file2-1「friend」
店内にはクリスマスソングが流れ始めていた。
「もう、12月かぁ……」
家から歩いて10分もかからない所にあるスーパーで、私はカゴをカートに乗せてゆっくりと夕食の材料の品定めをはじめる。
そこへ何も考えず、アイツが次から次へと好きな物を投げ込んでくる。
「ちょっと、だから、余計なものは買わないって言ってるでしょ。何これ、ライムなんて何すんの? お菓子もこんなにいっぱい……」
「これからビデオ借りて帰ろうぜ、今日はゆっくり映画鑑賞」
「人の話聞いてないし」
「晩飯、鍋にしない?」
「べつにいいけど」
ご機嫌なようで、流れているジングルベルに合わせて口笛を吹いている。
初めてコイツ、「天使」に会って、もう2週間が過ぎた。
あれからコイツは当然のように私の横にいて、昔からそうだったように、私の家に住んで、寝起きを共にしている。
読書だと図書館に連れて行かれたり、ファッションショーと称して洋服を買わされたり、人間観察会だと公園で一日中、本当にひたすら人間観察してああだこうだと他人の事を議論したり、映画鑑賞会だって、今日で5度目。
とにかく毎日動き回って、くたくたになって、おかげで夜行性の私も夜眠れるようになった。
食べるものにもうるさいコイツのせいで、ほとんど摂ることの無かった食事も、1日3食口にするようになった。
体の調子は悪くない。
私はライムを一度手に取った。
「まあ、いっか」
私にとっては必要ないものだけど、コイツはたぶん、アルコールにでも入れるつもりなんだろう。
別に悪くないし、むしろ好きかも。
何が好きで、何が嫌いかなんて話は何にもしていないのに、全部バレてる気がする。
コイツが本当に天使で、私の人生のデータのすべてを把握しているのかもしれない。
なんて、ありえないような話なのに、コイツから渡された羽を見ると信じざるを得なくなる。
もし、上等な詐欺師だったとしても、憂鬱だった死までの時間を付き合ってもらうには、悪くない相手だと思えた。
「ヨーコ?」
後ろから女の声がした。
なんとなく、聞き覚えのある声に、私は振り返ろうか迷っていると、コイツが先に振り返ってしまった。
馬鹿。
もう、あんまり人と関わりたくないんだから、余計なことしないでよ。
「こんにちは」
愛想のいい笑顔でコイツは私を呼び止めた女に挨拶する。
しょうがなく、私も振り返った。
「やっぱり、ヨーコ! 久しぶり!」
「ヤスコ……?」
正直驚いた。
高校時代の親友だった。
複雑だけど、やっぱり久しぶりに友人の顔を見るのは嬉しかった。
背の高いヤスコは私を見下ろすと、笑顔を曇らせて、口をとがらせ、いきなり私の頬をつねった。
「いでっ!」
「ちょっと、ヨーコ、大変だったんでしょ! なんで何も連絡してこないのよ」
「………」
「お父さん亡くなってから何にも連絡ないと思ってたら、お母さんも亡くなってたんでしょう……」
頬をつねる手を緩めたヤスコの顔を覗くと、悲しそうに私を見ている。
「辛くて大変な時に、どうして頼ってくれなかったの」
だって、あの時、私は。
「すごく、心配してたんだよ」
ひどい奴だったから。
「会えて、良かった」
「ヤスコ……ごめん」
3年前、父は病気で死んだ。
それから半年もしないうちに、母も父の命を奪った病と同じくガンであることがわかった。
わかった時には手遅れで、まるで父の後を追うように、母もこの世を去った。
父は母と結婚する時に勘当されて、まったく親戚付き合いがなく、母には亡くなった祖父しか家族がなかったから、私はひとりで母の看病に明け暮れた。
就職直前の出来事で、結局私は仕事にも就かず、周りの友達ともだんだん疎遠になっていった。
正直なところ、ごく普通に生活している彼らをひがむ事しかできなくなって、惨めな自分を見せたくなくて。
会えば、嫌味を言うことしかできなくなっていたし、そのうちに携帯も変えて、古いデータは全て捨てた。
気がついたら、私のところに残っていたのは、保険のおかげでローンを払わなくても良くなった3LDKのマンションと、両親が一生懸命働いて残していった、5、6年は働かなくても、あらゆる贅沢をして暮らしていけるだけの、何の意味もない金だけ。
悪態をついて2年もぶらぶらしていたら、大きなしっぺ返しが来た。
世の中は、こんなに進歩しているのに、人間は結局、人間でしかなくて、死を延ばすことは出来ても、止めることはできないんだ。
それが早いか遅いか、穏やかなのか、残酷なのか。
私は穏やかには死ねないらしい。
目の前で死んでいった人たちのように、同じように……。
ああ、また。
私のどこかで、「こんな気持ちは、誰にもわかってもらえない」って言ってる。
わかってもらおうとすることが間違ってるんだよね。
だから。
いっそ、最期までひとりでいたいと思ってた。
惨めに死んでいく私を誰にも知られたくないから。
まして、昔の私を知っている誰かにとは関わりたくない。
それが、例え、高校時代の親友でも。
「ごめんね、強引にでも探し出して、一緒にいれば良かったのに」
そこまでしなくていいよ、アンタに何がわかるのさ。
同情なんていらない、ひとりにしてよ。
3週間前の私なら、とっくにその言葉を吐いて、せっかく再会できた親友を傷つけていただろう。
今の私は、それを飲み込むことができた。
ヤスコは私の後ろにいるヤツをちらりと見た。
「でも、大丈夫だったんだね、ちゃんと支えてくれる人がいたんだね」
「あ、いや、コイツは……」
ニヤニヤしながら、ヤスコが肘で私を突付いてくる。
「年下っぽいけど、まさか10代じゃなわよね。かわいいじゃん」
「ああ、うん……」
うんって、私なんで頷いてんの。
確かに、見た目はアイドルみたいに可愛い顔してるけど……かわいいだなんて、思っちゃいないよ。
けど、困った。
私、コイツのこと、何も知らない。
「紹介して」
嬉しそうにヤスコは待っている。
私の後ろでも、笑顔でヤツが紹介されるのをまっているようだ。
って、自分で言いなさいよ。
私、アンタのこと何も知らないんだから。
年も、名前も、何にも……。
「あの……ねぇ」
困った私を見て、コイツはちょっと楽しんでるように見えた。
ふうん、いいんだね。
いいや、適当に名前つけてやろう。