東都理工科大学におけるインシデント(2)
西暦 2124 年 8 月 12 日
最高気温 30 度、降水確率 100%。じめじめした空気の中、滝澤彰宏は傘をさして大学へ向かっている。ここ一週間は村雨によるゲリラ豪雨被害もなく、平和な日々を送っていた。 今日の天気は雨。ということは少なくとも今日は彼女の実験はないはずだ。彼女は雨降らし専門だから、雨の日にはほとんど実験を行わないのだ。たまに他の学生が行っている晴れ実験も見るのだが、村雨が降らす雨よりも境界精度ははるかに低く、天候も多少晴れ間が見える程度だ。それだけ村雨の技術や東郷研究室の設備が卓越しているという証拠だ。
滝澤は以前村雨に訪ねたことがある。
「お前いつも雨ばっかり降らしているけど、晴れさせる方はやらんのか?」
「雨と晴れは表裏一体よ。どこかに特異的に雨を降らすということは、それ以外の場所のどこかが晴れるということなの。だから基本的に違いはないの。」
「だったらなおさら晴れでいいじゃないか。その方が俺に迷惑もかからんぞ。」 「雨の日より晴れの日の方が圧倒的に多いじゃない。晴れの日に晴れの実験をやっても結果が分かりにくいわ。それに...」
「それに?」
「雨は短時間で大きな影響をその土地に与えることができる。土砂災害は典型例ね。一方で晴れは長いスパン、例えば短くても 1 週間とか、そのくらい続かないと大きな影響は 出てこないの。つまりね、即効性のある軍事手段として使いたかったら雨なのよ。」
滝澤はそれ以上深く訪ねることはしなかった。が、村雨の口から「軍事」という言葉が 出てきたのは滝澤にとって意外だった。彼女は兵器を作りたいのだろうか?もしそうだと したらなぜ?そんなことを根掘り葉掘り聞きたい衝動に駆られたが、一方で、これを聞く ことで村雨春香の黒い部分を不用意に覗いてしまいそうで怖かったのだ。
そんなことを思い出しながら歩いていると、キャンパス上空に中途半端な晴れ間が見え てきた。ああ、今日も誰かが実験しているのか、などと考えながらいつも通りキャンパス に向かって歩いていく。正門の近くまで来ると、なにかがおかしいことに気づく。晴れ間は先ほどより拡大し、キャンパスの外側まで伸びている。明らかに晴れすぎている。キャンパスの外側で実験を行うためには事前に気象庁および周辺自治体に申請し、更に当該区域の住民に告知しなければならないことが気象制御規制法によって定められている。この手続きにはかなりの時間と手間を要するため、通常は多くの研究者が関わる大規模実験以外ではこのような手続きは踏まず、キャンパス内での実験で済ませる。しかしキャンパス内にいる人数は普段とさほど変わらず、大規模実験を行っているわけではなさそうである。 さらに、「当該区域の住民」の 1 人であるところの滝澤彰宏の下になんの告知も来ていないという事実が、今キャンパス外に晴れ間が拡大している状況が違法であり、なんらかの異常事態が発生していることを物語っていた。このくらいの規模にもなると、村雨の実験で雨粒が「ちょっとはみ出る」のとはまったく話が変わってくる。
晴れ間は更に拡大し、キャンパスの周囲 2 キロメートルほどを覆うまでになった。慌てた様子でキャンパス内を走る村雨に、滝澤は問いかける。
「これは一体どういうことだ?」
「晴れ研の実験でうちの大学の気象制御モジュールの 1 つが誤作動を起こしたの。今 8 基あるうちの 1 基が暴走状態みたい。」
「晴れ研」とは、気象制御工学専攻鈴木准教授が率いる研究室の通称で、村雨の所属す る東郷研究室とは対照的に「晴れさせる」研究を行っているので晴れ研と呼ばれている。
「4 基は定期点検中で使えないから、残りの 3 基で急遽気象キャンセラを組んで打ち消そうとしてるんだけど全然だめ。安全装置のせいでこれ以上出力を増やせなくて晴れの拡大を多少抑えることしかできてないわ。うちのモジュールリミッタが外れるとこんなにパワフルなのね...」
「強制的に電源を落とすわけにはいかないのか?」
「気象制御モジュールはキャンパスの地下 100 メートルの位置にあって、電源設備もそ の近くにあるの。電源を落とすためには実際に人間がそこに行くしか方法がないんだけ ど,何重ものセキュリティを解除しないといけないからかなり時間がかかるわ。それに、 今回暴走したモジュールは実は生体コンピュータで制御されているの。電源を落とすとコ ンピュータも停止するんだけど、電源が落ちた生体コンピュータは専用の保存設備がない 限りすぐ腐敗して使えなくなることは滝澤も知ってるでしょ?生命工学専攻がその手の設備を持ってるけど、地下 100 メートルから運んでる途中でもうダメになるわ。まあ、こんな状況になったんだから 1 基潰すくらいの覚悟は必要なんだろうけど、こういうことにあんまり予算かけたくない連中とそれ以外で揉めてるらしいのよ。」
「泥沼なんだな」
「そうなの。それで私も対症療法にしかならない気象キャンセラの構築に駆り出されて、 正直いまこうして立ち話している時間もないの。だから今日は気軽に話しかけないでちょうだい。」
「はいはい...」
結局、晴れ領域が半径 10 キロメーロルまで成長したところで、外部の気象制御モジュー ルも導入してなんとか拡大を止めることに成功した。たが、未だにモジュール 1 基は暴走を続けている。




