東都理工科大学におけるインシデント(1)
昼休み、第 1 食堂で滝澤は先ほどの雨の元凶である村雨春香と昼食を取っていた。村雨 のゲリラ実験によって被害を被った時は奢ってもらう約束なのだ。
「しかしいつ見ても胡散臭いよな、お前の実験。キャンパス内あれだけ土砂降りなのに、 柵を境に外側はピッタリ降ってないなんて。」
「ピッタリじゃないよ。柵より内側 10 メートルに緩和領域を設けて徐々に雨量を落としているからね。あとたまに風を制御しきれなくてちょっとはみ出ちゃうこともあるわ。」
「そのくらい誤差範囲だろ...」
「誤差範囲で済ませてたらだめなのよ。気象制御技術はいまや研究開発競争が最も激しい分野の 1 つと言われてるわ。今は日本が 1 歩先を進んでるけど、ここで立ち往生していたら海外勢に追い抜かれるのも時間の問題よ。だいたい、無許可で敷地外に雨粒が出た時点で本当は違法だし。」
「さすが首席様は目標が高いねえ。」
「首席様言うな!」
滝澤が通う東都理工科大学は、風、降雨、降雪などのあらゆる気象現象をコントロールする「気象制御技術」の先駆的研究機関として、世界中にその名を知られている。気象制 御という概念が提案されてから約 40 年間もの間、この分野を牽引してきた大学である。 気象制御技術は様々な面で世界の構造を変革させることとなる。砂漠地帯に雨を降らせる、というのは最初に行われた大きな試みであった。これによって地球上の砂漠地帯が減少するという期待が持たれたが、実際には全く逆であった。最も影響が大きかったのは, 2100 年に行われた東京湾降雨実験であったと言われている。いくら気象現象を制御できるとはいえ、利用可能なリソースは限られている。さらに、気象現象を制御するためには 当時莫大なエネルギーを要した。サハラ砂漠緑地化の予備実験として東京湾全域に最大雨量 300mm の雨を 1 週間連続で降り続けさせた結果、日本全国の発電所の実に 70%が停止し、さらにその後の干ばつで国土の約半分が砂漠化した。同様の実験は世界で同時多発的に行われたが、どの地域でも似たような結果だったという。
東京湾降雨実験によって、砂漠地帯の減少などといった大規模な問題をどうこうするのに気象制御は適さないことが明らかになってからは、もっぱら地域的な水不足の解消や、 台風などの気象災害の制御、土木分野などの実験向けの気象制御などに研究開発はシフトしていった。そんな中、米国が狭い範囲に特異的に大規模気象災害を引き起こす研究を秘密裏に開始していた。その成果が明るみに出たのは 2113 年の第 3 次アーガイル戦争だった。アジアの小さな社会主義国アーガイルと米国間の戦争の終盤にアーガイルの軍事拠点が集中豪雨によって甚大な被害を受けた。これによって物資の流通が滞り、アーガイル敗戦の一因となったと言われているが、この集中豪雨は米軍の気象制御によってもたらされたものであることが後に明らかとなっている。これ以降、可能性としてのみ議論されてきた気象制御の軍事利用が各国で本格的に議論されるようになった。その後の小型気象制御モジュールの開発により、気象制御の「兵器」としての利用はさらに加速することになるが、この小型気象制御モジュールも、東都理工科大学の研究者によって開発されたものである。
そんな東都理工科大学の工学部気象制御工学科を首席で卒業し、現在世界を牽引する 気象制御のスペシャリストである東郷栄一教授の下で気象制御の最先端研究を行っている スーパー大学院生。それが、滝澤の目の前で味噌ラーメンをすすっている村雨春香である。
「だからね、単にお天気を好きなように操れますっていうお気楽な話じゃなくて、この 技術を制するか否かで国の存亡が関わるような、そういう話なの。それなのに日本では最近この分野の研究費がどんどん減っていて、おまけにスパコン機構の量子コンピュータの 利用申請もなかなか通らないのよ。あのくらいの計算性能があれば緩和領域を 1 センチくらいにはできるのに...」
「研究費があるだけマシじゃないか。俺なんてこの間、お前の下らんロボットなんぞにもう 1 銭も金出さんぞ!って教授に怒鳴られたぜ!」
「それ胸張って言うことじゃなくない?... というか、そもそもなんでバイオロボティクスが主流のこの時代に古典的な機械式ロボットなんて作ってるわけ?若宮教授この間私の所に相談しに来たわよ?滝澤の考えてることがわからんって。違う専攻なのに。」
「ふふ、いざというときにはローテクの方が意外と役に立つんですよ。そんなローテクのノウハウを大学から絶やさないために俺のような成績ぎりぎり大学院生がけなげにも人柱になっているのだ!」
「いざというときっていつよ?この間第 2 食堂であんたが作ったロボットがお客さんに 盛大にお茶をぶちまけてたわよ。店長ものすごく怒ってたよ...」
「ぐぬぬ...」
滝澤彰宏は工学部ロボット工学科をぎりぎりの成績で卒業し、現在工学研究科ロボット 工学専攻でロボットの研究を行っている。ロボットとは言っても、2124 年現在主流になっ ている、生体材料とそれに適した制御プロトコルでロボットを構成する方法ではなく、100 年以上前に研究されていた機械・電気式のロボットを未だに作っている。もちろん、機械 式のロボットが完全に駆逐されたわけではないが、エネルギー効率や寿命の観点から、純 粋な機械式ロボットはほとんど稼働していないと言われている。現在では死亡した人間の 脳のみを取り出し、外部からエネルギーを供給することで高度な情報処理を行える段階まで来ており、100 年前にいわゆる「機械材料」と呼ばれていた金属やプラスチックと電気回路、ソフトウェアの組み合わせでロボットを作ることのメリットはほとんど無いのである。
「だいたいスパコン機構のコンピューターだって 3 割程度は生体コンピューターで残りは全部量子コンピュータなのよ?いまだに古典的なトランジスタ仕掛けの集積回路なんかと戯れてるからあんたの脳も退化してるんじゃない?」
「相変わらず辛辣なことを平然と...」
「ほんとほんと。そんなんだからいつまでも彼氏できないんですよ。」
話に割り込んできたのは気象制御工学科の 4 年生、相沢護である。東郷研究室で卒業研究に励む、村雨の後輩である。
「う、うるさい!そんなことより、来週の学会の準備はもうできたの?」
「村雨さんと違って計画性はあるのでご心配なく。」
「あんたは一言多いわね!」
「いいぞ、もっと言ってやれ!」
滝澤が相沢を煽る。
「去年の名古屋の学会でしたっけ。村雨さん新幹線の切符予約してなくて、出発前日に予約しようとしたらほぼ満席で大変だったんですよ。」
「新幹線なんて昔は 5 分に 1 本くらい走ってたから予約なんて必要なかったのよ...」
「それいつの時代の話ですか...」
「そうだぞ。主要幹線の東京大阪線だって 1 時間に 4 本がいいところだぜ。この間のダイヤ改正でさらに本数減ったじゃないか。」
「東京湾降雨実験後の砂漠化で中間駅が廃止されて以降、輸送需要は右肩下がりですからね。」
「だいたいなんで中間駅がなくなっただけでこんなに需要がなくなるわけ?納得いかない。私のようなずぼらな人間のためにももっと本数を増やすべきだわ!」
「すごく自己中だな!」




