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Deterministic Weather Report  作者: dododo
第2章 東京湾降雨実験の真実
12/21

東京湾降雨実験の真実(6)

西暦 2100 年 7 月 11 日

東京湾での実験を 1 週間後に控えた今日、東郷はキャンパス中をせわしなく走り回っている。5 月の学会で再び生じた一抹の不安は、ここ最近の殺人的な忙しさで完全に吹き飛んでいる。今はもう、目の前の実験を成功させることに専念している。

気象庁および海上保安庁に申請している実験期間は、今日から 5 日後の 7 月 16 日から 7 月 26 日の 11 日間。前後それぞれ 2 日間は準備と撤収のためのマージンだ。1 週間もの間東京湾に最大雨量 300mm の雨を降り続けさせる。この間、東京湾を横断する高速道路は全面通行止めとなり、東京湾を航行する定期船舶および上空を飛行する飛行機は全て運休もしくはルート変更の措置が取られている。実験に必要な電力は日本全国の発電所から分散供給される。

八代は「行政の腰が重い」と言っていたが、これだけ大掛かりな措置を必要とする実験だ。行政の対応の早さに関わらず、やはり 2 年という準備期間は必要だったのではないかと東郷は思う。むしろ、よく 2 年という短期間で、大きなスケジュール変更もなく実験遂行までこぎつけたものだ。この実験には多くの研究者が関わっている。東都理工科大学だけでなく、日本も含め世界各国から気象制御に関わる研究者が集まり、各々必要なデータ を収集する。東郷はその中で実験遂行を事実上仕切る立場にあり、そのプレッシャーは大きい。そのプレッシャーを振り払うかのように、東郷は実験の最終準備を進める。

最も気を使うのは、降雨空間制御のパラメータ調整だ。雨の規模が大きくなると、僅かな誤差でも東京湾周囲の陸上に大雨が降り注ぎかねない。普段土砂災害に慣れていない東京という地での実験だけあって、陸上に大量の雨が降り注ぐなどという事態は絶対に避けなければならない。今日は降雨空間制御の専門家を交えたミーティングだ。

「安全側に振るという意味では、やはり緩和領域は最低 1 キロメートルは欲しいところですね。」

そう話すのは、札幌工業大学の前田伸晃准教授だ。八代の昔の教え子の 1 人である。

「そうは言ってもな。これはサハラ砂漠の予備実験という位置づけだ。できるだけ面積を稼ぎたい。せめて 500 メートルくらいにはならないのか?」

八代は一歩も譲らない姿勢を見せている。

「現在の計画では、東京湾の周囲にある計 22 大学・研究所の大型気象制御装置を動員する予定ですが、微妙に東京湾からの距離が遠すぎるんですね。特に、この中で最大出力を擁する東都理工科大学の制御装置が最も離れている。これがネックになって、あまり高精度な空間制御が難しいのです。」

「なんとかならんのか?」

東郷が口を挟む。

「気象庁の地下制御装置を使のはどうでしょうか?あそこの設備はうちの大学の 2 倍は出力が出ますし、かなり沿岸部に近いところに配置されていますから、1 台でも使えば少なくとも西側の緩和領域を小さくすることはできるのではないでしょうか?」

「そうだなあ。今から利用申請を出して果たして間に合うかどうかだな。」

「実はだいぶ前に気象庁に利用申請を出しておいたんです。追加でお金を積めば使わせ てもらえるそうですよ。少なくとも東京湾の実験期間中 1 台は空けておくと担当者からは連絡がありました。」

「東郷、俺は今ほどお前を頼もしく思ったことはないぞ!」

このようなミーティングを、東郷はじめ実験グループはここ 1ヶ月もの間ひたすらに繰り返している。人付き合いが苦手だった東郷も、だいぶ行政の人間の扱い方や外部の人との接し方に慣れてきていた。この実験をきっかけに、研究面はもちろんだが人間的にも少し成長できたのかもしれないと、がらにもないことを東郷は考えていた。


*********

西暦 2100 年 7 月 18 日

ついに実験の当日を迎えた。ここ 2 日は実験準備で各研究機関の制御装置の最終調整や、 東京湾での小雨量の予備降雨実験などで忙殺されていた。東郷はこの 2 日間ほとんど寝ていない。しかし不思議と眠気はなく、これから始まる世紀の実験を前に興奮すらしていた。 現在朝 7:00。1 時間後の午前 8:00 には、東京湾周辺の 23 台もの大型気象制御装置が同時に稼動し、東京湾に雨をもたらすのである。関連研究機関には総勢 500 名もの気象制御研究者が集まり、それぞれがそれぞれの目的を持ってその瞬間を待っている。

その 12 時間前、すなわち 7 月 17 日の夜 7:00、東京湾降雨実験の最高責任者である八代 卓は記者会見でこう話していた。

「我々が明日から行う実験は様々な意味で世界の構造を変え得る技術の礎となる実験だ。 関係各所には 1 週間不便を強いることになるが、どうか暖かく本実験を見守って欲しい。」

記者会見の場ですらこの人はぶっきらぼうな喋り方をするのか、と東郷は内心思いはしたが、「世界の構造を変え得る技術」という言葉にはとてもしびれ、気象制御工学を志した最初の日のことを思い出した。

東郷が「気象制御」という言葉と出会ったのは、中学生の頃である。当時は気象制御の黎明期で、学問体系としてまだ確立されていなかった。気象学者、物理学者、電気・機械工学者などが 10 名ほど集まって、気象現象を自在に操ることは可能かどうかについて議論したことが気象制御学のはじまりだと言われている。その中には、当時新進気鋭の研究者だった八代も同席していたという。

当時の科学技術の花形といえばバイオロボティクスだった。量子コンピュータが実用化されてから数十年が経ち、その限界が議論される中で生体コンピュータという概念が登場したのはこれより約 10 年前の話である。そんな中で、気象制御は古典的な技術の組み合わせと揶揄され、学生が集まらず、その技術開発がなかなか進まなかった時代に東郷は気象制御という言葉と出会った。

きっかけは大学教授の出張授業だった。名前は思い出せないが、とにかくノリが良くて大阪弁のおっちゃんだったことは覚えている。その教授の言葉は今でも深く脳裏に焼き付いている。

「若い学生はやれバイオや、やれ量子コンピュータやっちゅう具合にすぐにこうキラキラして見えるところに飛びつきよる。でもな、真に世界を変える革新的な技術っちゅーのは、意外と地味ーなところにあるもんねんで。だって考えてみ?自分の好きなように天気を操れるようになったら、これはほんますごいことやで。」

この言葉がなければ今の東郷はなかっただろう。

それから 1 年後、欧州の研究者によって、現在の気象制御方式の基礎となる空間電磁場制御法が確立された。これをきっかけに気象制御に関する研究が爆発的に加速した。空間電磁場制御法を提案した研究者らは、その 4 年後にノーベル物理学賞を受賞している。受賞者の 1 人が高齢だったことによる異例のスピード受賞だった。東郷にとっては中学・高校と最も多感な時期を気象制御学の目覚ましい発展とともに過ごしたことになる。これだけ思い入れのある分野で今世界最大規模の実験を切り盛りしている。東郷はそんな感慨にふけっていた。

午前 8:00。天候は晴れ、降水確率 0%。いよいよ実験が開始される。東郷はテレビ電話回線で各研究機関の責任者と連絡を取り合う。23 箇所に分散している制御装置をほぼ同時 に、正常に始動させる必要があるため、緊張の瞬間である。

「実験責任者各位、気象制御装置を起動してください。」

「千葉産業大学 主制御装置起動完了」

「横浜大学 地下制御装置起動完了」

「気象庁 地下第 2 制御装置起動完了」

次から次へ起動完了の報告が届く。

「それではこれより降雨ルーチンの実行を開始します。ルーチン名はTokyo_rain_210007、 設定ファイル名は boundary_west500.wdl です。最終確認をお願いします。」

東郷の指示で各責任者が最終確認を行う。

「降雨ルーチン開始時刻の許容誤差は ±10 秒です。これより私が 10 よりカウントダウ ンしますので、0 に合わせて降雨ルーチンを開始して下さい。それでは始めます。10,9,8,...」

東郷によるカウントダウンが始まる。

「3,2,1,0... 全制御装置における降雨ルーチン実行開始を確認。実行開始時間最大誤差は 3.4 秒。実験開始成功です!」

周囲には安堵の空気が立ちこめる。東郷はその安堵に浸ることなくすぐさま東側の窓から東京湾の方を注視する。たしかに東京湾上空のみに雨雲が発生し、東京湾に大量の水を注ぎ込んでいる。これを確認して東郷はようやく実験が正常に開始されたことを確信する。 最も神経を使う作業を終えた東郷はしばらく仕事がないため、そのまま 3 時間ほど眠りについた。

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