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私、生きたいんだ。
だけど、気付いた時には遅くって。
でも、これできっと、オッサン考え直してくれるよね。
そう思ったのも束の間。
顔を上げると、あの厄介な男がオッサンの後ろに立っていた。
「ああ言ってるぜ、オッサン。それでもアンタは死にたいか?」
「俺は…俺は……」
「ったくよぉ、世話が焼けるぜ、人間て」
呆れた顔で溜息を付いて、男は勢いよくオッサンの背中を押した。
「!!」
私は口を大きく開けたが、あまりの光景に声が出なかった。
同じようにオッサンも目を大きく見開いて、口を大きく開けた。
「死にたくないーっ!!」
はっきりそう聞こえて、私も一瞬呆れた。
しかし、呆れてる場合じゃない。
慌てて欄干に駆け寄って下を見ると、大きな水しぶきを上げてオッサンは川の中へと沈んでいった。
「大丈夫、あいつ、死なねぇよ。見てな」
そう言った瞬間、オッサンが勢いよく水面に顔を出し、こっちを見上げた。
「た、た、た、助けてくれぇー!!」
情けないが、確実にこっちに届くほどの大声を上げて、手を振っている。
「ほらな?」
男は得意げに笑うと、自分も欄干に足を掛けた。
「ちょっと……」
「俺があいつ助けたら、俺のこと、信じてくれる?」
「え?」
「ストーカーでも、新興宗教でも、オマエの信じる仏様でもないけど、死んだらちゃんと行くべき場所に連れてってやるからさ」
今まで見せたことのない、優しい顔でそう言って、さっき私の手を離れていった白い羽を差し出した。
コイツの背中に広がった、大きな翼から落ちた真っ白い羽。
私は、それを受け取った。
「……わかった」
「よし」
私の返事に満足そうに笑うと、勢いよく川に飛び込んだ。
あっという間にオッサンのところへ泳いで行くと、オッサンが彼にすがりついて暴れている。
「大人しくしろっ!」
暴れ続けるオッサンのアゴを一発殴り気絶させるという、海猿顔負けのレスキューで、彼は無事オッサンを河原まで引き上げた。
私が走ってそこまで行く間に、オッサンは目を覚ましていた。
呆然と座ったままのオッサンを、彼は腕組みして見下ろしている。
「ああ、よかった……」
息を切らしながら私が言うと、オッサンは、はっと私の方を向いて、いきなり土下座した。
「す、すいませんでした!」
体をガタガタ震わせて、頭を地面につけて。
私もその場に座り込んだ。
今日はなんだか走ってばかりで、疲れる。
「無事で、よかったです」
「まったくよぉ。こんな思いするくらいなら、死ぬ気で生きてみろよ」
「は、はあっ、本当に、ありがとうございました!」
彼が、何度も何度も頭を下げるオッサンの肩をぽんと叩いた。
「全てはアンタ次第さ。これで終るのも、失ったものをまた手に入れるのも」
その言葉は、私の中にも大きく響いた。
そう、このオッサンと同じ。
私も、無くすものなどないほど、全てを失った。
私も、死ぬはずだったのに、今生きてここに居る。
始まり、なのかもしれない。
「行こうぜ」
私の目の前に、彼が手を差し伸べた。
生意気そうな顔に戻った彼に、私は微笑んで手を伸ばす。
「ありがと」
握った手は、泳いで冷えきったのか、冷たかった。
でも、しっかりと私の手を握って起こしてくれる。
なんか、まだ胡散臭いけど、とりあえず信じよう。
死んだらちゃんと行くべき場所に連れてってくれるって事。
私は握りしめたままの白い羽をジャケットのポケットにしまい込んだ。