東都理工科大学におけるインシデント(5)
村雨春香には、今日中にやらなければならない作業がある。神崎の家を出て滝澤、相沢と別れた後、村雨はキャンパスに戻ってきた。地下で廃棄処分の時を静かに待っている 6 号気象制御モジュール。これが国際環境保全機構の手に渡る前に調べておきたいことがあった。セキュリティ解除にはかなりの時間を要するため、6 号モジュールの回収が完了するまではロボットによる簡易セキュリティのみでこの施設の安全と秘匿は守られている。このロボットの目を欺くことさえできれば、核心部に潜入することは容易である。
以前滝澤が話していたことを思い出す。
「バイオロボットっていうとなんか仰々しく聞こえるが、ようは記憶容量と思考速度を増加させた人間なんだ。だから、例えば物体認識とかフレーム問題への対処とか、従来の 情報技術で難しかった処理をロボットにやらせることが容易になった。例えば 120 年前の画像処理技術では、机とコップの区別すらつかなったんだぜ?一方で、認識系の性能、例えば視力とか聴力とかのハードウェア的な性能は人間と対して変わらない。もちろん外部クロックで強制的に処理速度を上げてる分で多少補えてはいる。けれど、意外と人間でも良くあるような『目の錯覚』みたいなものに引っかかったりするんだ。例えばある人間がバイオロボットそっくりのコスチュームを着てるとするだろ?ロボットはその人間を 70%の確率で自分らと同じロボットだと思っちまうんだ。例えばセキュリティのためのロボットだと、主に監視対象は人間だ。お前がもし警備担当ロボットだったらどうだ?ぱっと見で対象がロボットであると判断したら、その対象をそれ以上注意深く観察しようとはしないだろう?これが人間の思考過程だ。バイオロボットも、基本的にこれと同じ判断順序で動くんだ。バイオロボットは犬なら犬、猫なら猫、人間なら人間の生物としての良さを機械として使いやすくするために生まれたものだ。だからこそ、生物としての欠点も完全に消すことができないんだ。」
当時はさほど興味を持たなかったのだが、こんな所で滝澤の話が役に立つとは思ってもみなかった。村雨は今、「ぱっと見」バイオロボットの恰好をしている。滝澤は 70%の確率と言っていたが、残り 30%に当たらないかどうかは正直賭けだった。
幸い、村雨はロボットになり切ることができたようだ。専攻でトップクラスの大学院生とはいえ、地下 100 メートル下に眠る気象制御モジュールを実際に見るのは初めてだ。
「うわ、気象制御モジュールってこんなに小さいのね。」
東都理工科大学の敷地内には、20 年以上前に使用されていた大型気象制御装置を格納していた建屋の一部が残されている。今はほとんどが取り壊されているが、実際にその装置が稼働していた頃はキャンパスの 1/3 程度をその建屋が占めていた。それと比較すると、 今村雨が目にしているモジュールは圧倒的に小さい。
「これが 6 号モジュールね。」
村雨は目的のものを見つけると、すかさず制御端末の前に立つ。うかつにログインすると端末にログイン履歴が残るため、村雨は予め用意してあったダミー ID でログインする。 そして村雨は驚愕する。
「なに... これ?本体もリミッタシステムも、故障なんてしてないじゃない...」
村雨はシステムログを確認する。
「2124 年 8 月 12 日... これね。」
さらに神崎から受け取った制御プログラムを確認する。
「ルーチン名は sunny_control_Kanzaki... 実行履歴に無い...」
さらに 1 週間前、2 週間前の 1 号モジュールの記録を確認する。
「ええっと... あった。この 2 回は確かに 1 号モジュールで実行されてるわね。3 回目の実験では神崎さんの制御ルーチンは実行されてないってわけ?その代わりに同時刻に実行されてるのは...TUST_module6_destroy。TUST はうちの大学の略称で、6 号モジュールを破壊する?なにこの忌々しいルーチン名は!」
村雨は作業に熱中しすぎて気づかなかった。背後からある人物が近づいてきていることを。その人物が村雨の背後 50 センチメートル程度まで近づいた時、ようやく気づいて振り返ったが時すでに遅し。一瞬で気絶させられてしまった。
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一体どのくらい気を失っていたのだろうか。そしてここはどこなのだろうか。村雨は病院のベッドのようなものの上で目覚める。直後村雨は見慣れた人物が同室にいることに気づく。
「東郷... 先生?」
–第 1 章 東都理工科大学におけるインシデント 完–




