深月という女
深月が和真の前に現れてから、ずっと雄三に聞き続けていたことがある。
どこで出会ったのか
仕事は何か
この質問を雄三はいつも
「何でもいいじゃないか」
と笑って流した。
深月が桐崎宅を訪問したときも、和真は深月本人にも聞いた。
「そんなに気になりますか?」
バカにするように深月は続けた。
「ならば、私がどこの誰かわかればここに近づくのやめてもいいですよ」
余裕の表情で答えた。
「その言葉忘れるなよ!」
そして、和真は本気で深月のことを暴こうとし始めた。
さっそく、深月について調べようとして止まってしまった。
「あいつ…名前なんだ?」
一度もフルネームを聞いていない。
「親父、あの深月って女のフルネームってなんだ?」
「うん?知りたいのか?」
「名前だけじゃ、何もわかんねぇよ。名字ないと…」
「そうだな」
そのことについては、雄三も同意した。
「しかしなぁ…」
「何だよ」
雄三は面白そうに和真をみた。
「和真が深月のことをそんなに気に入ってるとはおもわなかったぞ?」
「はぁ?」
雄三の言葉に目を丸くする。
「俺はあの女の正体をだな!」
「はいはい」
和真の言葉をあしらいながら、楽しそうに雄三は言った。
「深月の名前はな…」
少し、間をおいて深月のフルネームを述べた。
「小林深月だ」
そして、雄三はそれ以上深月の情報は何も言わなかった。
「小林深月か…」
名前を知ったことで、いっそうやる気が出ていた。
「まずは…仕事だな」
とはいえ、和真も自分の仕事がある。
なかなか深月の正体はつかめなかった。
「帰るか…」
深夜まで仕事をし、やっと一段落ついたところで帰路についた。
車に乗って、交差点で信号により足止めされていると、見覚えのある顔が目の前を通りすぎていった。
「ん!?」
いつもとは違うスーツ姿で深月が歩いていた。
「小林深月っ」
青信号となると同時に、車を走らせ近くの駐車場に停めた。
そして、車から降りると深月を見かけた場所まで全力で走った。
「ど、どこだ…」
はぁ、はぁ、と息を切らせながら走り回ると高級マンションに入っていく深月を見つけた。
「ここに住んでるのか…?」
深月がマンションの中に消えたあと、マンションの向かい側のファミレスに入って出てくるのを待った。
「あ…」
意外にも一時間程度で深月は出てきた。
「あれ?」
深月の側には、初老の男がいた。
「あの人は…」
会計を急いで済ませて、深月達に気づかれないように近寄った。
「じゃあ、よろしく頼むよ。深月君」
「はい」
和真は二人の会話が聞こえると、動きを止めた。
「妻にも、息子たちにもばれないようにしてくれ」
「はい。お任せください」
浮気現場か、と和真は感じた。
「じゃあ、来週の夜もたのんだよ」
「はい、日向会長」
日向会長と、確かに言った。
「日向コンサルタントの…会長…?」
桐崎不動産と比べることもできないほどの大企業の会長だ。
財産目当ての女が近づいてもおかしくないと和真は思った。
そして、日向会長以外にも他企業の社長や会長と会っていることがわかった。
「なんなんだ…あいつ」
マンションだったり、ホテルだったり、レストランだったり、彼らと深月が会う場所はバラバラだった。
それに、彼らの会社から深月が出てくることもあった。
「仕事してないのか…?」
会っているところを目撃しても、何をしていのか和真にはわからなかった。
そこで、探偵をやっている友人を訪ねることにした。
「正人、何で警察やめてんだよ」
「いいじゃねぇか。俺の勝手だ」
元警察で、現在探偵をやっている正人の小さな事務所に和真は来ていた。
「で、この女を調べて欲しいってことでいいんだな」
「ああ」
深月と雄三の関係を簡単に説明した。
「今、特に立て込んだ仕事もないしやっとくよ」
正人はあっさりと和真の依頼をうけた。
そして、正人に依頼して3日後、和真の携帯がなった。
「正人か。どうだ?何かわかった?」
すると正人はゆっくり言った。
「小林深月だったよな?」
「そうだ」
「…いいか。小林深月という人物は存在しない」
電話の向こうではっきりと正人は言った。
「はぁ?そんなわけないだろ」
その様子に正人が簡単に説明した。
「確かに小林深月という名前の女はこの世に何人か存在している。だけど、彼女はその誰でもない」
「つまり…」
和真も悟ったようだ。
「小林深月は偽名だ」
やっと見つけた手がかりは、深月の正体を暴くのには程遠いものだった。