安部隊の兵士達に、背後からぬぅと人影が差し掛かり、何処か長閑にさえ聞こえる声が掛けられたのだ。

 驚き振り返る兵士達だったが、そこで更にぎょっとする事になる。

 何故なら、そこには3メルは迫ろうかという巨体を誇る男が、にやりと笑い立っていたからだ。


 その男、評すなら容貌魁偉と言う他は無いだろう。

 成人男性の倍はあろうかと思われる背丈もさる事ながら、その横幅もそれに比していわおのようである。しかも、衣服に覆われていてさえも、隆々と盛り上がる筋骨が分かるほど。見た目は動く岩石である。

 そして、もっとも驚くのは巨躯もさることながら、その容貌。耳まで裂けるかに見える大きな口に、そこらに転がる石を取って付けたかのようなだんご鼻。眉尻は猛々しくも吊り上がり、その瞳は真っ赤に染まる。顔は剛毛の髭に覆われ、逆立つ赤毛の髪の毛と相まって、まるで、伝説の鬼が突然出現したかのようであった。


「ひぃ!」


 思わず微かな悲鳴を上げて、腰砕けに後ずさる兵士達。それも、致し方無いことであったろう。


「失礼なやつらだな」


 巨躯の男が、眉を寄せ苦笑いを浮かべ言い放つが、その声音には非難するような口調は混じっていない。その事から、他人から驚かれるのは日常的なことだと窺わせた。


「こ、これは……モルガン様……このような所に……」


 ようやく気を取り直した指揮官の男が、それでも恐ろしいのか、しどろもどろになりながら、絞り出すように声を発する。


「なぁに、散策中に通り掛かっただけだ」


 このモルガンと呼ばれた巨躯の男、こう見えて騎士爵を頂く貴族でもあるのだ。戦時に於いては、五百人の精鋭を率いて先陣を駆け、敵陣に斬り込む豪の者であった。

 その巨躯のモルガンが、顔を覆う髭をつるりと撫で上げ、驚くことを言ってのける。


「その隣家の庭先、なんなら俺が引き受けよう。俺ひとりが向かえば、それほど庭先を荒らすこともなく、隣家の主も文句を言うまい」


「モ、モルガン様……いや、しかし……」


 モルガンは、このフウライ国でも有名な豪勇の騎士。その申し出は、指揮官として願っても無い事であるが、モルガンの装いに言い澱んでいたのだ。

 それは散策中と言った通り、動きやすいそうであるが、貴族らしい値の張りそうな衣服に包まれるだけ。とても、武装からは程遠い装いだったからである。その上、剣どころか、寸鉄ひとつ身に帯びておらず、指揮官が困惑するのも無理の無いものだったろう。


「大丈夫だ、この俺を誰だと思ってる。たかが賊を捕まえるのに、武器などいらん。血を流さず、見事に賊を捕らえてやろう」


 そう言うと、豪快な笑い声を上げて賊が潜む屋敷の隣家へと向かう。


     ◇


 その頃、『凶風』が潜む屋敷の中では――


「親分、どうやら治安局の連中が出張って来たようですぜ」


「ちっ、誰か、馬鹿がへまをやりやがったな」


 屋敷の奥まった一室で、二人の凶相の男が額を寄せ合い相談していた。それは、ここを塒にする凶賊の頭目と小頭であった。


「まだ、完全には囲んで無いようなので、今なら囲みを破ることも……」


「良し、気の利いた者、四、五人に声を掛けろ。それ以外の者には正面から、治安局の犬っころ共に突っ込ませろ!」


「へい!」


「その隙に俺達は……構うこたあねぇ、犬っころ共を存分に斬り捨ててやらあ!」


 頭目の男が、ドスの利いた声で凄んでみせ狂気を漂わせた。




 その屋敷は、以前はそれなりに裕福な者が住んでいたのか、少し大きめの家屋であった。だからであろうか、この屋敷には五十人近い手下を抱える凶賊が、隠れ潜んでいたのだ。

 その正面玄関前、門内には既に、五十人程の武装した兵士が詰め掛け勢揃いしていた。玄関前では、扉を破壊しようと大槌を持った兵士が、突入の合図を今や遅しと待ち構えている。


「裏も固めたな!」


「はい、問題も無く」


 兵士達の配置を確認する治安部隊の指揮官。今やこの屋敷は、裏口や通りに配した者まで入れると、総勢百を越える完全武装した兵士で囲んでいるのだ。これ程の大捕物は、王都内でも滅多に有るものではない。

 一瞬、身震いした指揮官は、ちらりと隣の家を眺める。

 だが、直ぐに表情を引き締め、剣を持つ右手を高く差し上げた。

 そして、降り下ろすと同時に叫ぶ。


「突入せ……」


 しかし、その叫びは途中で、かき消えた。

 何故ならその前に、剣や槍など武器を手にした凶賊達が、喚声を上げて飛び出して来たからだ。


「この犬共め! 叩っ殺してやる!」


 扉前で大槌を構えていた兵士を突き飛ばし、怒声を周囲に放つ凶賊達。突然の事に浮き足立つ兵士達に向かって、めったやたらと武器を振り回し始めた。


「怯むな! 捕縛せよ!」


 予想外に、向こうから打って出たため乱戦となり、動揺する兵士達。それを、声を枯らして叱咤する指揮官。


「何をしている、相手はたかが賊。日頃の訓練の成果を見せる時ぞ! 抵抗する者は構わん、斬り捨てよ!」


 賊の数が思っていたより多く、最初はほぼ同数の賊達に動揺の色を見せていた兵士達。だが、それも指揮官の叱声もあり、徐々に大勢を盛り返していく。


 凶悪な賊といっても、そこは兵士達と違って、録に訓練も受けた事が無いような者達。

 長柄の先が二又に別れる刺又や捕縄などの捕縛用具に、次々と絡め捕られていく。中には膂力に任せて槍を振り回し、猛烈に暴れまわる者もいたが、そのような者には投網を投げ掛け動きを封じる。

 さすがは常日頃、無法を成す者を取り締まり、王都の治安を預かるだけの事はある。

 指揮官の男も、日頃の訓練の成果が発揮され、満足げな表情を浮かべていた。


「おい、暴れる者の中に『凶風』の頭目はいるのか」


「いえ、どうも……見当たらぬようですが」


 部下の返事に、顔をしかめる指揮官の男。


「となると……まだ屋敷内に潜んでいるか、それとも……」


 そこで言いした指揮官の男は、更に顔をしかめ険しさの増した表情で、隣家の庭の方に目を向けた。


     ◇


「親分、こっちには、兵士を回してねえようだ。やっぱり治安局の犬っころ共は間抜けだぜ」


「まだそこまで、犬っころ共を回す余裕が無かったのだろう。気付くのが早く、完全に囲まれる前で良かったぜ。だが、油断はするなよ」


 そんな会話を、声を落とし密やかに交わすのは、くだんの『凶風』の頭目と小頭である。

 彼らは表の騒ぎを余所に、屋根づたいに屋敷を抜け出すと、隣家との境にある塀を乗り越えようとしていたのだ。

 頭目と小頭の後ろには四人の配下の賊が続き、塀越しに隣の庭先に誰もいないのを確かめ、その凶悪な面相に、にやりとふてぶてしい笑いを浮かべていた。


 彼ら、『凶風』の主となる者達は、配下の者達に表で騒ぎを起こさせ、その隙に、隣家から隣家へと家づたいに囲みを突破しようとしていた。


「家の中にいる者は、全てらしちまえ! 騒がれると面倒だからな」


 隣家の庭先を走り抜ける頭目が、周りにいる配下に声を掛けた。

 家々の中に居るであろう人々を、殺しながら進もうと言うのである。

 配下の者達は、無言で頷く。中には、笑ってる者さえいた。


 殺伐とした雰囲気を漂わせる凶賊達。まさに、血に飢えた餓狼の如き集団である。


 その凶賊達が、隣の家に近付いた時であった。

 その隣家から、ふわりと巨大な影が飛び出したのだ。


「な、なんだ!」


 その巨大なものに驚く凶賊達。しかし、そこは下っ端と違って『凶風』の頭目達である。

 直ぐ様、散開して油断の無い目を、その巨大なものに向けた。だが、そこで更に驚嘆の声を上げたのだ。


「げっ、フウライの赤鬼!」


 そう、そこに居たのは伝説の鬼と見紛う巨躯の持ち主。

 戦場に於いては、その見た目と豪勇無双の振るまいから、他国の者には赤き死神フウライの赤鬼の恐れられる、モルガンその人であった。

 自国どころか近隣諸国にまで名が知れ渡っているのだ、当然、凶賊達も知っている。

 だが、幸か不幸か、彼等は凶賊故に戦場でのモルガンを知らない。噂でのみ、その姿を見知っているだけ。それに頭目達にも、血にまみれた殺伐とした裏街道を歩んできた自負がある。

 だから、普通の者なら、その巨躯に逃げ腰になるところを――


「けっ! 赤鬼だか何だか知らねえが、相手は丸腰だ! 構わねえ、っちまえ!」


 彼等の言う通り、モルガンは寸鉄を帯びずどころか、衣服すら脱ぎ捨て上半身の素肌すら晒しているのだ。


「部下は見捨てて、自分達だけは助かろうとする。所詮は、賊の類いか……」


 呆れたように言うモルガンが、その拳を握り固める。


「馬鹿め、死ねえぇ!」


 凶賊の小頭が、手に持つ刃の切っ先をモルガンに向ける。


 衣服を着ているのならまだしも、晒した素肌に刃物を突き立てるのは、粗暴な者でも意外に難しい。無意識に、柔肌に刃を突き刺すのを忌避してしまうからだ。

 だのに、この賊達は一切の躊躇いも見せずに、刃を突き立てようとする。その事からも、これまでにも幾人もの命を奪い、慣れ親しんで来たことを窺わせた。

 賊達は、にやにやと笑ってさえいるのだ。それは、今から流れるであろう血に興奮しての事である。

 そのような者達は戦場では珍しくも無く、数多く見てきたモルガン。所謂、血に酔いしれるという状態なのだ。だが、それは戦場でのこと。


 ――それを、日常にまで持ち込むとは。


 その事に眉を潜め容赦する必要も無しと、小頭の刃を軽く横に躱しながら、モルガンは判断したのだった。


「ちっ、皆で一斉に掛かれ!」


 頭目の掛け声に、賊達が剣の切っ先を前方に向け、一斉に突っ込んで来る。さすがに、『凶風』と呼ばれ恐れられる凶賊の首領格の者達。その動きは素早く、一斉に剣を連ねて突き出される刃は、命知らずの者特有の相討ち覚悟、必殺の陣と呼べるものであった。

 いかな剣の達人といえど、躱しようの無いものかに見えた。

 が、その時――


「かあぁぁぁぁぁぁ!」


 モルガンの口中より、裂帛の気合いがほとばしる。

 それと同時に――


 ――カァン、カァン!


 それは、金属が打ち合う音にも似た、乾いた音が周囲に鳴り響いたのだ。


「な、なんだとぉ……」


 賊達が、揃って驚きの声を上げる。それも、無理のないもの。

 何故なら、凶賊達の繰り出した剣をことごとく、モルガンの素肌が弾き返していたのだ。


 ずしりと腰を落としたモルガンの体の表面には、玉のような汗が浮かび上がり、まるで陽炎のようにゆらゆらと蒸発していく。そして、その肌は赤味がかった赤銅色へと、様変わりしていた。


 それは、モルガンの家に代々伝わる秘術『易筋行』。その中にある『硬気功』を使ったのだ。

 『硬気功』とは、呼吸法によって、丹田にある気を練り上げ体内の隅々まで行き渡らせ、身体を硬質化させる『金剛術』とも呼ばれる秘技であった。

 もっとも、これが業物の刀剣であり、扱う者が達人と呼ばれる人であったのであれば、モルガンも容易く弾き返すことなど出来なかったであろう。

 凶賊達は人を斬り慣れてると言っても、鍛練などもしたこともなく、達人からはほど遠い存在。しかも、扱う刀剣はなまくらに過ぎない。

 それを瞬時に見てとったモルガンが、咄嗟に『金剛術』を使ったのだ。


「ひ、ひぃ! ば、化け物だあぁぁ!」


 ここにきてようやく、凶賊達も目の前にいる巨躯の男が、まともで無いと気付いたのだ。

 だが、その時には既に遅かったのである。


――ひゅん!


 風斬り音を鳴らして、モルガンが巨体とは思えぬ速さで動く。

 まるでハンマーのような左右の拳が振り抜かれ、そばにいた二人の賊の顔を、ぐしゃりと陥没させて数十メルは転がっていく。

 その勢いのまま左脚を軸に体を回転させ、大木のような右脚の回し蹴りを炸裂させる。

 その威力は凄まじく、近くにいた小頭の首を有らぬ方にねじ曲げ、その横にいた賊も一緒に吹っ飛んでいき、隣との塀にぐちゃりとへばりつく。


「あばばばばば……」


 最後に残った頭目の男は、意味不明の喚き声を上げながら逃げ出そうとした。が、モルガンはその巨体にも関わらず、ふわりと宙に飛び上がると、頭目の頭上から襲い掛かる。


「うげえぇぇ……」


 モルガンは背丈が3メルにも迫る巨体である。それだけで、もはや凶器である。

 その巨大な岩石のような巨体が、頭目をぐしゃりと上から圧し潰したのだ。


「くふうぅぅぅぅ……」


 立ち上がったモルガンが、太く長い息を吐き出す。


 その頃になってようやく、治安部隊の指揮官が配下の者を連れて駆け付けてきた。


「モ、モルガン様、ご無事でしたか……」


 周りに転がる頭目達の惨状に目を丸くしながら、指揮官の男が背後から声を掛ける。

 だが、次の瞬間には「ひぃ」と悲鳴を上げて、腰が抜けたように後ろに尻餅をついていた。


 何故ならそれは、あまりの恐ろしさであったからだ。

 振り返ったモルガンの濡れた上半身からは陽炎のような気が漂い、暴れたりないのか体を微か震わせ、びくりびくりと脈打たせていた。

 そして何よりも、振り返ったその表情。

 憤怒と言っても言い足りぬ、まさに恐ろしげな鬼の形相だったのだ。

 だがしかし――


「本当に失礼なやつだな」


 指揮官の男に届く声は、呆れつつも、優しげな長閑のどかにさえ聞こえるものだった。


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