誕生会にて
深月と出会って半年も過ぎたころ、季節は冬になっていた。
そして、もうすぐクリスマスという頃、桐崎不動産の社長の誕生会が高級ホテルで行われた。
もちろん、和真は社員として、跡取りとして参加していたのだが会場の隅にきっちりと前のボタンを閉めているコートを着た女をみつけた。
「深月…?」
当然いるだろうと思っていたためそのことには驚かないが、あたたかい会場内でコートを着ている人は他に誰もいないのだ。
「今来たのか?」
「こんばんは。いいえ、30分前からいますよ」
律儀に挨拶をしてから答えた。
「暑くないのか?」
「っくすくす」
和真の質問に笑い始めた。
「なんだよ…」
「そんな優しい言葉かけられるなんておもってもみなかったので」
口を手で覆いながらわらっていた。
「な、なんだ!悪かったな!」
その慌てる様子に深月はいっそう目を細めた。
「それより、お前ちゃんと招待状があってきたんだろうな」
「もちろんですよ」
「見せろ」
「え?」
和真が手を伸ばした。
「名前、書いてあるだろ」
「…はいはい」
和真の企みにも関わらず深月は招待状を出した。
「って、小林深月かよ…」
「そうですよ」
「だから、それは偽名だろ?いい加減…」
「私の正体を暴くのが和真さんの役目でしょう?」
偽名だというのは最初に問い詰めた時から簡単に認めていた。
「はぁ…。ん?お前ドレスじゃないんだ」
溜め息をついて下を向いたところで深月の黒いパンプスが目にはいった。
「スーツ…?」
じろじろと深月の全身をみた。
「な、なんですか…」
和真の様子に一歩引いていた。
「いや、親父と会うのにスーツなんて珍しいなって」
「…そうですね」
いつも私服姿で雄三といるのだから新鮮に感じた。
「今まで仕事してましたし、このあとも…あ」
しまった、というように口をふさいだ。
「仕事?」
和真は聞き逃さなかった。
初めて深月が自分のことを話したことを。
「そっか。仕事してるんだ」
これで、一つ核心をもつことはできた。
深月はちゃんと仕事を持っている。
「これから仕事なんだぁ」
にやりとして、深月を見た。
「あー…もう」
自分の失態にショックを受けながらも、和真に忠告した。
「尾行しようとしても、必ずまきますから」
「さぁ、どうかな」
お互いに睨みあっていた。
「何、見つめあってるんだ?」
誕生パーティーの主役が和真と深月のもとに現れた。
「見つめっ…そんなわけないだろ!」
慌てて和真が否定する。
「お前になら深月をやってもいいぞ?」
「いらねーよ」
和真と雄三の会話が一段落ついたところで、深月は雄三に近づいた。
「誕生日おめでとうございます」
軽く礼をして笑顔で言った。
「ありがとう、深月」
和やかな二人の雰囲気に和真は口をひらいた。
「なんでこんな奴よんでるんだよ。関係者じゃないだろ」
「深月は関係者だ。私には大事な人だよ」
雄三は深月を見ながら言う。
「…親戚にどう説明するんだよ…」
桐崎の親族も参加していたのだ。もちろん、深月とは初対面。
「大丈夫だ」
和真の心配をよそに雄三は会場を見渡した。
雄三の兄弟家族がいて、その孫らしき子供が会場を走り回っていた。
「ここにいるのはどうせ社交辞令、金目当てのものがほとんどだ。私が誰と付き合おうと自由だろ」
雄三の口からは和真のような言葉がでていた。
「それなら…」
「危ない!!」
和真が文句を言おうとしたところで深月が叫んだ。
「え?」
深月は和真の横をすり抜けて壁の側ではしゃいでいた子供に覆い被さるように抱きついた。
ガシャン
「うっ…」
花瓶が深月の背中に落ちて音をたてて割れた。
花と花瓶の欠片が深月と子供の回りに飛び散り、一瞬会場は静まり返った。
「おい…」
和真が深月の行動に驚きながらも声をかけようとすると、深月が声をあげた。
「何してるの!危ないでしょ!」
子供の両腕をつかんで、じっと目をみた。
「こんなところで走り回ったら危ないのわからないの!?ちゃん周りをみなさい!」
深月の勢いに押されて子供が泣きそうになっていた。
「っくひっく」
「一歩間違えたら簡単に死んじゃうのよ!わかった!?」
「ご…ごめん…なさい…」
涙を浮かべながら深月に謝る。
「謝るのは私じゃないでしょ。ほら」
騒ぎを聞き付けたホテルのスタッフが側に来ていた。
「ごめん…なさい!」
子供は泣きながらも頭を下げて謝った。
「うん、よくできました」
先程までの勢いはなくなり優しい声で子供の頭をなでた。
「怪我はない?」
「う、うん…」
「もうこんなことしたら駄目だからね」
「うん」
そして、深月はぎゅっと子供を抱き締めた。
「よかった。無事で」
ほっとしたように深月がいうと、子供も深月に抱きついた。
「おねーちゃん、ごめんなさい。…ありがとう」
小さな声でそう言った。
子供が母親に引き渡されてから、やっと深月は立ち上がった。
「お客様…お怪我は…」
スタッフが心配そうに声をかけると、深月は軽く答えた。
「大丈夫ですよ。それよりこの花瓶片付けないと」
と言って花瓶を指差した。
すると、他に来ていたスタッフが手際よく片付け始めた。
「お客様、よろしければコートをクリーニングいたします」
そこではじめて深月は自分のコートの存在を思い出した。
「そっか…濡れちゃったよね…」
当たり前のことに溜め息をついた。
「でも、いいです。濡れたのコートだけですし、そろそろ出ますから」
コートを気にしながらも申し出を断っていた。
そして、深月は雄三に話しかけた。
「お騒がせしました」
「大丈夫かい?クリーニングくらい出して貰ったらどうだい」
「いいえ。次の仕事に間に合わなくなるのでこのまま失礼します」
一度頭を下げた。
「しかし…」
「そんな心配しなくても大丈夫ですよ。このコートも安物ですし気にするほどのものじゃないです」
そして軽く話して深月は会場から出た。
「さて…どうしよっかな…」
雄三に気にしてないと言ったはいいが、濡れているコートをずっと着続けるわけにもいかない。
「冬だし乾かないよね…」
と、コートの前のボタンを外しながらエレベーターを待っていると後ろから足音が聞こえた。
「おい!」
「あら、和真さん。何かご用ですか?」
深月はコートの前を手で押さえて振り返った。
「着ていけ」
「?」
ガサッと投げられたものが視界を一瞬隠した。
「えっと…」
深月は自分の手の中にある男物のコートと和真を交互に見た。
「あいつが怪我しなかったのはお前のおかげだし…なにより」
和真は深月に背を向けたまま言った。
「いくらお前だからって、女を濡れたまま帰すなんて後味わるいんだよ」
「和真さん…」
深月はぎゅっとコートを握りしめた。
「じゃあ…返さなくていいから二度とくるなよ」
そういって走って会場に戻っていった。
「あら」
和真の後ろ姿を見送りながら深月は彼のコートを抱き締めた。