file2-4「birth」
「お疲れ」
その声に振り返ると、カズオが缶コーヒーを私に差し出した。
「ありがと」
コーヒーを受け取って、私たちはロビーへ降りた。
体が不自然に軽い。
たぶん、眠っていないせいだろう。
カズオが先にソファに座り、私もその隣に座って、缶のプルタブを引く。
冷たいコーヒーが喉を通ると、ふっと力が抜けた。
「まだ先は長いぜ」
「そうなの?」
相変わらず何でも知ってるの?
まあ、いいか。
甘い缶コーヒーが、空っぽの胃に染みる。
ちょっとだけキリリと痛んで、自分のことに気がついた。
そろそろ薬がなくなるから、もらいに行かなくっちゃ。
嫌だな、憂鬱なこと思い出した。
「ねぇ、なんで人間って生まれるの?」
「はぁ?」
「なんで生まれて、何のために生きるの? アンタなら、知ってるでしょう?」
「さぁな」
そう言って、カズオは両手を頭の後ろで組んで、だらしなく足を伸ばし、大あくびをする。
「さぁなって、アンタ天使なんでしょ? 人間のこと、なんだって知ってるんじゃないの?」
「それは、大きな勘違い。だいたいオマエ、何ガキみたいなこと言ってんの」
「ガキって……人間なら誰しも一度は考える難題よ」
「難題ねぇ。じゃあ、何で死ぬと思う?」
面倒くさそうに、横目で私のことを見る。
その態度が気に入らなくて、頭にきた。
「何で死ななきゃいけないかなんて、こっちが聞きたいわよ」
もういい。
ああ、どうせコイツは私が死ぬのを、しょうがなく待ってるだけなのよね。
何か求めようとした私が馬鹿だった。
「生きる意味なんて、受け売りじゃないと思うけど? それに、なんで人間が繁殖するかなんて、俺には関係ないし。繁殖すりゃ、しただけ、俺たちの仕事が増えるだけさ」
「………」
「これから生まれてくるヤツらも、いつかは絶対に死ぬんだ。死なない人間はいない。だから、それに理由なんてないさ。理由をつけたがるのは、死を受け入れられない頭でっかちな連中のすることだろ。生きる事だって、それと同じなんじゃないの? 目的とか、夢とか希望とか、そういうのはただの付属品でさ。そうそう、俺たちのことだって、都合のいい様に想像してくれて。やってることは、公務員より事務的だったりするんだぜ」
「アンタって、どうしてそういう物の言い方しかできないわけ?」
「オブラートに包んだって、苦さを味わったって、結局効き目は一緒だろ。わざわざ手間をかける必要なんてないさ」
嫌なヤツ。
「それとも」
カズオはソファに座りなおして、正面から私の顔を覗き込んだ。
「優しくして欲しい?」
柔らかい声と、吸い込まれそうになる真っ直ぐな瞳。
本当に、嫌なヤツ。
そうして欲しいとわかっていて、わざと聞く。
私が頷こうと、首を振ろうと、たぶん、この後に続くのは。
優しいキス。
コイツは、間違ったことは言わない。
本当は誰もが気付いているのに、わからないふりをしていることを、正しく直球で言ってくれるだけ。
楽していい所ばかり見て、醜いものを排除して生きていくのが当たり前で、どんどん自分自身を甘やかして、本当のことを言われて傷ついて。
都合よくなんて生きてられないのに。
わかった時には、もう遅かったりして。
唇が、ゆっくり離れた。
好きなことを言いたいだけ言うと、それを全部飲み込ませるみたいに、私にキスをする。
文字通りの口封じ。
私はそれ以上何も言えなくなって、自分でも驚くほど大人しくなってしまう。
それを見て、カズオは満足そうな顔をするのだ。
非常灯だけだったロビーが明るくなって、看護師さんが忙しそうに動き出した。
時計を見ると、8時を回っている。
上の階にも待合所があると言われて、私たちはそこへ向かって待つことにした。
「それにしても、こんなに時間がかかるなんて、思ってもみなかったなぁ」
私はテーブルに突っ伏した。
さすがに眠くなってきた。
もうすぐ昼ドラの時間だ。
続き、見たかったなぁ……って、そんな場合じゃないのに。
分娩室に入って、もうすぐ6時間近くになる。
「ねぇ、いくらなんでも遅すぎない?」
私が顔を上げると、カズオは私を通り越した向こうの方を見ている。
「待ってたんじゃない?」
「え?」
振り返ると、スーツ姿で走ってくるダイスケがいた。
横を一緒に走る看護師さんに何か言われているようだ。
ダイスケが私に気がついた。
「ヨーコ、ありがとな。ちょっと行ってくる」
昨日のうちにダイスケには電話してあった。
小さなスーツケースを私の足元に置くと、上着を無造作に私に投げつけて、分娩室に入っていった。
久々に会った元カノにその態度なの?
まぁ、そうか、自分の子供が生まれる瞬間だもんね、そんなの関係ないか。
「間に合ったね」
複雑な私の気持ちをよそに、嬉しそうにカズオが笑う。
それから間もなく、看護師さんが笑顔で分娩室から出てきた。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ。ちょっと時間がかかって大変だったけど、お母さんも元気よ。お父さんも、ギリギリ間に合ったし、よかったですね」
「……よかった」
私は思わず立ち上がって天井を向いて、大きく息を吐いた。
全身の力が抜けていく。
カズオが私の横に来て、ポンポンと頭をなでた。
「お疲れ様。よかったな」
「うん。つきあってくれて、ありがとね」
「どういたしまして」
私はカズオの胸に顔を埋めた。
カズオの腕が、優しく私を抱きしめてくれる。
そのとき、再び分娩室のドアが開いて、中から白衣を身に着けたダイスケが顔をだした。
「会ってって」
たぶん、泣いたのだろう。
目を真っ赤にして、くしゃくしゃな笑顔で私たちを手招きした。
中に入ると、疲れきっているが、とっても幸せそうなヤスコの横に、生まれたばかりの赤ちゃんがふにゃふにゃ口を動かしたり、眉間に皺を寄せてみたりしながら、眠っている。
「ヤスコ、おめでとう」
「ありがと……」
本当に生まれたての赤ちゃんを見たのは初めてだ。
小さくて、触れると壊れてしまいそうで。
でも確かに息をして、ここにいる。
ヤスコも、ダイスケも、とっても幸せそうで、心から彼女の誕生を喜んでいる。
「よかったね」
なんだか、二人を見て、私までもらい泣きしてきた。
何でだろう……。