東都理工科大学におけるインシデント(4)
西暦 2124 年 8 月 20 日
気象制御モジュール暴走インシデントから 1 週間が経過した今日、調査チームから正式な報告書が公開された。「東都理工科大学における 6 号気象制御モジュールの暴走による気象制御インシデントに関する調査報告書」と題されたその報告書は、5 ページ程度の簡素な内容で、村雨が東郷から聞いた以上の情報は掲載されていなかった。未だ大学の地下で保管されている暴走したモジュールは、明日国際環境保全機構に引き渡され、正式に処分される。
村雨春香は、険しい顔でその報告書を眺めていた。「合計 4 基の停止」は、気象制御技術研究に一生を捧げると誓った村雨にとってあまりにも衝撃的な出来事だった。
「東郷教授はこの処分に納得されているのですか!?」
「まあ無期限凍結処分といっても一生使えないと決まったわけじゃあない。こういうのは大抵半年もすれば切れるものさ。それにね村雨さん、私はそもそも気象制御計算に生体コンピュータは不向きだと思っている。この際残っている 3 台とも完全に破棄して量子コ ンピュータ制御に置き換えるのもありだと思っているんだよ。」
そんなやり取りがあったのは数日前のことだ。新たに量子コンピュータ制御の気象制御モジュールを 4 台も導入する予算はこの大学にはないことなど村雨には分かっていた。そして恐らく東郷もそれは承知しているだろう。東郷がなぜあのようなことを言ったのか、村雨には「私を慰めるため」以外の見当が全くつかなかった。
「君は将来日本の気象制御研究を引張っていく人間になる。なに、不便な思いはさせないさ。」
東郷はこうも言っていた。私は今まさに研究上の不便を強いられているのだ。すでに大学の計算リソースで村雨の気象制御アルゴリズムを実行するのには限界が来ていた。4 台しか使えず、スパコン機構も当てにできない今、まともな実験など到底出来る気がしない。
そんなことを考えている折、例の実験を取り仕切っていた学生があの日以来大学に来ていないことを耳にする。なんでも晴れ研 4 年生の女の子で、その名前にも聞き覚えがあった。たしかティーチングアシスタント(TA)としてある授業で面倒を見たことのある学生だ。先輩として少し様子を見に行くくらいのことはすべきだろうか。あの事故の顛末を当事者の口から聞いてみたいという興味もある。しかし違う研究室の学生だし、そもそも私は甲斐甲斐しく後輩の面倒を観るような質ではない。どうしたものか。
「で、なんで俺達がついていかなければいけないのかね?」
「そうですよ。こちとら学会明けなんですから、少しはゆっくりさせてもらいたいもんです。」
「だって相沢は彼女と同じ学年だし、滝澤は私より人当たりがいいじゃない?この 2 人を連れて行くのは必然じゃない。」
「そもそもお前がその 4 年生ちゃんの所に行く前提が良く分からんのだが...」
「うるさい!黙ってついてくればいいの!」
その子の名は神崎秋保。大学の敷地に隣接する女子寮に住んでいる。家の前に到着すると、村雨が首尾よくインターホンを鳴らす。
「ここまで来たはいいが、お前なんて話切り出すつもりなんだ?」
「... 全然考えてなかった。滝澤、任せた!」
「お、おい!」
扉が開く。
「あの、どちら様でしょうか?」
「ど、どうも...」
滝澤はしどろもどろになりながらなんとか対応する。ここからどう話をつなげればいいのだろうか。そんな心配も束の間、神崎は驚いた表情である人物を指差す。
「む、村雨先輩!」
*********
神崎秋保の住まいの中で、3 人は紅茶を飲んでくつろいでいる。
「なあ、村雨ってそんなに有名なのか?」
「それは気象制御工学科のマドンナでトップアイドルで、誰もが憧れる才色兼備な大先輩ですよ!空間電磁場制御演習で TA として面倒見て頂いた時は感激でした!」
「そ、それほどでも...」
明らかにデレている村雨に向かって、相沢は冷静に突っ込みを入れる。
「あまり調子に乗りすぎないで下さいよ、村雨さん。村雨さんのずぼらさを知ったら...」
最後まで言い切る前に拳で遮られる。
「見ての通りの凶暴女でーす。」
滝澤が補足するも、こちらも拳で一蹴される。
「それで、私になにか用でしょうか?」
「ああ、そうだったわね。例のモジュールの暴走案件以来神崎さんが大学に来てないって聞いて心配になった、というのもあるんだけれど、あの案件ちょっと不可解なことがあってね。実験の当事者から話を聞いてみたくなったの。」
「そうだったんですか... 前者についてはご心配ありがとうございます。初めての実験であんなことになって、先輩達も慌て始めて、しまいには怒声が飛び交うようになって、他の研究室の人たちまで巻き込んじゃって、私怖くなっちゃって...」
最後の方はほとんど泣き声に紛れて聞き取るのがやっとの状態だった。
「でも今回の暴走は神崎さんの所為じゃなかったんだろ?気に病む必要はないぜ!」
滝澤がフォローする。
「そういう問題じゃないのよ。神崎さんにとってはショックが大きかったのよ。」
村雨が神崎の気持ちを代弁するように答える。
「まあショックなのは分かるけれど、今は卒業研究の一番大事な時期じゃない?顔を出すだけでもいいから少しずつ大学に復帰した方がいいんじゃないかしら?」
「おっしゃる通りだと思います。ただ...」
「ただ?」
「鈴木先生からも、当分大学には来ない方がいいって言われているんです。」
「どういうこと?」
「私にもよく分からないのですが、大学にいると色々な先生から執拗な質問攻めに遭うだろうからって。」
「確かに実験の当事者だもんなあ。」
「その、嫌なこと思い出させるようで申し訳ないんだけれども、その実験のときなにか変わったことはなかった?どんな些細なことでもいいわ。」
「変わったこと、ですか?そういえば、あの実験は前日まで 1 号モジュールでやる予定だったんです。それが、当日の朝になって急遽定期点検で使えないと言われて、6 号モ ジュールで実験することになったんです。それと、制御端末へのログインに最初 10 回くらい失敗しました。私ドジなんでパスワードやユーザー ID 間違えてログインに手間取ることはよくあるんですけど、さすがに 10 回は多いなって思ってたんです。11 回目でログインできたので、その時は特に気にしなかったんですけど。」
「なあ村雨、モジュールの定期点検ってそんなに急にスケジュールが決まるものなのか?」
滝澤が尋ねる。
「そもそも定期点検自体半年に 1 回くらいの頻度しかないから私も詳しくは覚えてないけど、さすがに実験当日の朝に実験担当者に知らされる、なんてことはないはずよ。もちろん利用申請は出したのよね?」
「はい。1 回目と 2 回目の分も合わせて先月には出してあります。」
「うわ、すごく計画的なのね...」
「普通はこのくらいです。実験の数時間前に申請出す村雨さんがイレギュラーなんです。」
「相沢うるさい。」
「な、なんだか今日 1 日で村雨先輩のイメージがだいぶ変わりました...」
神崎が苦笑いする。
「そんな!神崎さんにまで見捨てられたら私どうすればいいの!?」
「すいません、悪い意味じゃなくて、村雨先輩ってどこか取っ付きにくそうだなって印象持ってる人多いんですよ。特にうちの学科の女の子は。でも実際話してみると、すごくフレンドリーで親しみやすいなって。」
「そんなに頑張ってフォローしなくてもいいんだぞ?」
滝澤が小声で神崎に話す。
「滝澤、ばっちり聞こえてるんですけど?」
言葉と同時に拳が飛ぶ。
「まあいずれにせよ、神崎さんが意外と元気そうでよかったわ。私はもう帰らなくちゃいけないけど、何かあったらいつでも相談してくれていいわよ。今日は突然押しかけてごめんね。」
「いえいえとんでもないです!私も皆さんとお話できてかなり元気が出てきました。来 週あたりから大学にも顔を出してみようと思います。」




